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2010年2月28日 (日)

体幹と高ケイデンス?

 二月最後の週末、ラングスターに乗りながら考えた。
 最近よく聞く言葉、、、、、体幹を使ったペダリング、高ケイデンスが偉い!?って話。
 体幹って、身体の中の大きな筋肉だよなぁ、、、、、そんな筋肉つかって速い動き、出来るのか?ネズミの心臓はせわしなく動くけど、象の心臓はゆっくり動く、、、、大きな筋肉って、速い動きは苦手だろ?

 そこで、身体の中心の筋肉をメインで使う乗り方、脚の筋肉を積極的に使う乗り方の二通りを意識して乗ってみた。意識としては、いつもの、使える物は全部使え的な考え方でなく、使うところを絞って、休ませるところは休ませて、、、特化した部位を使うべく、ポジション、姿勢を修正して乗ってみた。

 で、思ったのは身体の中心の筋肉を重視する乗り方では、印象的にはケイデンスは低い感じだ。実際には90~120rpm程度のモノ、、、、、、それ以上を回すのは、脚に力を入れない感じでは難しい感じ。
 それ以上の回転域に達するためには、やっぱり下半身の筋肉が無いと難しいかな?って感覚。130rpmを超えて180rpm程度迄安定して回すとなると、ぶれない下半身、回転に応答する脚、抜くべき時に抜く反応。これが大事かな?って感覚。

 でも、120rpm以下というゆっくりとしたリズムでは、特定の部位だけも結構乗れるという感覚。他を休ませているので、乗り方を切り替えれば疲労を遅らせる事が出来るような印象だ。そう、流すような速度、速度的に35km/h程度の範囲では、乗り方を切り替える事で疲労箇所を切り替える事が可能。当然、意識の中心が違うのでペダリングそのものが変わるんだけど、遅い回転の割に、駆動させる力は大きく、長くという形が主体となる。

 そして、今日気付いたのは、結構な向かい風で5.3m程のギアを110rpm程度で踏んでみたのだけど、その程度ならば脚の筋肉を使わずに速度が維持できるというか、維持が楽勝って感じ。
 何時も、固定シングルに乗っているから、速度域を上げると必然的に130rpm以上の高ケイデンスとなる。そういう状態では、乗り方は駆動は頻度で稼ぐ乗り方となるけど、駆動を作用角で稼ぐ乗り方もギア比が買えれば選べそうだ。体幹を使ってゆっくり踏む。大きな力がリラックスして得られる。こういうのはツーリング向きだな!って事を再認識。
 ただ、速度域を上げるべくギア比を大きくして回転数と踏めるギアの兼ね合いで望める上限域と、乗り方を高回転重視で狙える上限域を比較すると、やはり後者の170rpmオーバーの方が上にくる。具体的には、両方の乗り方が選べる速度域から3割増しを狙うとなると、自分の場合、他の部位を使って協調させないと無理。そういうことも自覚した。

 考えながら走ると、それだけで色んな事に気付くし、再認識する。そして、意図的に乗り方をどうするか?っていうのを改めて思い出すというか、そういう感じ。

 で、本日は、乗り方を切り替えて走るとき、どっちの乗り方でも快適に乗れるようにポジションを微調整してみた。良い具合だ。走っている時に、モロに何処が動いている!って事がはっきりわかる。良い感じだ。

 それにしても、チョット抑えめで乗る。パーシャルで乗ると、色んな意識で試す事も出来る。此処だけで使って乗るとか、ある動作のみ意識して乗るとか、、、、そういう意識付けで、見落としがちな物に気付く事もある。
 今日の収穫は、体の内側のセンターの筋肉を意図的に動かして、その動作を数えながら乗ると、どんな感じ?、或いは、中心の筋肉を動かすには、どんなポジションと姿勢が有効?って事が判ったけど、案外、楽しいモノだ。

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2/21~2/27の週の検索ワードピックアップ

★太い脚
 脚が太いのは?ということだろう。ロードレーサー=バイクレッグ=細い脚という表現も多い。ロードレーサーは細い脚って定説が主流になりつつある。

 で、ロードレーサーの脚、細いか?っていうと、、、、、正直、細いようには見えない。無駄な脂肪が無いだけでは無いだろうか?
 細くても、貧相ではない、、、、、そう思う。

 全然関係無いけど、歯医者の待合室でみた週刊誌に競輪の伏見選手が紹介されていた。太股は63.5cmだという、、、競輪とロードが別個だけど、脚が太いと遅いという説はやっぱり違いそう。

★ミニベロ+ドロップハンドル
 DAHONにアヘッド用ステム+ドロップハンドルの事だろうけど、ハンドル、遠すぎである。純正状態でハンドルクランプ、サドルセンター間の距離が630mmちかくある。これにステム付けると、、、、有り得ない。相当にアップライトにすべきだろう。これで前傾姿勢はヨガのポーズか?
 一般に小径車はトップ長が長めである。併せてシート角も寝気味だ。ホイールベースを長めに取った結果だろうけど、マトモに乗れるのが少ない。長めのトップ長+寝気味のシート角の自転車となると、アップライト+フラットバーがデフォルトだろう。これにドロップ化っていうのは疲れるばかりだろう。
 思うところで、手頃な価格で成立する唯一の小径ドロップっていうと、レ・マイヨWしか思い浮かばない。

★ロードのギア比、ピストのギア比
 これは、調べて判るものではないだろう。自分次第。自分の脚力、タイプ次第。だれも参考に出来ない。高ケイデンスが正義という訳でもない。
 高めのケイデンスで乗る人は軽め、低めのケイデンスなら重めということだろう。他人の、それも特異な構成を作っている人のギア比を参考にした時点で終了かもしれない。
 一番のお奨めは、、、、、普通に売られている自転車のギア比に限る。それを使ってみて初めて自分で判断すべきだろう。

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○○炎

 上腕骨外上顆炎、ド・ケルバン症、、、、色々あるようだ。

 上腕骨外上顆炎、テニス肘とか野球肘とか呼ばれている。肘に負担がかかり起こる病気で、肘関節の外側に痛みを感じる。日常生活で皿やコーヒーカップを持つ、車のドアをあける、洗濯物を握る、ホーキを使うなどの動作で痛みを感じる。
 ド・ケルバン症(狭窄性腱鞘炎)、これも手首、腕を酷使することで発症する。

 これらの炎症は一回の動作では別段不具合を感じない動作を繰り返し行う事で、知らず知らずの内にストレスが蓄積、ある日、その限界を超えた時点で痛みという発症に到るものである。

 これが手強い。一回の動作で不具合を感じないから、日常で何が原因か?が特定出来ないのである。それ故に、原因が分からないのが難しいのでは無いだろうか?
 経験上、その痛み、前日迄は気付かない程だったのが、ある日突然、我慢の限界を超えるような痛みで現れるのが怖い。そして、痛み出すと、これが相当に気になるもの。

 色々調べると、完治までは数ヶ月とか、手術が必要とか、、、、そういう情報も見つける事ができる。

 でも、何事にも因果関係っていうのがある。痛みには原因があるものである。この原因を取り除く事が出来るかどうか?これが、治癒の速度に大きく関わるのである。日頃、感じない、不具合を感じないといっても、そこに原因があれば、その原因を取り除かない限りは治癒しないのである。そういうものなのだ。原因が見えにくい不具合程、長期化、慢性かしやすいのが怖いところなのだ。

 ド・ケルバン腱鞘炎も不具合を感じたのが2007年8月の盆前。その時点で原因を考え、対処して意識から消えるのに2~3週間だったと思う。
 今回が、上腕骨外上顆炎で不具合を感じたのが2010年2月15日、違和感が消えたのが2月23日で一週間チョイ。

 一般に言われる程、不具合は長期化しなかったのはラッキーだけど、やっぱり原因を特定し、原因を早い段階で回避出来たからだと思っている。一般に治療は第一に安静で、手指を使いすぎないように心がけ反対側の手で出来る事は反対の手を使いましょう!なんて言われているけど、それはしていない。何らかの変化のある行為以前に行えた事は出来るはずという考えが背景にあるからだ。
 だから、痛みを感じた直後でも、日常動作の思い付く動作をトライしてみると、案外、全く痛みや不具合を感じない動作もあったりする。一方で、僅かな事でダメダメな場合もあるのである。そうすると、何がダメで、何がOKか?何が原因だったか?が明確になる。これが大事なのだ。原因は取り除くけど、関係無い事は普通に続ける、、、、、安静を目指し、全くの動作を止めてしまうと、別の意味で不具合が出そうに感じる。

 日頃の動きで何をどうしているか?何を何時変えたか?これを、しっかり意識に留めておく事が最重要なのである。

 まぁ、こんな記事を書けるのは、既に直ったから、、、、、そして、興味深いのは、直る瞬間の日がハッキリ判るのである。前日は違和感あるけど、翌日は多少の痛みはあるけど、問題なく動作可能、、、、そういう瞬間があるのである。これは、なかなか気付かないのだが、、、、、チョット、吃驚。

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好き嫌い

 時代の流れとは言え、色んな分野の構造、機械を見ると、直感的に好きなモノ、嫌いなモノがある。
 車選びから色々な選択の際の判断基準になる。
 勿論、嫌いでもダメという訳でなく、ただ何となく、自分の好き嫌いである。

 自動車の世界では、例えば、トーションビーム式サスペンションなんか嫌いである。よく考えているとも言うけど、金属の捻れを機能に利用している部分に違和感を感じる。頻繁に稼働する部分に大きな重量、負荷を作用させがちな重量車には特に違和感を感じる。問題無いのだろうけど、、、、
 全く、個人的な希望だけど、基本はバネ下を如何に軽くするか?が基本だと思うので、そう言う意味では型式問わずで独立式が望ましい。大荷重を受け止めるなら、捻れという物性で機能を満たすよりも稼働部を設けるタイプの方が望ましい。

 他にも、ワイヤー引きのマニュアルクラッチも嫌である。特に、複雑な取り回しと力の増幅を考えると、ワイヤー式が長期間スムーズに動くか?というと一抹の不安がある。二輪車等の交換、メンテの簡単な箇所ならいざ知らず、車にワイヤークラッチというのは、チョット抵抗がある。マニュアルクラッチでも出来れば油圧式を選びたい。
 身近な例では、最近は普及がめざましい電動パワステも嫌だ。制御が単純な回転系にモーターを用いるならいざ知らず、力の加減が必要という時点で複雑な信号入力が必要なパワステでの負荷調整が必要な部分では複雑さが一段と増すように見える。モーター駆動等ならラジエターファン等なら理解できるけど、、、、パワステアシストなら油圧式の方が好み。

 まぁ、言ってみれば、複雑な制御が介在するシステム程、何となく好きになれない傾向があるのは確か。二輪車のインジェクションも然り、最近は普通になっている電子スロットル、自転車の世界の電動シフトも然り、どうも好きになれない。

 全く古い人間で、古い考え方かもしれないが、モノを操作するときには、機械の効率に負けたとしても、自分の意志で好きに動かせるのが好き。好きに動かせて、修理にしても好きに行えるというのが気分的に好みである。構造的にどうなっているか?が判らないようなモノは、操作しているときも操作している!って感覚が希薄だし、何が変えたくなってもどうにもならないし、壊れた時もお手上げになる。こういうモノとの距離感が一定上開くような感じのモノは好きになれない。
 これは、制御が複雑なモノへの嫌悪だけど、先述の、トーションビームとかでは、或る意味天才的な発想だろうし、言われている事も判らないでは無いけど、構造的な健全性の判断が自分で出来ないようなモノも好きではない。普及しているからには、問題無いのだろうけど、頭の中で、その動きが理解できないようなのはチョイ抵抗があるのだ。

 まぁ、好み的な好き嫌いな話であり、別にどうだって良いと言えば良いのだけど、、、、そういうレベルの話。シンプルで機能的にこなれた、そういうのが好きなだけである。

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2010年2月27日 (土)

メダルの色とか、点数とか

 オリンピック競技を見て気になったのは、メダル狙いで○○を回避とか、安全策とか、、、そういう文言だ。

 メダルを狙うため、点数を狙うために、策を練る。そういう考え方も有りかも知れないけど、チョット、釈然としない気持ちが強い。メダルは結果かもしれないけど、メダルは狙うべき物で、得られなかったらNGか?というと、策を練ることは果たして最善か?というと、やっぱり釈然としない。

 これは、テストの点数とか、科目の単位とか、そういう世界にも当て嵌まる。点数を取るために過去問を漁る勉強法もあるし、公式を暗記するという事もあるけど、それに対しても釈然としない。

 以前に記事にしたけど、テストの点数は高い数値を表示させる事が目的でなく、その時点のベストを尺度に当て嵌めた到達度であり、数値自体でなく、数値から得られた方針こそに意味があるという思いがある。
 そういう風に考えると、メダル狙いで個性を抑える。安全策を採るというのは、らしさの表現という部分では、チョット違うように思うのである。

 ならでは!の世界を競い合った結果であれば、その結果がなんであれ素晴らしいと思うけど、個性を抑え、対策的に挑んだ場合、読みが外れると、どうしても後悔が残るように思うのは考えすぎだろうか?

 今回のオリンピックでもマスコミの報道は、メダルの色、メダルを取る!という部分ばかりに注目し、選手のらしさの表現に注目した報道が少なかったように思う。らしさの表現を競い合い雌雄を決す。そういう意味では、キム・ヨナ選手と浅田真央選手の演技は見応えがあったし、どちらの選手も素晴らしいパフォーマンスを示したように感じる。

 やはり、トリプルアクセルに拘り、それに怯まず挑んだ姿、19歳とは思えない度胸では無いだろうか?素直にカッコイイと思う。

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浅田選手、最高の競技だったな

 注目の女子フィギュアスケートが終わった。注目の浅田真央選手、キム・ヨナ選手の演技ではキム・ヨナ選手が最高の演技で金メダルを獲得した。

 リアルタイムでは仕事中だから見られなかったけど、キム・ヨナ選手の演技は完成度が高く、非の打ち所のない素晴らしい演技。素人目に見ても、凄いの一言だ。スムーズ、スマート、パーフェクト!それに、大きなプレッシャーが在っただろうが、ミス一つ無い完璧な演技を見ると驚愕ものである。正にゴールドメダリストだ。

 浅田真央選手の競技も素晴らしい。キム・ヨナ選手の競技を上回る迫力、パワフルさ、常人離れ度が伝わってきた。画面から受ける迫力という点では、男子のプルシェンコ選手に通ずるモノを感じた。競技力で言えば、このオリンピックでは、ショーン・ホワイト選手と一二を競うモノのように感じた。世界一の競技者だと思う。

 技術を競うのがオリンピック、そこでは難易度、完成度を競うものであり、優劣は付ける事は出来ないが、競技の個性という面ではアスリートとしての旗を掲げてのアピールの度合い、鮮烈な印象の度合いは、浅田選手に勝る選手は居なかったように思う。

 それは、実際のプログラムに限らず、その間の練習においても、選手の拘りであるトリプルアクセルが完全にモノに出来ている事を鮮烈に見せつけた点であり、トリプルアクセルといえば浅田選手の代名詞に完全になったのでは?と感じる。

 銀メダルに対する声は様々だけど、メダルの色よりも、技がアスリートの代名詞として昇華したという事の方が個人的には偉大と感じるものである。

 それは、研究者や企業においても、実際に儲かったという話や、名声を得たという話よりも、実際に○○ならば誰に聞け!という方がカッコイイと思う自分の考えによるものだが、この技は、誰の技!って言えるモノを生み出す事の偉大さを感じるのである。

 競技後のコメントでは、『演技はまだまだ、、、、』という話を聞いた。恐らく、競技力だけでなく演技力もモノにするぞ!って意志の現れだろう。抜群の競技力をモノにした浅田選手が、同じ努力やプロセスで演技力も身に付けて演技の完成度も高めるのだろう?そう思うと、これからの浅田選手の競技を見る事が非常に大きな楽しみとなる。今回のオリンピックは第一歩であり、採点系種目で高い完成度を身に付けるであろう未来が、今からワクワクである。

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では、持久運動では?

 昨日は筋トレ系の記事をアップしてみた。
 では、今日は持久系の記事をアップしてみる。

 昨今は自転車ブームで自転車に乗って心肺機能を鍛えよう!なんて、安直なフレーズが飛び交っている。
 でも、心肺機能?持久力?、、、、いったい、その漠然としたモノは何だ?どういうレベルになって鍛えられた?と言えるんだろうか?

 正直、運動強度×時間が持久運動の評価基準になるのだが、そこで、運動強度が低ければ時間は幾らでも延ばせるのが現実だし、運動強度を決める負荷の絶対値は個人で全然違うのが現実。そんな状況で、何がしたいか?どうなりたいか?が決まらなければ全く運動にならんのでは?という気がする。

 最近は、LSDトレーニング、、、、って言葉もあるけど、今一つよく判らない。運動強度の分母の部分が正確に決めてあるか?という疑問から、低負荷運動が持久力に結び付く必要時間の算出自体も曖昧に見える。

 そういう意味で、昨今流行のトレーニングは、この持久運動系でもスルーしているのが自分流だ。

 行うとすると、、、、例えば一時間なら一時間で果てる最大負荷の運動を行ったり、決めた負荷の運動を完全に行えなくなる迄行うというスタイルの方を選んでいる。行った形が有酸素運動になっているか?持久力が鍛えられているか?、、、そんな事は、実はあんまり考えていない。出来るだけ長く、出来るだけ高負荷でという事しか考えていないのが現実なのだ。

 実際、小中学生時代のスイミングスクールでのスイムといえば、沈んでしまうまで!(笑)泳ぎ続けるといスタイルだったし、短距離というと、ゴールしたら何も出来なくなる迄の負荷を探すというのが、スクールとか部活でのスタイルだったからだ。あんまり、小難しい理屈に捕らわれた事は無いのである。
 それで、今があるのであり、ならば、今も、その延長でOKというのが行動の根底にあるのだ。

 正直、目一杯使い切って始めて、それでも続けるために、、、ということで、身体の使い方を工夫したり、そういう事を考え始めるのである。最初から、運動強度○○%だから何時間!なんて冷静に考える事なんて無いのである。

 出来る限り長く!続ける事が出来る範囲で一番強く!っていうのが自分流だ。そうする事で、負荷を掛け続ける事の時間が延びてきたと実感しているし、時間で出せる負荷を大きく出来てきたと実感している。
 多分だけど、持久力強化に限らず、筋力アップだろうが何だろうが、何でも行けるところ迄、行ってみよう!ってノリが無ければ殻は破れないのでは無いだろうか?

 実に原始的である。

 でも、持久運動が例えばスイムである場合、尽きるまで大きな負荷を与えて運動し、最後に特定の部位に悲鳴を上げる事がある。でも、そこで初めて弱点が見えるのである。最初に根を上げる部位を探す事が、底上げに繋がるのである。そのためには、気付いていない弱点部位の根を上げさせるのが大事なのだ。

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Girl's Keirin

 今更ながら、表題のようなのが在るのを知った。

 公式サイトは、

http://www.girlskeirin.com/index.html

 である。そもそも、2008年及び2009年に日本の女子自転車競技選手を集結させて、各地の競輪場で行なわれた、ケイリンのエキシビションレースの愛称だそうだが、将来は1949~1964年に行われていた女子競輪復活を視野に入れているという。

 女子競輪を題材とした映画に女競輪王っていうのがあるけど、そういうのが復活すれば楽しそうである。

 先日記事にしたスピードスケートとピストの話ではないけど、スピードスケート選手レベルになると、ピストバイクでも相当に凄そうであり、案外、選手となりうる層は多いのかな?とも思ったりする。実際、現在活躍中の選手のスポーツ歴を見ると、スピードスケート出身っていうのも居られたりする。

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2010年2月26日 (金)

20インチ451仕様

 DAHONで451化したい人が結構多く検索に訪れて下さる。

 451と406でどうか?っていうと、違うようで、違わないようだけど、、、、最終的に違う!っていうのが個人の感想。
 ホイールサイズ自体が走りに影響するか?というと、正直、その違いを感じる事は鈍感な自分故に、何とも言えないというのが正直な感想。

 しかし、最終的に451サイズにして良かったというのは、結果として違う事が実感出来たからなのである。
 それは、、、、ホイールサイズの違いというよりも、451サイズのホイールに交換する事によって装着可能なタイヤの銘柄が変わって、自分の選んだ銘柄のタイヤが実に心地よく、実に軽快に感じる事が出来るからだ。
 お気に入りのタイヤ銘柄ならば、非常にソフトで乗り心地が良いのだけど、走っていて軽やかで抵抗が少ない感じなのである。この感じ、実は、フルサイズの700Cで用いている何種類かのタイヤと較べても上回るイイ感じなのだ。この感じが味わえるだけでも、銘柄の選べる451サイズのホイールは自分にとって大きなメリットである。

 しかし、最初から451のホイールサイズの自転車は案外少ないし、406サイズから451に変更するっていうのは結構面倒臭いし、難しいもの。ホイールを入れ換えるだけで出来れば誰も苦労しない。ホイールを入れ換えるだけで可能な構成というと、前後輪がディスクブレーキの車両くらいだろう。

 因みに、406サイズと451サイズというと、直径で45mm、半径で22.5mm違う訳だ。キャリパーブレーキにしろVブレーキにしろ単純なパーツ交換だけで済むか?っていうと、やってみなければ判らないという事。無駄なく最低コストで!っていうと、難しいだろう。昔、Vブレーキトランスファーを用いれば、、、って話が合ったけど、これは現実難しい。実際には、ピポットの取り付け位置、固定角度を現物併せで見直す事が必要であり、自分で行おう!って人でないと、難しい。まぁ、フロントフォークはコラムさえ互換が保てれば交換する事で対処可能かもしれないが、後はそれなりの工夫が必要。そういうモンである。
 因みに、自分のDAHONではフロントは03年モデルのフォークを調達し、フェンダー取り付け穴をザグリ加工して使い、後はシートステーブリッジをクランプして角度を5°程変えるジュラルミン削り出しのアダプターをワンオフで作成して対処した。

 一般に、ホイールサイズを大きくしたら?って疑問に対しては、安定性が云々とかが言われているようだけど、自分的には選べるタイヤの銘柄で好みのモノが選べられるようになったというのが最大のメリットだった。勿論、406HEの銘柄でも、そういう銘柄が在るかも知れない。偶然、自分が乗った451WOの銘柄が気持ちにヒットしただけかもしれない。
 他の満足ポイントと言えば、自分で改造した!っていう満足感だろうか?あと、全く個人的な感想だけど、自分の持つ自転車には二種類あるけど、451WO仕様の方が格好良く見える。406HEサイズは如何にもオモチャ、実用車っていう勝手な感想である。

 傾向的に406HEサイズはコンフォート系のタイヤが多いように見えるし、451WOサイズはスポーティなタイヤが多いように見えるけど、、、まぁ、406HEサイズのタイヤでも探せば良い物があるかもしれないので、誰にでも451WO化を薦めるか?っていうと、そうではない。
 ただ言えるのは、自分が20インチをこれから買うなら、少なくともサイクリング用途なら、間違いなく451WO仕様だ。406HEは実用としてしか使わないだろうなぁ、、、。

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一日の睡眠時間、、、、

 なかなか難しいテーマだ。
 ベッドに入って電気を消して、翌朝目覚める迄の時間を睡眠時間と定義すると、、、、ベッドに入っても最初は本読んだり、PC触ったり、テレビ見たりで寝る事はない。睡魔が来るので、そこで電気を消すというパターン、、、、

 となると、睡眠モードに入るのはAM1:30~2:00、、、、朝起きるのは、、、、AM6:30~7:00だから5時間と言う事になる。

 でも、、、寝ている時間、、、、意識が休眠モードになっている時間を加えると、、、、実はもうチョット多い。+3時間は増えるかな?っていうのが正直なところ。

 睡眠時間、長い方が良いのだけど、起きていると、、、特に、フリーな時間では、やりたい事が山程ある。

 家に帰って夕食を済ませる。ここがPM7:45だ。それから子供を風呂に入れる。これで8:30、それから9:00迄は子供と遊ぶ。9:00に寝かし付けである。その後9:00から運動を始める。運動が終わるのが12:00位。それから風呂に入ってくつろぎタイムに突入するのが午前零時過ぎだ。そこから、自転車、単車、PC等々の趣味関連で過ごす。それでも1時間チョットのモンだ。ホント言えば、もっと長時間そうしたい。

 因みに、勤務時間は午前8:00~午後6:00くらいのモノ。夕方帰宅してから夕食迄は子供と遊んでいる。考えてみれば、時間の隙間は皆無だ。因みに、スポーツセンター等で泳ぐ時は残業の無い日である。残業時間分を運動時間に割り当てるだけ。休日の自転車は?っていうと、子供の朝食が済む時間迄の話。分刻みのスケジュールで時間の隙間を生みだしているのが実情である。それ故に、睡眠時間がチョット短めかもしれない。

 それでも、今の勤務先は、通勤所要時間が15分未満というのが大きなメリット。今の会社を選んだのは、人生における最大の無駄時間である移動時間を最小にするというのが第一だったけど、今思えば、その判断は悪くなかったとも言える。
 因みに、学生時代は、実家から大学までの通学が片道1時間以上と非常に無駄の多い生活をしていた(三年からは下宿したけど)のだが、それに較べると随分と楽だ。

 勿論、自身、5時間弱の睡眠では持たない。それで、会議中には目を開けたまま寝たり、立ったまま寝たり、、、、そういう特技もある。下手すると,喋りながら寝たりも有り得る話。姿勢以外の全ての機能をスリープさせてサスペンドしているようなのが特技だ。この特技があるから、一日の睡眠時間は実質7~8時間はあるかな?とも言える。

 一日24時間しかなくって、勤務先への拘束時間が11時間、育児を含む家事等生活必須時間が4時間くらい。これで合計15時間だ。これに運動時間の3時間を加えると18時間である。残りは6時間しかない。これを睡眠+自分時間で使う、、、、結構、タイトである。5時間寝て1時間遊ぶ、4時間寝て2時間遊ぶ、、、、遊ばずに6時間寝る、、、、、

 まぁ、運動しなければ随分違うんだろうけど、それはそれだ。

 週末、土日は、基本は子供中心、家族中心となるから、実際の自分時間は更に減る。所帯持ちの宿命だろう。まぁ、宿命とはいっても、自分の単車や自転車に時間を費やすよりは、子供と遊ぶ方が楽しいから気にはならない。子供が大きくなった時に、再度、モノにシフトすれば良いだけだ。

 そういえば、育児よりも家事よりも、自分の趣味を最優先!って豪語する奴が居たけど、自分的にはチョット理解出来ないけど、それは考え方次第だから誰が正しいか?っていうのは、人次第だ。

 健康的には、もう少し寝る時間を確保したい。寝る時間を確保して、遊ぶ時間も増やしたい。但し、遊ぶ時間は子供の起きている時間帯に活動時間を増やしても一人で遊ぶなんて出来ないので、一日の活動時間の終わりを遅くするしかない。そうすると、、、朝をゆっくりスタートできるような生活のリズムが必要だ。今の朝7時スタートを朝8時スタートに出来れば一番具合が良い。それを実現するには、始業が9時の会社を探すしかないけど、始業時間のシフト量と通勤所要時間の変化量から見直さないと、良い答えは見つからない。それが全て自在に出来るのは、自営業しかないんだよなぁ、、、、、そうすると、生活を担保できる力の有無が鍵になる。色々と難しい訳だ。

 そんな事を考えると、今の5時間睡眠というのは、悪くないモノだろう。5時間睡眠で足りるエネルギー消費の抑えるというのが日常生活の鍵だ。運動の3時間は抑えられないとすると、後の省エネをする時間は、自ずと限られるのだ、、、、、。

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スローとか、加圧とか、、、、

 今や筋トレとか言うと、表題の如く、スロートレーニングとか、加圧トレーニングっていうのがトレンディみたいである。

 でも、何だかチョット引っ掛かる処があって取り入れていない。

 推奨されている理屈も、何となく判るような、判らないような、著名人や有名人がやっているとか、やっていないとか、、、、色々あるようだけど、チョット引っ掛かるのである。

 まぁ、筋肉を付けるという意味とか、筋肉を付けて代謝を上げて肥りにくくなるとか、そういうのなら判るような気もするけど、、、、

 自分の場合、相変わらず古式な方法で行っている。所謂、高重量のトレーニングであったり、高反動なトレーニング、高速動作な反復練習だったりする。

 筋トレで、何したいか?っていうと、筋肉付けたいというよりも、何か別の動作を、より強く行いたいという思いの方が強いからである。

 スイムのキックで力が出ないと感じたら、力が出せる感覚を得るような運動を行ったり、或いは、自転車のペダルを高回転で回す時に回らないと感じたら、回すために修正すべき点を定めて、その部分のみを特化して抜き出すような考え方が先行する。それ故に、行っている運動の形とか、動かし方、力の入れるタイミング、支え方っていうのは、別の動きをイメージして行っているというのが適切であり、その結果、加圧とかスローといった方法に辿り着かないのである。

 果たして、正解はどっちか?は判らないけど、自分的には、高重量トレーニングであったり、高速動作練習だったり、そういう方を重視している。自分的にはスイムとバイクのための運動に近い状態。そのイメージでは、やっぱり爆発的な反動があるように思うし、その瞬間の動作時においては、各部がしっかり連動するというか協調していないとダメだと考えている。それ故に、自身は高重量+反動+協調動作って方法は外せないのである。
 日々の記録には、単純にフライがどうの、カールが何回とかしか書いていないけど、実際は、その見た目の動きに、どんなテーマ性を与えるか?が大事では無いかと思っている。ローラー台でも実は、単純にローラー漕いでいるだけではないのだ、、、、

 しかし、今の時代、こういうノリの人は少数派なんだろうなぁ!って言うのが正直な感想だ。

 まぁ、色んな方法が紹介されて、何を選ぶか?の違いであり、選ぶ価値観、選び方の視点の違いで正解は無い訳であり、こういう話の最後は、自分が選んだ方法が自分にとっての正解ということ。メディアがどう伝えたとか、誰彼が何しているとか、そういうのは、自分の正解には関係の無い話だ。

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スピードスケートのスピード

 今迄意識した事無いけど、スピードスケートの短距離種目のタイムを見て、ふと思った。
 これって、ピストバイクで記録するタイムと似ているな!って、、、、、

 500mで35秒、1000mで70秒弱、、、これって、バンクを走るピストと似た速度である。純粋な平均速度で言えば50km/hオーバーである。自転車という道具を使わずに、幾ら氷上の低摩擦とは言え、そんな速度で走る訳だ。そして、エッジを介して動力を伝えて走る。

 考えてみれば、凄い話だ。ゼロスタートからのタイムだから到達最高速度としては、更に高い速度なんだろう。アルペンの滑降で100km/hオーバーとかボブスレーの速度も凄いけど、重力による速度というのと、脚の力による速度という面では、チョット見方が変わってくる。純粋に速度を生み出すエネルギーとしては脚力が支配している点が凄い。まぁ、タイムが似ているからといって、自転車競技と重ねてみる事はナンセンスかもしれないけど、速度が似ていれば空力的な抵抗は似たようなモンだろう。そう考えると、動力を速度に換えるという効率で考えると、ピストバイクと氷上のスピードスケートとういうのは似たようなモノなのかもしれない。となると、あの速度を生み出すには、あの下半身が必要と言う事なのかもしれないし、その速度域を生み出すためには、双方の競技のトレーニングというのが共用できるのかな?という気もする。

 そういえば、スピードスケートの選手の下半身と競輪選手の下半身っていうのは、よく似た形である。そして、スピードスケートの代表選手の何名かが行っていた方法と、競輪学校でのメニューのいくつかの方法が同じなのも、それを意味しているのかな?と思ったりする。実際、過去のスピードスケートの代表選手を見ると、冬季がスピードスケート、夏季が自転車競技とエントリーする選手も居られたし、スピードスケートの代表選手のトレーニングに競技用自転車が用いられている事も少なくないし、趣味として接して居られる方も少なくない。

 この二種の競技を並行されている方が多いのは、皆知っている事だが、速度域やタイムを考えると、この二種の競技の動力伝達効率は同じ位なのかな?と言う事を、何となく考えてしまうのである。('10/2/19記)

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2010年2月25日 (木)

見た目だけ。

 最近のテレビ番組には、殆ど毎日、ダイエット、美容、健康ネタが紹介されている。
 裏を返せば、皆がそれを望んでいるから。そして、視聴率を取るのは、どういうパターンか?というと、その効果が如何に単純に得られるか?如何に簡単に実現できるか?に掛かっている。

 良い例が、若返りメークとか、そういう奴が凄く多いのだが、思うのは、それって見た目だけ?服装だけ?って思いである。確かに、そのような技法で、風貌は手に入れる事が出来るかも知れない。
 他には、特保、サプリ関連の紹介で健康食生活、、、、って在るけど、見るからに味気ないと思うのは自分だけだろうか?そういう方法で、摂取カロリーを制限したりっていうのも判らないではないえけど、どうなんだろ?

 正直言えば、メークとか服装とか、特保食品とかサプリとか、、、、そういうのに意識が行く事自体が、内面というか心が老化している証拠のようにも見える。少なくとも、ガキ時代っていうのは、寝癖がナンボ?菓子のカロリーがナンボ?なんて気にする奴は殆ど居なかった筈だ。

 いわば、小細工とか小手先に頼る考え方、或いは、安直に栄養調整って考え方にいく事自体が本質的なダイエットとは懸け離れた行為のように見える。

 オッサンと子供の差っていうのは何か?っていうと、生活のリズムの中における実質活動量の差が一番であり、その差が老化以上に身体の状態の差違を生んでいると考える方が自然である。
 少なくとも、老化という言葉で、疾病や肥満を語るなら、その世代において超健康な人って居ない筈だが、結構な高齢であっても数多くの健康な人が居るのが現実であり、となると、加齢という理由で、疾病は肥満、しわ、弛みを言い訳するのは間違いのようにも言える。

 老化という宿命的な現象を理由とするならば、例外なく加齢した人が陥っている状況に限るべきであり、世間でいうところの歳のせいって理屈は、どちらかというと言い訳に感じたりもする。
 それ故に、自分的には世代的な健康面での傾向、体型っていうのは、世代の営むライフスタイルの反映した結果と考えている。つまり、番組で取り上げるようなダイエット、美容ネタに対しては、問題となる結果にならない時代のライフスタイルを営む事こそが唯一の解決手段として紹介すべきではないか?という意見となる。

 仮に、肥満の中年が居たとして、それを小学生と同じ生活をさせたら、多分、肥満は改善されるんでは無いだろうか?現実、それが出来ないならば、小学生と同じ運動量を生活の中に取り入れる事こそが最大の問題解決法と言える。

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つまらない奴程、、、、、

 販売されている商品を見て思う事。

 それは、当然の事だけど、価格帯でエントリーモデルから上級モデルが分けてあるという感想。それぞれのモデルは、それぞれの顧客をターゲットに作られている。特に、信頼度が高いメーカーの商品程、それが言える。

 少なくとも、自分はそのように考えている。そうやって生まれた商品は、企画を担う専門家が機能の取捨選択をして出した結論とも言える。想定されたターゲットというのは、企業の商品企画、ニーズという市場調査の上で導き出されており、それに向けてベストは何か?という考えの具現化が商品となっているのである。

 その具現化された商品の形態っていうのは、専門家からユーザーへの提案であり、その提案は、専門家の知識に基づいたモノである。

 初心者、オタク、真似っ子に言えるのは、実際のモノを使う前に、或いは、機能させる前に、提案されたモノの美点を把握する前に、専門家の提案したモノを半ば否定して、別の形を求める傾向が強い。そこで感じる疑問は、提案されたモノの美点を把握しての話では無いだろうに、、、、ってこと。脳内妄想のみで暴走する答えっていうのは、受け売りであったり、思い過ごしであったり、錯覚に捕らわれた結果の方が多い。

 判りやすく言うと、大したレベルで無い奴程、訳のわからない講釈を垂れて、今ある既存の良さを見ようとすることなく、妄想的な何かを求める傾向が強いということ。

 こういう奴らの思考っていうのは、負の思考のように見えるのである。何事に対しても、不満が先行している。何事に対しても、美点を見抜こうとしないのである。どんなモノでも美点と欠点が共存する。楽しく過ごすには、良さを見抜き味わうという心構えが必要だが、美点を見抜こうとしなければ、不満に溢れる。不満が前提になるっていうのは、全てを自分以外の要因を悪者にしがちである。

 どんなモノにも存在する理由があり、その理由を考えれば、その良さが見えてくる。その良さを楽しむというか、そういう気持ちがあれば、どんなモノでも楽しめるモノである。良いところを見付けようとする気持ちが、多分、満足に繋がるんだろう。

 逆に、不満や、不平で、モノの良さを見ようとしない奴は、一生、モノの良さに気付く事がないんだろう。言い換えれば、何をやっても満足に繋がらないのでは無いだろうか?

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アラフォーの次は?

 アラフォーって言葉が生まれたのは随分前だ。
 これは年齢基準で40歳前後を意味する言葉ではない。言葉が生まれた時代に40歳前後だった世代に対しての言葉である。元々は、男女雇用機会均等法が施行される頃に社会進出した女性が40歳前後になった頃のライフスタイルの特異性から、それを区別する意味で生まれた言葉だ。語源的には、1964~1973年生まれを指すらしい。だから、本来的に、この定義が生きるのは、この世代が35~45歳の間の時代の事なんだろう。

 最近は、時代に拘わらず40歳前後になると、アラフォーという言葉を当て嵌めるようになり、本来の意味が変質しているようだけど、年齢的な区分ならば、そんな言葉を用いる必要もないのだ。

 このアラフォーって世代にフォーカスすると、昔でいう新人類にも当て嵌まるし、バブル世代にも当て嵌まる。番組で「29歳のクリスマス」(1994年)って番組が在ったけど、15年前の三十路世代にも当て嵌まるのである。

 つまり、年齢というよりも、この世代層の到達年齢毎の消費行動、ライフスタイルの特異性に注目した結果生まれた新語のようなモノである。新語が生まれるというのは、その前世代とは異なると言う事だろうから、彼らが50歳前後になると、また別の言葉が生まれるんだろう。

 思えば、この世代は、高度経済成長と共に成長し、雇用機会均等法~バブルという社会の変革期に社会に出ている。基本は贅沢志向なんだろう。振り返ってみれば、ブームを先導しているのは、この世代かな?という気もする。自分の知っているブームでいうと、過去のバイクブーム、バブル期のブランド品ブーム、Windowsの普及、その後の激安品ブーム、今の自転車ブーム、、、、昨今の懐古商品というのも、殆どが、この世代をターゲットにして購買意欲を高めるような戦略に基づいている。

 さて、この世代が加齢と共に生みだしていくモノは何か?それで、どんな言葉、常識が生まれるか?それを眺めるのも楽しいかも知れない。

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2010年2月24日 (水)

気付いた時には、、、

 チョイ前の記事で、やばそうって気配は感じていた事を紹介した。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2010/02/post-2326.html

 なんだが、やってしまいました。同じ事、、、、、。

 以前、育児ネタで記事にした話。その際は、赤ん坊も沐浴の繰り返しの結果、寝起きでの手首の強烈な痺れ、麻痺云々に襲われて、次第に手首の自由が失われるという症状に驚いた事で判った事を記事にしたのだが、その際の症状は、『ドケルバン病(狭窄性腱鞘炎)』の症状で、赤ん坊の両耳を指で塞いで手首を動かしながら風呂入れする事で為りやすい腱鞘炎と言う事だった。

 因みに、この腱鞘炎は息子の沐浴で為った訳だが、生まれたのが6月半ば、痛みが激しさを増したのが8月上旬ということで、負担日数としては一ヶ月半と言う事。勿論、当初は何の不具合も感じずに、ある日、突然痛みを伴ったのである。
 この解消には、沐浴を辞めて手首の負担を減らす生活に改めて、完治というか、気にならなくなるのに1ヶ月程度要した記憶がある。

 で、今、、、、、

 2月に入ってからダンベルのシャフトバーを直径30mmの固定グリップから直径40mmの遊動グリップに変更した。重量は28kgから30kgと微増させたのだが、左半身の打撲で左腕には力が入れづらかったので、ダンベル動作では左の初期動作は右手で補助して手首を返してのだが、右はマットから手首と腕の力だけで手首を返す動作を行ってきた。
 最初の段階から、右手には厳しい負荷かな?とは思っていたのだが、、、
 結果、ダンベルの変更して二週間目にして右手の肘に違和感、、、、モロに、ダンベルを手首の上に載せる動作でやられた感じである。

 因みに、左半身は打撲という大きな力を受けた結果の怪我だけど、右肘は物凄く大きな負担ではないけれど、許容を越えた負荷を毎日繰り返し与えた結果発症したモノ。

 このように、一気に故障する場合も嫌だけど、暫くして不調に気が付くっていうのは、もっと嫌だ。なお、二週間で気付いたんで、ドケルバン病ではないが、二週間程度の改善で戻るだろうとは思っている。因みに、通り名としては、『テニス肘』と呼ばれている上腕骨外上顆炎だ。手首、肘を酷使して発症するとの事。

 対策としては、ダンベルの設置レベルをマット上でなく、台を用意して、右手のみマット上10cmの高さからに変更している。これによって、右手でダンベルを手首上に載せる時に嫌な感じは無くなっている。

 考えてみれば、この僅かな変更が炎症に影響する。逆に、その僅かな変更前なら大丈夫ということで、メニューとしてイイ具合かどうか?っていうのは、実に微妙である。

 余談だが、この30kgのダンベルのカラーのロックは標準のピンボルトを止めて、ステンレスのキャップボルトに交換し、アーレンキーでしっかり締め込んで緩まないようにして使っている。

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メタボ85cm

 BSデジタルの番組で、メタボリックシンドロームの概念と、胴囲85cm基準の生まれた経緯が特集で放送されていた。

 メタボ診断基準では胴囲が幾ら?っていうのが、凄く印象的に広まっている。男性85cm、女性90cm、、、、この話が先行しているのは事実で、今、この数値が適切か?という所で議論が起こっているのも事実。
 最近のニュースでは女性は80cmにすべき?というニュースも報道されたばかり。

 当初、個人的にも胴囲85cmを基準に設けるのは荒っぽすぎる?とも思ったけど、よくよく考えてみれば、こういう制度で国民の健康診断で基準として取り入れてきた背景、それに関わってきた人の事を考えれば、今の否定的な論調も当然予測されてきた筈。賛否を巻き起こす事も予想していた筈である。

 この数値、85cmとか90cmっていうのは、メタボ診断という制度を普及させるために世間に与えるインパクトを重視して生まれてきたものであり、この制度の普及側にとっては数値はどうでも良かったのかも知れない。
 取り敢えず、このような肥満傾向と昔で言う成人病には因果関係があって対策可能という事を知らしめるために必要なインパクトとして、用いた策略なのかな?という考えが、最近の自分にとって、最も納得できるものと思っている。制度が根付き、民衆の意識対象に肥満防止を思う気持ちが芽生えたら、その時に数値は変えれば良いという程度なのかな?と思うのである。

 今思うのは、相変わらず、85cmで議論するのは馬鹿クサイということ。もう少し、大きな視野が必要では無いかということだ。

 最近は、皮下脂肪、中性脂肪に次いで第三の脂肪が実は悪いのでは?という話もチラホラ聞く。痩せていても糖尿病なんて話も聞く。

 言えるのは、原因と症例が互いに必要十分的に一対一では無いということ。ある症状に当て嵌めれば、症例に必ず陥る訳でもない。ある症状になれば疾病リスクが高まるということ。その辺を考えれば、一意的に○×を論ずる事自体は適切でない。

 あくまでも、疾病に対するリスクが情報提供されているだけで、リスク因子を減らせば、疾病に陥りにくいと言う事。紹介されているリスク因子だけが疾病に陥る要因を作っている訳ではないのである。

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2010年2月23日 (火)

今日の感動は?

 月曜の夜、ふと点けたチャンネルで凄くいい話を聞いたので、急遽アップ!

 NHKのBSハイビジョン放送の中で、カシャッと一句!フォト575のベスト俳句、、、

 『欲しければ、知恵も体も使いおる』

 って俳句。これで、子供が台の上に載って菓子を取ろうとしている絵を写真にしてある。
 それで、コメンテーターの一言が最高だった。

 『自分の意志で好奇心を発揮している時の吸収力は、100倍も1000倍も、、、、』

 正にその通りである。これは、何時も部下にも言っている事。自分で考える。自分の力で問題解決のアプローチする事の重要性を言っているのである。

 これは、子供に限らない。人間全てに言える事。惰性でやったり、指示に従うだけだったり、模倣したり、覗いたり、、、、、それって、ダメなんだな!
 言い換えれば、自分の力で進む人に較べると、身に付く知識は、1/100にも、1/1000にも満たないって事。

 判るかな?

 自分の行動は、自分で決める。自分の希望は自分にしか判らない。自分の理想は、自分の欠点の解消の先にある。つまり、全ては自分次第なんだ。他人が何したか?何考えているか?人がどうしているか?、、、、、そういうのを気にしたら、進歩は無いのである。

 この思考の癖付けこそ、幼児教育の最重要なもの。どんなに幼い頃に小難しい事を出来るようにさせても、そこに強制しか無ければ無意味。自分で考える力、癖を身に付けてこそ正解。そして、子供は親を見て育つ。親がどんなに理屈をこねても、親の様見て、子は育つ。親の人間性が子供に見抜かれる。つまり、人間性を晒し真似られる事が遺伝みたいなものである。

 親が自分の行動を自分で決める事が、本当の幼児教育であり、それが子供の好奇心に繋がるのでは無いだろうか?

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想定

 ダイエットの為というよりも、最近の運動は、より速く泳げるように、より速く走れるように、という目的の為の運動という色彩が強い。それなら、毎日泳いだり、毎日自転車に乗った方が良いかもしれないが、色んな考えに従うと、なかなか、そうも出来ない。

 まぁ、そうしないのには、行えないという部分と、敢えて行わない部分の二種類がある。行えないというのは、別の制約で行う事が出来ないだけだけど、敢えて行わないという部分は、実践するよりも目的を得やすいからだ。これに関連する触りの部分は、過去の記事の中のフレーズで紹介した事がある。

 実践に勝る行為は無いのだけど、実践する際に、何をイメージしているか?何をどうしたいか?何処を使っているか?が判っていれば実践にも増して合理性が生まれてくる。
 前記事に、一体感というネタ記事をアップしたけど、例えば、自転車に乗って一体感を得るというのは、自分の場合、想定速度域を上げる事。想定速度域を上げるというと、自分の資質や都合を無視すれば、良い事を全て伸ばせば良いことになる。しかし、現実は、そんなに甘くない。必要な要素がトレードオフの関係だったりする場合も少なくない。仮に、そうで在れば、トレードオフで目を瞑る部分を重視した取り組みを続ければ弊害も出かねない。しかし、その部分を特化して考えれば、そんな弊害無しに改善の取り組みを行う事は出来る。ただ言えるのは、実践動作でなくても、実践における自分の理想というか考えが無ければ、それは行えない。そんなモンである。

 こういう想定っていうのは、何かを行う時、どういう根拠に基づいているか?どういう方法で取り組んでいるか?って事を考えていなければダメだ。どういう目的に、実践において、どのようにしたいから、それを模擬的に抽出して行う時は、どこに留意する!っていうストーリーが必要なのである。

 まぁ、イメージの問題だけど、これは目に見えない現象を想像する行為に近い。だから、スポーツに限らない。実際、自分の場合、セラミック製造におけるプロセスで、造粒、成形、焼成、焼結の過程で材料がどうなっているか?とか、鋳造品欠陥の症状から原因を類推して対策を講じる際には、流れる溶湯が、周囲に及ぼす影響を想像する事から始めたりしているし、機械部品の破損対策では、破壊のプロセスを想像した上で、検証、対策を行ったりしているけど、それも全部そうだ。見えないけれど、理想を納得できる理屈で組み上げてイメージを作っている。そのイメージを単純なモデルに分けて、一つ一つ理解するという行動だが、そういうイメージを作る事が出来れば、そのプロセスを単位に分解し、色々と修得したり、対応する事が出来る。

 まぁ、モノ、方法からプログラミング迄、どんな複雑なシステムでも、適切に分解し、それを組み合わせる事で機能を生み出すという考えは極自然な事であり、複雑なシステムを完成させるには、単位操作、モジュールを完成させなければならないし、モジュール単位で正当性の評価や機能の向上が必要なのは当然だが、同じ考えに従っていると考えれば、ダイエットや趣味のスポーツでの行動も、全てを複合的な実践で行わなければならないというのは、逆におかしな話っていうのが明らかである。

 理想を求めるというのは、何事に関しても共通した方向性だが、その為には、どんな分野でも、理想と現状の乖離を見抜き、それを単純化したところから改善するというのも、どんな世界にも言える事なんだろう。

 こんな記事を書いたのは、今の時期故に思い付いたから。理由は、丁度オリンピック開催中であり、そこに出場する代表選手の日々の取り組みを纏めた特集を目にする機会が多いから。

 特に、物理の法則に従った取り組みが判りやすいスピードスケートの世界の話が実に興味深い。NHKでの岡崎選手、民放での小平選手、長島選手の取り組みってうのは、実に感銘を受けるモノ。彼らの取り組みのレベルを知るよしも無いが、自分が感じた印象では、この記事のような考えが確実に背景にあるように見えたのである。

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強くは言わない。

 素人というか、初心者から何かにつけて聞かれる事がある。
 でも、あんまり強くは言わない。思った事は軽く言うけれど、それ以上は言わないことが多い。

 勿論、言う時もある。でも、言わない時もある。

 まず、言う時、、、、それは、聞き手がホントの意味で自分の意見が定まっていない時だ。そして、私の意見をホントに欲しがって、それに従いたいというサインを感じた時である。

 そして、言わない時、、、、それは、聞き手が実は自分の意見を持っていて、私に同意して欲しいと感じた時。そういう時は、その人なりの意見を尊重するようにしている。意見が違う場合が多いので、聞かれると、聞き手の思いとは違う解答になるけど、その否定はやんわりしている。解答して質問者の表情を見る。そして、チョット不満げに見えると、それ以上に否定はしないのだ。寧ろ、自分の意に反しても、なるべく、肯定してやろうと思う。
 大抵、そういう問い掛けを受ける時っていうのは、聞き手が何かを買おうとか、行おうとかしている時であり、既に、何買うか?何するか?決めているのである。そんな時に、意志や意欲を折る方が気の毒なのである。そう思うと、仮に、自分が違う!って思っても、逆に、そうだ!って答える事にしているのだ。

 そういうものである。

 この考えに対して、他人への否定を断固するって奴も居たけど、俺は違う。この話、ショップの店長さんと話ししたけど、やっぱり他人への否定を断固するって事はないよね!って話で一致した。
 特に、モノを買う時、買いたい人の意志が決まっているような場合、その選択が自分の違ったと言って、それを否定するなんて、やっぱり有り得ない。その理由は、自分が自分の好みで買う訳でないし、自分の考えが本人の考えという保証は無いから。そもそも、責任持てないから。多分、多くの人が意志を否定する事は無いんじゃないかな?

 意見がゼロの人がアドバイスを欲していれば与えるけど、それでも何通りかの選択肢を提示するに留めている。それ故に、聞き手の判断が決まっている人を捕まえて、自分と考えが違うからと言って、敢えて否定しようとは思わないのだ。

 だから、後々に、前、こう言ったじゃないか!って言われても、それは、そのTPOに応じて聞き手の要望に応えただけなので仕方ないのである。実際にモノを買った後に、どうだ?って言われると、基本は肯定する。それでも、私なら買うか?と言われれば、素直な意見を答えるに留めるのである。

 人間、誰しも、自分で決めて、こうだ!って思っていると、それは否定されたくないモノ。そう思うと、まぁ、良いんじゃないの?って解答を心掛けているんだが、場合によっては、●●さんが良いって認めたじゃない!って後から言われる事もある。そういう時は、正直、面食らう事が多い。まぁ、そんな事は滅多な事では無いんだけどね、、、、。

 最近は、人と話すのが難しいな?相談に答えるのは難しいな?って思う事が多い。
 相談に期待する答えが、自分としては相談者の立場ならどうするか?を答えようとするのだが、何だか、相談者が知りたい内容が、時折、私自身の身ならどうか?って答えを求めているようで、そういう場合は答えようが無いし、そもそも答える気がないのである。それは、相談でなく、他人の考えの知りたがりであり、相談というよりも詮索に近いと思うのである。

 基本、相談には幾らでも答えてやるけど、詮索には乗れない(詮索されたくない)、、、、それだけなのだ。

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2010年2月22日 (月)

ネットで買って、自宅に届く、でも、、、、

 最近、DMM.comのCMでは無いけど、ネットで選んで、自宅に届いて、ポストで返却!ってのがある。
 便利だな?と思う反面、ネットで自転車が販売されている例も少なくない。ネットで自転車を買う。完全組み立て済みで送られてくれば良いけど、中には、メーカーからの直送で7部組みとか、ハンドル、ホイルはバラバラなんて例もあるようだ。

 ニシダサイクルさんで話をしていると、ネットで買って、自分で組んで、何だか変?ってお客さんが持ち込みで来られるとという、、、、そして、その実態は、ブレーキ逆、ハンドル逆、ネジがグダグダの傷だらけ、、、、そんな例も少なくないと言う。

 実際、日曜朝にも、そういうお客さんと遭遇、、、、

 そこで思ったのは、、、、工具の使い方も判らない奴がネットで買うなんて、、、、そういう奴が多いのに完全組み立てで売らないなんて、、、、って事。他には、今時の男性、、、、工具も使えないんだ、、、、、、そういえば、空気入れも満足に出来ない人も居るんだ、、、、、って事。

 自分の常識、世間の常識の違いもあるんだろうけど、街を走っていて見ると、空気が入ってない自転車に乗っている奴も凄く多いし、異音を撒き散らしている人も少なくない。リムが振れまくり、、、って人も結構多い。

 そういえば、身近の自転車好きでスペックや小難しい言葉大好きの五月蠅い奴が居たけど、ステムガタガタに気付かずに乗っていたけど、、、そういう奴も多い。

 近所のガキの自転車で補助輪外した後に着けられたスタンドがグラグラで車軸を留めるナットが指で回る状態で、走り回っているのを見た事もある。見ていて、、、、コワ~、、、、

 工具使えない。不具合感じない。何故?って思う程。

 まぁ、我が家には、溶接機、旋盤、コンプレッサー二機から様々な電動工具、エアーツール(機械整備用、木工加工用、セメント施工用等)が溢れているから、これが常識とは思わないけど、それにしても世間の常識っていうのは、どこら辺にあるんだろうか?
 先日、サイトの日記に書いたのは、ネジは力尽くで締まるだけ締める系の話をしたけど、彼は原付のプラグ交換、車のスペアタイヤ交換も未経験といって工具は持っていないなんて話していたけど、どの辺が世間の常識なんだろう?

 まぁ、会社の現場を覗いても、案外、工具を正しく使うってのは無いのが実状。実際、入社して組み方を覚えて、、、って流れで、ホントに工具の使い方を理解している?っていうと、客観的に多分NGだなっていうのが本音の意見。

 これが現実。でもネットで買って、、、って、凄くお手軽な空想の話も飛び交っている。
 この錯覚と現実の乖離度合い、、、、恐いなっていうのが正直な感想。

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一体感!

 先日の記事に対するお客さんのコメントへの返答でも書いた事。折角だから、もう少し踏み込んで書いてみる。内容的には、自転車に乗って感じる一体感について、、、、これは、自転車に限らない、単車でも言える事。自分では、そういう域には達していないけど、もしかしたら四輪でも言える事かも知れない事だ。

 それは道具を扱う時に、道具から感じる感覚を如何に多く得られるか、道具を如何に活用しているか?次第だろう。

 これを自転車の場合で記事にしてみる。自分の場合、一体感を感じるのは、、、、正直言って、走行速度域が高い程、一体感を感じる。速度域が高い程、高い出力が必要。動力が必要でも、身体には過給器も何も付いていない。在るモノを利用するしかないのだが、高い速度域を得ようとする程、使えるモノは活用しないとダメである。勿論、持てる全てを同時に活用できるとは限らない。ある部分を使えば、ある部分が犠牲になる。そう言う事は、極普通の事である。結果として、トータルで大きな出力が生めれば良いのである。

 このことが、以前にも記事にした事にも繋がること。以前記事にした内容は、同じ人間でも使い方、考え方が変わればポジションはまるっきり変わるし、それに応じたジオメトリーもまるっきり変わると言う事だ。

 そう、速度域、走行時間といったターゲットを変えれば、全然変わってくるのである。その中で、走行時間とか、快適性を犠牲にしても、発生出力を最大にしようと思えば、それに応じた考え方が生まれる。発生出力最大というと、出力のために使えるモノは全部使うという考え方。考え方としては、最大限出力を上げて、抵抗要素は限りなく減らす。勿論、それを長時間維持出来る訳ではないが、それを承知で組み上げていく。常に身体で力を生み出しているのである。
 となると、その思いを実践する時には、チョットした位置の狂いが即座に違和感として感じられる。逆に、その違和感が無ければ機材を通して動力を生み続けているという一体感を感じる事が出来る。一体感をダイレクトに感じるかどうか?は、行為に対するフィードバック(感覚)が即座に帰ってくるかどうか?であり、長距離で心地よい疲労感という部分では、一体感という表現とは違う。自転車での一体感とは、狙う速度域が高い程、判りやすい。考えて見れば、長距離系よりは短時間でセットアップ出来るとも言える。疲労最小とするようなセットアップというのは、判断基準を得るのが簡単ではないように思う。

 自分の場合、狙う速度域が高いバイク程、身体の能力をフルに活用したい訳であり、そのための不具合を解消しなければ、動力は発生出来ない訳であり、そういうモノ程、乗って思い通りに動かした時、つまり、考えている速度域で走っている時に一体感を感じる事が出来る。自分の持っているバイクで速度域が高いバイクというと、ラングスターTT号、BSトライバイク、シルクR1ピストというところだけど、これらで最低40km/h、条件によっては50km/hオーバーで走っている時は、確かに、機材と一体になっているような感じである。
 逆に、DAHON系とか、ルイガノMVF改でゆっくり走っている時は、一体感という感覚はとても希薄である。狙う速度域が低いモノは、一体感というよりも使った後に残る疲労感の少なさというもの。走り終わった時に、疲れていない感覚だ。

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液晶画面のちらつき

 時々、パソコン用液晶モニターを接続すると、推奨解像度であるにも拘わらず、液晶表示にビビリというかチラツキが出る事がある。特に、白い背景に黒い文字、暗めの背景に黄色の文字とかを表示させると気になる。

 最初は、液晶モニターがボロイなぁ、、、、って思っていたのだが、どうやら違う見たい。

 その症状に始めて遭遇したのは、GREENHOUSEの液晶モニターだ。それが不愉快で使わないで放置していたのだが、別の場所で三菱のDiamondcrysta  RDT241Wでも同じ症状、、、、、これは三菱ブランドで悪くない評判では?

 で、ビデオケーブルを交換したり、コンセントのたこ足配線を改めたり、色々と対策しても改善しない、、、、、、

 で、悩んでいた頃、そのマシンの起動が失敗する事が増えてきた。

 行ったのは、電源ユニットの交換。

 その時思ったのは、ビデオ出力が不安定なのは、ビデオカードの動作が電源の劣化によって正常で無かったのでは?という危惧。

 そこで、チラツキの液晶パネルを再度接続する、、、、、すると、綺麗に映る。チラツキは皆無、、、、、、更に、仕舞っていたGREENHOUSEの液晶を新しいPCで接続してみる、、、、、問題無い。

 なる程、液晶表示品質には、ビデオカードの駆動電源の品質にも支配されるんだ、、、、気付かなかったなぁ、、、、、

 もしかして、コレって、常識だったのだろうか?最近、我が家のマシンは殆どがDUAL CPUなマシンばかりであり、相応の電源であり、その不具合には気付かなかったのだが、、、、電源ユニットって言うのは、性能表示に現れないけどマシンの安定度には非常に大きな影響を及ぼすようである。そう言えば、最近はHDDも壊れない。壊れるというのは、殆どが電源ばかりである。電源が劣化すると起動に失敗する事が多くなるけど、そうなったら電源を変えれば、傷が広がらないのかもしれない。

 確かに起動時は全てのデバイスが起動動作するので大きな電力を消費する。電源が弱っていると、機器動作で失敗するっていうのは、当然と言えば当然である。

 どんな機械も動力源が最重要だ。PCなら電源、自転車なら脚、、、、ハハハハハ。

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2010年2月21日 (日)

プロボックスをどうしよう?

 次の車はプロボックスで決定だ。
 グレードはワゴンの4WDのMT仕様、特別仕様車のF Extra Package Limitedってモデル。若者系的にもするつもりはない。完全自家用オッサン仕様車というノリである。

 ただ、業務車両と間違えないようにという家族の要望で、黒、白、銀はNGだ。特別仕様車だから紺色は選べない。となると、必然的にグリーンマイカという薄い緑色のメタリックカラーだ。バンパーからサイドモール、ドアミラーもボディ同色である。

 なお、見た目に多少の色気ということで、外装系のオプションには、この色でスタイルパッケージの申し訳程度のスポイラーセットが選べればチョイス。後はフォグランプセットくらい。内装には、通常のキット(バイザー、ナンバーフレーム、マット程度)にラゲッジカーペット、ドアエッジモールが選べれば付けるくらい。オーディオにナビは付けない。通常のCD+FM/AMチューナーで十分。あまりゴテゴテにする予定は無い。
 ただ、購入した後に車検対応のステンレスマフラーに交換するかもしれない。まぁ、未定だ。

 13インチのホイールもどうかな?って思うけど、インチアップしても元のホイールセットの差額で買える訳でもない。勿体ないので、ホイールはそのまま使う。摩耗してきた時に、ホイールとタイヤを纏めて交換という方針だ。

 そんなプロボックスだけど、春に何らかの改良があるらしい。何にしろ、その改良の情報で時期を決めたいと言う感じ。

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サイクリングで講釈垂れよかな?

 最近は知人と走る時は、質問に答えながら走る事が多い。普通の道では、乗り方、ギアの選び方、専用のコースでは、ライン取り等々、、聞かれて答える事は嫌いでないので、普通に話す。その場で、言葉で言った事を実践して見せながら、、見た時の違和感を、その場で話す事も少なくない。

 知ってか、知らずかは、知らないけれど、それを望んで?サイクリングしよう!って言われる事も少なくない。

 そういう訳だが、最近は身近にロードバイクが結構増えてきた。元々、出入りの自転車屋さんではロードバイクというと自分だけだったのだが、最近は企画したイベントには少なくない台数が集まる。最新は、先日B-ODR1を購入された方だけど、みんなで一緒に行きましょう!ってお誘いである。

 そういえば、自分のステンレスロードバイクもシェイクダウンしただけだし、イベントでサイクリング&レクチャーして和やかに過ごすのも悪くないかな?って思ったりする。

 例年、春先のこの時期は、オ・モイヨWW号で中央森林公園のタイムアタックを行うのだけど、今年は、フルサイズのロードでチンタラ走るのも悪くないかな?と思っている。

 勿論、考えを強要するつもりはない。希望を聞いて、現状を聞いて、それに対する意見を述べる程度だ。B-ODR1の彼は、早速、違和感というか次の希望があるようなので、それに応対してあげるのが最大の目的。ただ、口頭で聞いて言っても、どうしようもないので、見てから決めるパターンだろう。
 幸いにも、聞いてくる人は、現状を見せてくれるし、不満も教えてくれる。そして、自分的なスタイルが欲しいという事なんで、説明もしやすい。言った事を素直に受け入れてくれれば、ホント、何でも教えたくなるというか、考えを紹介したくなるものである。

 理由は、そこには信用するという信頼関係があるからだ。聞けるのは、今を全て素直に言ってくれるから。それが大事。

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2/14~2/20の週の検索ワードピックアップ

★トップ長?
 身長でトップ長の適正を調べる人が多い。まぁ、当たらずも、遠からずとでも言おうか、、、、どう使いたいか?で姿勢や踏み方が決まる。その上で、サドルセンターからハンドルクランプ、サドルセンター、ハンガーのセットバックも決まる。意識が変われば、その辺の寸法は結構変化する。勿論、体型、関節の状態でも全部違う。それ故に、身長が幾らだから、これはどうだ!っていうのをダイレクトに言う事は不可能。
 一番ヒントになるのは、大手国産メーカー完成車のサイズと適応身長表を見る事を薦める。ブログの検索フレーズには身長170cmでトップ長537mmはどうだ?って事があったけど、、、これ、海外ブランドのフレームなら容認している数値。でも日本製ならどうかというと、一般的には10~15mm程大きい数値となっている。勿論、この程度ならセットバックで調整できるけど、それを換えると、他の数値もだいぶ変化する。まぁ、一般論的に言うと、170cmの身長なら国産マスプロ車ならトップ長は520~530mmくらいだろう。そしてリーチは600mm位では無いだろうか?
 想像だけどトップ長537mmのフレームのステム長は90~100mmだろう。すると、サドルセンター~バークランプ迄のリーチが627~637mmとなる。国産マスプロ車と較べると長めである。こうなると、アップライトにしなければ上体から腰に負担が掛かりそう。アップライトにすれば大丈夫だろうけど、、、因みに、身長171cmの自分のモノと較べると、、、、長すぎである。余談だが、自分の乗るリーチは590~600mmくらいのものだ。それ以上となると、ドロップバーは使わないな。なお、辻褄合わせにセットバックを換えると、実質シート角が相当に変化する。すると、、、、なかなか乗り方が思い通りに為りにくい事も有り得る。

★オッサンの筋肉
 そりゃぁ、鍛えたら付く。但し、時間が掛かる。筋肉を付けるのが目的か?動作の為に筋肉が付いた状態になるのが目的か?でも違う。
 少なくとも、筋肉を付けたら自然と何某の能力が高まるのを、ほのかに期待するというレベルでは、ダメかな?

★ペダリングで前へ蹴る?
 少数ワードだけど、こういうのも在った。なんだ?リカンベントでも乗るのかな?思い付かないけど、多分、そういうのもアリだろう。結局、自分の身体でペダルを回す時、一番効率よく身体が使える方法は?という主義や主張次第だから。
 自分の思いを具現化して、それを信じて取り組む。悪くないと思う。結局は盲目的に従うか?自分のスタイルを信じる事が出来るか?である。恐らく、結果が出る前ならば、指導者的には、王選手の一本足打法、野茂投手のトルネード、イチロー選手の振り子スタイルはNGだろうけど、既存の方法でなければ結果が出ないとは言えない。出るかでないか?は、結局、取り組む人の思想的な拘りが在るかどうかであり、単なる猿まねなら、どんなに推奨された方法だって意味は無い。

★小径車でダンシング
 出来るモノも在るけど、やりにくいモノの方が多い。小径車で改造、、、、フルサイズに叶わないという人もいれば、そうでないと思う人もいる。言えるのは、小径車で何かをしたいと思う人次第である。ダンシング出来るようにも出来る。フルサイズと同等以上に走るようにも出来ると思う。但し、小径車、フルサイズに拘わらず、自分のスタイルを活かす形が作れるかどうか次第である。それを自覚して、そういうモノ選びをすれば、モノは間違い無く答えてくれる。そういうものだ。結局、意思次第ということである。
 勿論、モノ選びの際の基準は、モノをどう利用するか?という自分の判断基準に従うのは言うまでもない。

★ステンレスフレームロードバイク
 乗り心地云々の検索がある。残念ながらマテリアルの効果を特定して言う事は出来ないが、アルミスローピングのラングスターよりは柔らかいけど、レイノルズ531の小林ロード、BSのカイセイクロモリロード、シルクのピストよりはシャキッとしている感じ。まぁ、錯覚のレベルかも知れない。タイヤは共通でもホイールが違うからね。
 一番の違いは、チタンとも違う独特の光沢。そしてラグレスでビードが磨き上げられた非常に美しい仕上がり。何にも似ていない。重厚感のあるメタルの輝きである。因みに、本バイクは非常に軽量。メインコンポ以外は適当組なんだが、更に、ライト、ベル、ペダル(鉄クリップ、ストラップ付き)、ボトル等々フル装備でも8.4kgしかない。ほんの少し、軽量化の色気でも出せば7kg台になるのは楽勝。そんな感じ。
 この独特フィールは外せない、、、、、誰も乗っていない、誰も持っていないというのが最高である。少なくとも、自分レベルが思いっ切り踏んでも車体が歪むとか、そういうのは感じない。自転車の性能なんて、乗り手へのフィッティング度合、その他の要素は、趣味性オンリーだから、これは或る意味一生モノである。

★白いインターマックス兄さん
 こんな検索ワードがあるなんて、、、、ビックリだ。本人さんか?とも思う程だけど、ホームコースで遭遇した中で最も変な人である事に間違いない。
 全部覚えている。多分、今見ても直ぐ判りそう、、、、、絡むくらいならブッ千切れと言いたい程、、、、、少しは変わったかな?

★NJS
 小ネタ、、、、アクセス解析で、興味深いドメイン、、、、競輪関連がポンプを調べるの?って思って逆引きしてみた。NJSの略号が上下水道関連の略号だったみたい。
 チョット笑った。

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2010年2月20日 (土)

好奇心

 好奇心は大事である。
 何かする時の原動力だ。好奇心というのは、知りたい願望、為りたい願望の総称だろう。何故?っていうのは、知りたい、出来たいと言う事だ。

 これを満たすのに何が必要か?というと、その知りたい世界の事である。その新しい世界に転がっている事をモノにしたい訳だ。

 モノにするのに必要なのは何か?

 それは、その世界の常識であったり知識であったり、その世界の進歩の由来であったり、歴史だったりする。そのような知識が、知りたい世界の流れを見せてくれる。その世界の価値観を理解するのに必要なのである。

 好奇心を満たす、、、、そこで必要なのは、その世界の基本的な知識である。それを得る手間を惜しむかどうかが?望みが叶うかどうかの分かれ目だろう。

 好奇心を満たす、疑問を氷解するには他には何があるか?

 これは、その世界を学ぶ事も大事だけど、先人の意見を聞くということも大きなものである。
 先人の意見を聞く場合、一方的な話を聞くだけ、雑紙を読むだけでは、当然理解出来ない。それは、上のレベルの一般論であり、その理解の仕方さえ判らないからだ。

 ここで情報を仕入れる時に情報の精度が身の程に合うかどうか?それは、、、、、、聞く側が己をさらけ出す事が出来るかどうか?に掛かっている。つまり、体裁や、良い格好に囚われないか?が大きな分かれ目である。

 この二つ、全く違うようで、実は同じ事なのだ。

 自分の無知をホントの意味で何処まで理解しているか?なのだ。判ったようなつもりに留まれば、学問的な掘り下げも不足する。そうすると、本を買って単語を覚えるだけに留まる。これでは意味がない。身近な情報を仕入れるにしても、ホンネや目的が出せなければ、本当の答えには行き着かない。

 そうなのである。好奇心を満たす最初の段階とは、体裁に囚われない事。もっと言えば、素直に為る事なのだ。素直になって自分の言葉で自分を表現する事が最低限度必要な事だろう。

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ほったらかしでも、、、

 兄弟が居ると、下の子に手を掛ける度合が少ない気がする。
 上の子の場合、全てが初めての経験であり、沐浴、遊び相手、トイレトレーニング、お絵かき、食事、、、、と割と一生懸命接していたように思うけど、下の子の場合、気楽というか気軽というか、手を抜いている訳ではないけど、目が行き届かなくなるのか、そういう傾向にある。

 しかし、教えていなくても、いつの間にか、それなりに出来るようになるのには驚きである。トイレトレーニング、食事等々は、兄弟を見て育つような感じである。

 上の子はベネッセコーポレーションのしまじろう関連の教材、絵本を与えていたけど、下の子は、、、、最近は、どうでも良いかな?とも思っている。

 理由は、、、、、少し早めに算数とか国語とか、、、そういうのを教える必要があるのだろうか?という気持ちがあるからだ。初めて習う瞬間が、幼稚園とか学校と教材を見た時と違う瞬間というだけだ。どっちにしろ、最初見た時は判らない訳であり、そういう教材をするから賢くなるのではない。他の子が初めて見る瞬間より前に見ているだけであり、やっぱり、初めて見た瞬間には理解が乏しい訳だ。

 そんな僅かなタイムラグが有意義か?っていうと、、、、どうでも良いような気がする。

 勉強を人より早めに行う事が大事か?というよりも、早めに物事を進める前に、その時期に、子供なりに好きに過ごさせてやる方が良いかな?とも思うのである。

 算数、公文、英語を早めに習わせる事に意味が見えない。親の気持ちとしては、賢く育てたい人が多いのかな?好きなように、元気に育てる方が自分としては好みだ。
 そういう理由は、、、、やっぱり塾経験での印象。親が子供に早くから色々させた子供ほど、今一な感じが強い。元気な子供程、発想が豊かな気がする。

 仮に、教育という尺度で賢くなくっても、最終的には殆ど差異は無いような気もする。振り返ってみると、子供達に強要する勉強とか、そういうモノで生まれる差の顕著なモノが学歴だろう。学歴が社会に出て大きな差異を生むか?というと、生まないとは言わないけど、その差異が大きな影響を及ぼす社会というのは、一般社会で言うと非常に限られた世界である。余程の企業や組織でない限りは、子供時代の教育レベルの差が大人になってからの差異には結びつかない。少なくとも、待遇面では大した差は無いような気もする。

 そんな事を考えると、子供はのびのびと元気に過ごさせる。これが一番のような気もする。勉強なんて出来なくても良いかな?っていうのが正直な気持ちである。

人間として最低なのは、取り繕うような性格、素直でない性格、見栄っ張りな性格、、、、そういう風には育てたくない。どんな状態でも自分の事が大好きと思えるような性格に仕立てたい。そんなところだ。

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2010年2月19日 (金)

拘りたいのは、

 先週、ラングスターのステムを90mmから65mmに交換した。サドルのセットバックも変わる。ハンドルクランプのハイトも変わる。ポジション的には総替えである。前のポジションも嫌いでは無いけど、今度のポジションは更にイイ具合である。

 最初、納車の段階でも当然不満は無かった。その後、サドルを交換してもそうだ。DHバーを付けてもそうだ。しかし、乗り方が変わる程にポジションも変化していく。乗り方次第で全然変わる。そして、この度は、乗り方を再び換えたので、当然、ポジションも変化する。変化しても新しいベストにいきなり到達出来るか?というと、二日間要した訳だ。少し乗っては調整、、、この繰り返しである。これで答えに辿り着いた訳だ。

 そういえば、BSテーラーメイドフレームを使ったTTバイクもそうだ。シェイクダウンでは気付かなかったけど、昨年春のツーリングライドでは、休憩毎にポジションを変更した。そして得たスタイルがあのスタイルである。
 そのスタイルと今回のラングスターのスタイルだけど、期せずして、なんとサドル重心位置からステムクランプ迄の距離、DHバーのパッド迄の距離、サドルトップからハンガーまでの距離、セットバックが5mmの狂いも無い程に殆ど完全に一致しているのが笑った。

 考えてみれば、100kmオーバーをハイペースで牽くためのバイクで、そのためのポジションということで、よくよく考えてみれば同じような用途が核に在るのである。結果、同じになるのは当然といえば当然。良かったのは、同じ目的を意識せずに自分で位置調整した結果が全く同じになっていたというのは、思いを具現化する上で、違和感を感じるセンサーが狂っていないと言う事でもある。

 更に遡れば、西DAHON号だけど、これもポジションは起案の段階から考えれば相当に変化している。用途を換えたから新しいベストポジションが即出来るか?というと、そうでもない。乗ってみて感じて修正する、、、、そういう試行錯誤の積み重ねが必要なのである。その結果得た今のポジションっていうのは、実に乗りやすくイイ具合だけど、用途に応じたベストを作る事が自転車には特に大事であり、車輪サイズ、コンポグレードなんて乗りやすさには殆ど影響しないのである。良い自転車っていうのは、乗り手の癖を包有して違和感を感じさせない自転車ということ。そういうモノと人の関係が出来て初めて機材が云々、インプレッションが云々って話が出るんだろうと思う。

 単車にしろ、自転車にしろ、乗ってみる?とか、乗せて!って話は良くある話だけど、その瞬間的な何かで良さが判るというか、感じ取れる事はまず無い。フラシーボ効果で良いかも知れない、、、、という程度の感想だろう。実際に使って思いが具現化出来るかどうか?が最重要であり、それには、ブランドとかグレードは二の次なように思う。

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携帯電話に使われて、、、、

 自転車に乗りながら携帯電話を操作するバカが多い。

 法律で禁止されても、同じく携帯電話を操作しながらクルマを運転するバカも多い。

 でも、普通に見ていると、一寸した瞬間や合間に携帯電話を操作する人も多いし、歩きながら携帯電話を操作している人も異様に多い。

 そんな携帯電話だけど、クルマの運転以外で注目なのは、通話している人よりもメール操作している人の方が圧倒的に多いと言う事。

 そもそもメールっていうのは即時性が無いので、送信しても受信者が何時読むか判らないモノ、、、、、それって、敢えて、ながら操作で送信する必要があるのか?というと、これは、携帯電話の機能に踊らされているだけのようにも見える。

 携帯電話っていうのは、持ち運びが便利で、持ち運んだ先で利用するというのが基本なんだろうけど、今の携帯電話は、何か別の行動と並行して使う、ながら使用の為の道具になっているようだ。
 少なくとも、移動時においては周囲の情報を収集する必要があるので、そういう時に、察知能力を著しく低下させる携帯電話っていうのは好ましいモノではない。

 個人的には、携帯電話は嫌いである。

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2010年2月18日 (木)

空きっ腹に脂っこいモノは、、、、

 以前、空きっ腹で大量のドリアを食べる事になって、ムカムカして気分が悪くなって戻し気味になったことがある。

 この週末、同じく、空きっ腹に大量の手作りバタークッキーを食べる事になって、ムカムカして気分悪くなって戻しそうになった。

 大量にモノを食べるのは慣れているけど、空きっ腹にバター、マーガリンのような超高脂質なモノは、どうやら身体が受け付けないみたい。
 急速に気分が悪くなり、ムカムカして、こみ上げるような感じになる。絶対量を食べていないので戻す事も出来ない。何か普通のモノを食べて薄めれば良いのかも知れないが、それが出来るような余裕が無い。

 結局、消化して気分が回復するのを待つしかない。

 この週末でのクッキームカムカは、軽めの夕食後、今度は腹が減ったので、チャーシュー麺に高菜と卵を入れてガッツリ食った。

 そうすると、、、、あら不思議、違和感は全くなくなる。つまり、食べ過ぎで不調になるのでなく、空きっ腹に脂質を大量に摂るというのがダメなんだ。

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DVDレコーダー修理

 昨年、購入したいVHSも読めるデッキ、DMR-XW200Vだけど、2/3に障害が発生した。内容は操作一覧ボタンが効かない。そして、ガイドボタンを押すとメッセージが出る。内容は、内部エラー(B001-32)で、内部のファイルにアクセスできない、、、、、そういう内容。

 このデッキの保証期限は2/9で、後一週間という状況。

 そこで、最初にサポートサイトで調べると、本体の電源ボタンを3秒長押ししてリセットし、コンセントを抜いて一分放置すると強制リセットが可能で如何?ということ。

 並行して、修理サポートにも修理依頼。

 すると、サポートサイトの情報で一応復帰した。同時にテクニカルサービスから点検、、、、結果、リモコンの交換で様子を見ましょう。との解答。保証期限云々を効くと、保証期間内の修理で同じ症状が三ヶ月以内に発生したら、無償対応とのこと。

 すると、2/14に、再度障害発生、、、、今度は電源回りの強制リセット動作も受け付けない。修理に来られたエンジニアの方は、その時点でHDDが壊れているのかも知れないとの解答を頂いたのだけど、その旨を再度電話で連絡。

 結果、HDDユニットの交換となった。今回の修理でHDDユニット部分の保証は3ヶ月程延長された訳だけど、それを過ぎると有償になる。なお、今回の危惧を察してかどうか?は知らないけど、サポートの方は、内部のデジタル基盤、DVDドライブも交換。既存部品としては、電源、VHSユニット、ケースのみとなった。
 今回、ユニットの解体作業を見て驚いたのは、内部HDDは完全に普通のパソコン用HDDである。代品のパッケージもメーカー出荷状態のままである。組み付けてデッキ起動過程で専用フォーマット作業が行われるようである。つまり、、、、次回以降HDDが壊れたら、もしかしたらPC用のHDDに勝手に交換しても大丈夫かな?って印象だ。
 本機は、先代のVHS一体ユニットであるEH70Vの不調で調達した機種。調達段階でXW200Vは流通在庫のみであり、ヤマダ電機で通販購入したのだけど、やはり家電は5年の長期保証が付けれるモノが望ましい。

 今回の不調発覚は、CATVのSTBであるTZ-DCH2810を交換する工事が迫っており、STB内のHDDに保存した番組をダビングする時に発覚したのである。STBの交換が2/20と決まっている。それまでにHDDからダビングする必要があるのだ。

 まぁ、EH70Vが普通に使えているので、今回はXW200Vの修理の日取りに余裕を持ち、本機を寝室で使う事を前提にして、新たにHDDレコーダーを調達済みだから大丈夫。何故にHDDレコーダーを調達したか?というと、春モデルが登場直前なら、昨年夏モデルが安価で売られるから。型遅れで結構。半年経てば型遅れだから気にしない。必要な機能はi-Linkと大容量HDDだ。それが在れば何でもOKなのだ。

 今回、XW200Vの位置に置いていた場所には、1TBのBDレコーダーがセット済み。勿論、STBであるTZ-DCH2810内のHDDはダビング済みだ。

 XW200Vは二階寝室のDVDプレーヤーと交換し活用する予定。なお、BDレコーダーの調達では新しい薄型テレビも見てみた。
 従来の蛍光灯バックライトの液晶、最新のLEDバックライト液晶、人気落ち目のプラズマ液晶の三種類。輝度的には蛍光灯バックライト液晶は見えにくいし、応答も今一。LEDバックライト液晶は高輝度で見やすいけど、画面表面がガラスパネルとちがうので艶やかさが足らない。微妙に追随性も劣る。プラズマはどうか?っていうと、艶やかさはあるけど明るい場所では輝度不足気味、、、、、一長一短である。

 確かに、家電を家具として捉えると薄型も悪くないけど、HDブラウン管から買い換える程では無い。動画表示媒体として捉えると次の三点が必要。

1.明るい場所で見える高輝度
2.色映え重視、艶やかさ重視で出来れば光沢画面が望ましい。
3.後は追随性というところ。

 艶やかさを望み光沢画面が欲しければ、映り込みに負けない高輝度が必要ということだ。最新のLEDバックライト液晶とプラズマの良いとこ取りの機種が出れば考えたい。
 待てど暮らせどでないSED、FEDテレビよりもLEDバックライトの液晶テレビにアクリル系パネルを被せて使うのがベストかな?とも思う今日この頃、、、、実は、自宅のPCメインマシンは、古いシャープの液晶パネルにグレースモークのアクリルパネルを重ねて使っている。これが良い具合だが、こんな感じになるかな?と思ったりする。

 さて、今週末はSTBの入れ換えである。一年単位で視聴形態がアップデートしている。

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2010年2月17日 (水)

フィギュアで銀かな?

 オリンピックが始まった。メダルの期待!って言葉を良く聞く。

 でも、世界の国々の中の代表選手が競う訳だ。それぞれにメダルの期待が掛かっているんだろう、、、そう思うと、マスコミの言うメダルの期待っていうのは、過度にプレッシャーになっているのかな?って気もする。

 そりゃぁ、メダルが取れれば嬉しいけど、そんなに簡単には、、、、というのが正直な感想。いろんな空気がメダルの取れるレベルというのを見えにくくしているような印象だ。

 この記事を書いている段階では、上村選手のモーグル四位が最高位だけど、大会に連続して出場して、順位を着実に上げている。それだけで凄い事だと思うし、メダルに手が届かなかったのは残念かもしれないが、その様子を見ると、四年ごとに出場し、順位を上げる事の難しさ、世界のレベルの進歩の速さに驚くばかりなんだが、そういうのを見ると、メダルっていうのは簡単に期待して良いのか?と思うのが正直な印象だ。

 選手の頑張り、サポートの努力は凄いだろうけど、この世界なら多分、何処も同じ様なモチベーションの上に成り立っている。その中で結果が期待出来るか?出せるか?っていうのは、そういうレベルの競技会で勝ち続けているとか、そういう状況でなければ考えにくいし、歴史的に競技での強さが続けて維持出来ているか?が無いと、やっぱり安易な期待は出来ないという印象だ。
 そりゃぁ、出場している選手には、全て金メダル!って気持ちで応援するのは確かだが、ムーブメントで過剰にメダル!メダル!と大合唱するのは、チョット違うように思う。恐らく、出場する選手は選手なりに目標を立てているだろうが、選手によっては外野の声に同調出来ない選手も居ないとは言えない。当人にしか判らないメダルの重さに対する拘りがあるのでは無いだろうか?

 報道されている内容から個人的に思うのは、金メダルが狙えるレベルっていうのは、フィギュアスケートくらいかな?というと控えめだろうか?金メダルっていうのは、現実、相当な幸運が重ならないと厳しいというのが、偽らざる感想だ。分け隔て無く見ると、キム・ヨナ選手が最有力で、対向に日本人という印象。
 スピードスケートも前評判は高いけど、金メダルというと、どうだろうか?男子500mは伝統的に好成績を残してきた事を考えれば期待出来そうだけど、金メダルという幸運は難しいかもしれない。女子の短距離も注目度は高いが、世界のレベルも高く正直予想は困難だ。

 最高位はフィギュアでもしかしたら金、順当に銀か銅、スピードスケートでは男子500mが上手く行けば銀、順当には銅か?女子500m、1000mではメダルに手が届くか?というのが報道される情報から感じた正直な感想。

 そんな報道される情報とは別に個人の考えとしては、まぁ、メダルに拘らず4年間の集大成で競技に挑む姿というのが一番だろう。競技が何たるか?そのレベルがどうか?が判らない。判断は報道される内容を通してだけの事。それ故に予想が付かないというのが正直なところ。みんなに金メダルと軽々しくも言えない。静かに、世界一を決める競技を観戦するということしか出来ないのが現実だ。

 何にしろ、世界最高峰の競技がテレビで観戦出来る。これが一番だ。

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あと5ヶ月無い、、、

 息子のコロ無し自転車マスターの目標期日(?)迄、5ヶ月を切った。出来れば、二歳の内にコロ無しの自転車をマスターさせたいのだが、なかなか難しいかもしれない。

 取り敢えず、室内でバランシングバイクでバランスを取りながら走るのは出来るけど、屋外で幼児車に載せてのチャレンジは難しそうだ。

 まぁ、幼児車のスタイルに問題があるかもしれない。手押しの補助棒+補助輪、ペダルという構成なのが屋内でのバランシングバイクとの違いを大きくしているかもしれない。

 ペダルを漕ぐという前に、屋内同様に足蹴りで進む練習をさせるべきなんだろうか?脚の長さが、後二センチ程伸びれば、それも可能だけど、今の状態は難しいかな?という状態。

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ダンベルで痛めそうなのは、、、

 ダンベルのグリップをフリーのタイプに変えて、重さを30kgにしている。
 怪我によるパワーダウンも解消し、左手の違和感はあるけど大丈夫と言える状態だけど、ダンベルのフライとプレスを行っていると厳しい箇所がある。

 それは、、、、寝そべった状態からダンベルを握って手首を返す時の手首の負担だ。特に、痛めていない右手の手首に負担感が強い。

 ダンベルのグリップがウエイトと固定されていた時は意識しなかったけど、グリップがウエイトとフリーになってからは、何故かキツイ。バー構造が変わってダンベルのウエイトが増えたのも多少の影響があるのかも知れないけど、それでも手首に負担感が強い。

 マットの上に寝そべる手を広げて片手にそれぞれ30kgのダンベルを握る。そして手首のスナップで浮かせて手首に載せる。そこからダンベルフライを15回行う。そのままダンベルベンチプレスを15回行う。これがサーキットメニューの入りの動作だが、このサーキットメニューを計5セット行う。この3セット目辺りからのダンベルフライに向けての手首のスナップが厳しい。

 ダンベル自体を台座を準備して一定の高さから始めれば問題無いのだろうけど、そういうモノを持っていないので、床面からのスタートとなる。それ故に、純粋に30kgのウエイトをスナップだけで手首に載せるのだが、これが厳しい。

 今、グリップフリーのダンベルシャフトは巾が44cm程である。グリップ部はシャフトにパイプカラーが入る構造で、グリップ径がスクリューシャフトの30mmよりも太く40mm近くある。このグリップの径の違いも影響してそうだ。グリップ径28mmの激安ダンベルは細すぎて力が入れ辛い。30mm径は扱いやすい。しかし40mmはグリップを握りきれないので力が入り辛い。この微妙な違いが負担度合いに大きく効いてくる。

 そう言えば、上半身の筋力は結構重要だ。左半身に力が入らなかった時は、昼ポタでもダッシュ不能だったし、ラングスターではヒルクライムが厳しかったけど、回復と共に目に見えて余力が増える。上半身も活用しているのが改めて判る。
 スイムもそうだ。負傷翌日のスイム、翌週のスイムでは速度の保ちと乗りが悪かったけど、今週のスイムは多少の違和感はあるものの、速度、持続力共に負傷前並に回復した。

 早く完治させるのも大事だけど、やはり上体も自分のイメージに従って保たなければダメだ。

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2010年2月16日 (火)

自由?

 最近よく見る光景。オリンピックのHPの国母選手のスタイルではないけど、ズボンをずらして半ケツで歩くようなの、、、、正直、嫌いだな。以前、会社の作業服でも同系が居て注意した事在るけど、あれって、どうなの?という印象。私服ならいざ知らず、公式なスタイル、制服系でやっているの見たら、違和感感じる。

 それ系ばかりでないだろうけど、それ系の選択に125cc以上、250ccクラス中心のスクーター、これに怪しいエアロパーツつけて、車高落として、得体の知れないマフラー付けて、クリアテール、クリアレンズ仕様、中には爆音オーディオの人っていうのが多い。こういう組み合わせは、特に受け付けないな。

 あの手のスクーター、車重は結構重い。170kg級であり、昔のフリーウェイ時代の120kg台とは違う。それに過剰装備+バランスの悪い低車高、でもエンジンはガスの薄い250ccの単気筒、、、、、道路の流れから見たら粗大ゴミみたいなモノ。特に上り勾配では悲惨な程、、、、車高低くて、重くて、ディメンションも狂っている。真っ直ぐも究極的に遅いけど、団地の上りとか山道なんかは悲惨な速度、、、、サッと抜けばよいのだけど、デカイから邪魔でしょうがない。
 ただ、全体の雰囲気が、現代流自由をアレンジしたスタイルみたいで、、、、誰も注意しない。それ故に、無法状態が野放し、、、、、最近はスクーターの信号無視は見ない日がない程、、、、、それ故に、受け付けない。

 まぁ、自由!って事で良いのかも知れないけど、、、、どうも違うって感じ。

 自由ということで、独創の自我を主張するならまだしも、何故に、みんな同じスタイルで、同じ乗り物に乗るの?って考えると、それは主張が無いから。みんながやってるから、自分もやっちゃう、、、、そういうノリだろう。主張というよりも、迎合して世間の価値観に自らが染まる、、、、カメレオンみたいなモノだろうか?

 同じように誉められた行為で無いだろうけど、主張を持って好き勝手して暴れる奴の方が好きだな。連んで人と一緒の価値観に染まる、、、、、そういうのは、好みでないけど、特に、威圧的な空気を出す系統っていうのは、最も嫌な部類だ。

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メーカーの好みは購入判断には影響しないけど

 大昔、中学生時代だっただろうか?メーカーに対して好き嫌いが在ったのは覚えている。単車の世界だけど、当時の意識はカワサキが好き、他はどうでも良い、ヤマハ、スズキが嫌いというモノだったように思う。

 しかし、そんなどうでも良い拘りはいつの間にか消えてしまった。好きなモデルをピックアップするとメーカーの垣根なんて存在しない。

 でも、名残的に、、、好きと言うよりも、好きでないメーカーというのがあるのは確か。

 単車の世界では、ヤマハが好きではないというメーカーである。でも、不謹慎ながらヤマハのバイクも数多く所有して、未だに大好きなモデルも在るし、これから乗ってみたいモデルもある。好きなモデルはRZ350系、乗ってみたいのはTRX850、SZR660というモデル。でも、メーカーとして好きでない理由、、、、、何となく、二番煎じという印象が強いから。勿論、先に挙げたRZとかTRXとかに当て嵌まるか?というと、そうでないかもしれないが、売れ筋のモデルのリリースの仕方、、、、昔で言えば、XJもしかり、最近で言えばR1もしかり、更に遡れば、HY戦争ではないけど、販売台数という価値観で会社の動きが表面に見えるという姿勢がチョット苦手とでも言う感じ。

 さて、本題のクルマの世界、、、、クルマっていうのは二種類ある。それは、白モノ家電的な耐久消費財的なモノ、もう一つは盆栽的な趣味的なモノとしての存在である。

 この二種類の見方で見ると、好きなメーカー=嫌いなメーカーという事になるのが怪しい考えだ。

 趣味性の世界でどうか?、、、、、、趣味性とは性能以前に大事にしたいのは主張である。趣味性、見栄という側面が重視される製品群、乗用車系統では、やはり避けたいのはトヨタである。昔のサニーのライバルであるカローラ、FFファミリアコピーの初代ターセル/コルサ、エスクードコピーのRAV4、ステップワゴンコピーのノア/ボクシー、ストリームコピーのウィッシュ、、、販売力と分析力で売れる商品を作るという意味では最高である。トヨタ的高級の具体化がレクサスだとすれば、あの姿の雛形には間違いなく欧州高級車の姿を重ねている。それで得たモノは、機能的には優れ、多くの顧客の支持を得ているのかも知れない。しかし、道具というよりも思想というか哲学の部分では最悪である。
 逆に、この趣味性の部分で主張というかアイデンティティが見えるのは何処か?っていうと、やはり、国産で筆頭はホンダだろう。他にはどうか?っていうと、総合メーカーとしてはマツダというところ。スバルとかスズキは、そういう存在価値でしか生き残れないから判定しないけど、総合メーカーでありながら、一応、芯を感じるメーカーというのがホンダやマツダではないだろうか?

 しかし、道具的な世界でどうか?こうなると、トヨタの独壇場だろう。他の選択肢は有り得ない。昔ならばマツダがその位置に在ったけど、色気を出した結果、タイタン、ボンゴは壊滅状態。

 このように書くと、トヨタの凄さは、与えられたターゲットを完成させる力である。趣味性の世界では独創性は無いけれど、模倣する対象があれば完璧に上回る力を持っている。目標があれば強いのである。これは、道具の世界での強さと重なる事だ。つまり、道具という目的が見える世界では、その優れた道具を生み出す力は凄まじいモノがあるのである。これは強いメーカーの姿である。
 利益追求型の企業の姿としては、実に強力で頼もしいものである。オリジナルであるかどうかは問題でなく、そこにチャンスを見出したら強力に利益を得る。凄いの一言である。確かに、結果が全ての世界であり、どんなに優れたアイデアであっても売れなければ弱者っていうのは判っている。勝ってナンボの世界なのは確かだ、、、

 でも、それが好きか?っていうと、、、、、実は好きでないのだ。具体化したターゲットがあるから強いというのは、思想でゼロから1を生み出す強さでなく、1を2にする効率というか速さにおける強さだからだ。自分の思想では、ゼロから1を生み出す、価値観を提案できる強さが好き嫌いの尺度であるからだ。

 そういう意味で、強くて優れたメーカーはトヨタだけれども、やっぱり好きとは言えないのである。出来が悪くても、詰めが甘くても、その世界を切り開いた部分こそを大事にしたいのである。

 大企業よりもベンチャー、サラリーマンよりも自営業、追随よりも独創、、、、好き嫌いの尺度は優劣に非ずである。
 これからの未来において日本企業が生き残るのは、後を追っていてはダメな筈。これからは追われる立場にある。追われても追い付かない逃げの力は、思い付かない価値観の提案こそ必要。そういう意味では、ゼロから1を生み出す力を感じる企業が好きという判断になる。そういう意味で、案外、価値観を誘導出来なければ大企業とて厳しい時代を迎えるかもしれない。

 因みに、この判断に今のリコールネタは全く考慮していない。寧ろ、プリウスの空走時間ネタは気の毒。これは基本はABS制御ネタであり、ABSのブレーキでは多かれ少なかれ感じる現象。情報が錯綜しているようで、気の毒だと思う。
 北米のアクセル戻らないネタの多くは、カーペットの二枚重ねによる使い方の問題も多い。其処まで言うか?というのが正直な感想。

 過去において、リコール隠し等々が他メーカーで騒がれていたけど、アレだってマスコミが言う程の特化した話か?っていうと、、、微妙だ。今や自動車は、裾野の広い産業で、同じ部品がメーカーの垣根を越えて使われているのが現実。似たようなトラブルは何処でも起こりうる。実際、自動車関連の二次下請けで働いていた事もある。関連会社で自動車産業の仕事を請け負う企業とも仕事をする事もある。自動車に限らないが、機械工業と深く関わって仕事をする事も多い。
 そこで感じたのは、公に出ていない言いたくない事の方が遙かに多いと言う事。監査毎に隠すなんて、、、、当たり前だろう。性能だってそうだ。受験セッティングも当然ある。中には、受験用特別仕様もあるし、機械性能の改竄データ収集(当然、監査で見破られない仕組みの)システムだって世の中には無いとは断言出来ない。組織が大きくなればなる程、ホンネと建前が同居するのが現実だ。

 そういうのが報道される事はメーカーのイメージに大きな影響を及ぼすだろうけど、今回の自分の判断では、リコールネタは全く考慮していない。今回の判断は、そんな短期的なニュース市場への話題露出度合とは違うもの。

 その前提の断りを入れた上での話。それでも、弱者の選択、論理かもしれないが、このネタの選択肢としてはホンダが好きだな。

 但し、トヨタが嫌いなメーカーだと言いながら、次はトヨタのクルマを第一に考えている訳で、メーカーに対する拘りなんて、実際のところ、モノを買う判定には全く無関係なんだな。
 実際、道具と割り切ってユーザーとして考えれば、その方向性が明確で顧客に強力な訴求力を保ったトヨタ車は実に魅力的なのは間違いない。

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国産車、私的最良は?

 ずっと悩んでいるけど、クルマについて、、、、、

 思うに、自分の判断基準から見て国産車最良のクルマはプロボックス/サクシードのようなクルマだと思う。
 今の自分の要求からすると、プロボックスのMT車こそが最良の選択だ。

 他の選択としてカローラフィールダー、エスクードのMT車が在ったけど、最後はプロボックスがベストと判断した。

 望むのは生活の道具。耐久消費財としての存在である。頑丈で、使い易く、低コストで、、、、そういう見方をすると、カローラ、エスクードは色気(趣味性)を得る変わりに犠牲にしているモノが少なくない。

 エスクードも悪くない。メカ的、デザイン的には一番好み。でも、大きさ、重さは機動性から見ると譲れない。幅1810mm、高さ1700mm、重量1.6tonはデカイ。タイヤサイズも17インチと巨大。前のV6エスクードでも1350kgで16インチのタイヤだったけど結構早くタイヤ交換していたが、それ以上だろう。V6エスクードを辞めた最大の理由は燃費だが、4気筒とは言え1.6tonで2.4Lとなると燃費はV6-2Lより良くなる見込みは極めて薄い。つまり、前回にエスクードからエリオに乗り換えた理由そのままの理由でエスクードは見送りだ。まぁ、タイヤ代が云々、維持費が云々という経済性よりも何よりも、幅と全高というサイズ的な問題が最大のネック。

 カローラも悪くない。特別仕様車のHIDエディションなんて安価で装備も充実している。全長(4420mm)の割りに荷室長(880mm)が長くない事もあるけど、それでもエリオ比で80mm長い訳だし、メカニズム的に嫌い?な電動パワステとかトーションビームとかFFとかでも普通に売ってるし多くのクルマに使われている。それ故に、自分が実際に使うにして不都合は無い訳だけども、最後は、やっぱりカローラって名前がネック。意識して回りを見ると、、、、振り向けばカローラ状態。交差点が曲がって一台、駐車場でも見える範囲に必ず一台は居る。そんなクルマ。良いから売れているのだろうけど、カローラに対する印象が、、、、、なんていうか、クルマに拘りの無い人が取り敢えず選ぶ印象だったり、迷ったらカローラにすれば大丈夫というか、そんな印象。機械としては非常に優れた良い機械というのは認めるけど、その良さは多くの人が平均的に認める良さ。大事にしたい個性という面が全く無いのが最大のネック。何度も言うけど、クルマとしては最高に優れていると思う。

 プロボックスはどうか?見た目の殺風景さと、4ナンバーバンの多さは兎も角、一番のネックは後席の狭さと居住性。問題は?というと、それだけでもある。他は全てにおいて納得の仕様。全長は4200mm未満、高さも1510mmだ。でも荷室は1040mmと巨大。タイヤサイズも13インチから選べる。MTが選べる。好みの4WDも選べる。メカ的には信頼性の高い構成。油圧パワステ、5リンクリジッド等々と言う事無しである。

 今売っている国産車で一番好みなのがプロボックスだ。欲言えば、荷室を1000mmにして、後席を40mm増やしてくれれば最高である。ただ、全てを満たす選択なんて無い。

 ここで、最後のライバル車として浮上したのが、サクシードバンだ。これもMTが選べる。プロボックスとの違いはナンバーが4ナンバーかどうかである。プロボックスのバンとサクシードのバンはリアの居住性が異なる。サクシードバンはプロボックスワゴンに近い設定でシートバックの角度のみの違い。それ故に、サクシードバンも良い。問題は、4ナンバー登録を認めるかどうか?である。
 4ナンバーのメリットは税金関係の維持費が安い事。デメリットは任意保険の年齢割引が無くなる事と、何よりも1年車検ということ。金額でなく、毎年の手間が生まれるのが面倒臭いポイントだ。

 一番の理想はチョットでも見栄えがするサクシードだけど、やはりMTで5ナンバーでプロボックスワゴンがベストだ。

 という訳で、次期愛車の最終候補はプロボックスワゴンである。但し、プロボックスのMCが三月にあるという。最終決断はそこで決める。今ならプロボックスの特別仕様車であるF ExtraPackage Limitedという奴。MCで殆ど変化無しで特別仕様車が無くなっていればMC前のモデル。MCで大きく変化して特別仕様車が無ければ、特別仕様車登場を伺うパターン。MCで大きく変化して特別仕様車が在れば、それで即決定というパターン。
 何れにせよ、車種は確定でプロボックスワゴンだ。後は、MC前後比較と特別仕様車の有無で買う時期が変わるというパターンである。

 このまま、リアがビヨーンと伸びれば面白いのだけど、、、、これは、リアドアを10cm弱、リアのオーバーハングを10cm弱の合計で20cm弱程伸ばしてみた画像。このくらい在れば、万能だと思うんだけど、、、、

Prolong

何にしろ、プロボックスで決まりだ。後は、どのモデルを何時買うか?になりそうだ。

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2010年2月15日 (月)

体裁は見破れる

 先日、指導しながら思った事。常に言っているのは、体裁を整える事を最優先するなと言う事。

 仕事で質問を受ける事がある。それは、原因を超越して結果のみを持ってきて、YES/NoとかOK/NGを聞いてくる。勿論、質問に対する回答は、YES/NO、OK/NGとなるのだが、、、、

 その際に聞いた事、、、、それは日常で判らない事に遭遇した時、その判らない事に、どう向き合っている?って質問だ。答えが出ない時、他人にYES/NOを聞くのは良い。しかし、答えを聞く時とか、それ以外の時間に何考えているの?って質問である。

 すると、回答は、、、、それとは別の趣味の事等を考えていて、業務上に判らなかった事は、対処の回答を得たら終了っぽい様子、、、、しかし、回答的には自分なりに考えています!とキッパリ、、、、

 キッパリ言われると聞いてみたくなるのが人情、、、、、

 それで、つい最近、ポンプが故障した。故障しているかどうかの判断を見ていると、水を吸わない!と不調を訴える。その時、ポンプに水を吸わせようとする行為を見ると、壊れていないポンプでも水は吸わないだろう、、、、って方法。

 そこで、ポンプで水を吸わせるために必要なのは何?ポンプの吸い込みは何に支配される?って質問を与えたのだが、その後、機械を私が修理した後に、上述の話の流れで、何時もYES/NOばかり聞いているけど、途中遭遇した疑問はどうしてる?って聞いた時の回答が、自分なりに考えていると、キッパリ、、、、

 そこで、考えた結果を質問しようと、『ポンプの吸い込みは何に支配される?吸い込みっていうのは、吸い込み揚程の事。揚程?揚程っていうと圧力の表現方法だけど、、、、』って会話した時の回答が、『水銀柱が760mmHg、、、、比重がどうのこうの、、、』聞いていて、それって会話の中で圧力とか大気圧って言葉を聞いたから、大気圧での水銀柱の高さが760mmとなる話だろ?って回答だったんだが、それ聞いて思ったのは、自分なりに判らなくなった時に考えていないだろ、、、、って思い。

 回答の内容から言うと、会話の瞬間に適当に答えただけで、疑問を与えられた時に彼なりには答えていないだろう!という思い。
 未だ、考えてなかった、、、、と、素直に答える方が遙かにマシだと思ったのだけど、そういう取り繕いとか、体裁整えとか、そういうのが一番嫌な気分になる。

 大抵、塾で生徒と会話したりすると、嘘とか言い訳は一発でわかる。同じように、日常会話でも嘘とか言い訳は判ってしまう。言い訳する方は必死で判らないようにしているつもりなんだろうけど、聞く方は、そのネタや状況の上位から見ているので、その対応の信憑性なんて軽く見破る事が出来る。そういうものなのである。

 判らないなら判らない。考えても判らない。考え方が判らないなら、考え方のステップを調べて身に付けるような気概が欲しい。
 判らないのは仕方ない。判らない事を考えても意味はない。判らない事は判る人に任せて、結果だけ知ればよい、、、、、、そういう考え方は、絶対的に受け付けない。

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ジャストフィット

 先週、ステム、サドルを変更した。

 目的は、中長距離向けに変えたいという意識だ。DHバーを装備している場合、ノーマルポジション、DHポジションの双方で満足したい。それで、昨日は下半身周りのセットアップを行った。

 しかし、上体の収まりが今一だったので、帰宅してからステムをひっくり返して、DHバーのセット位置も変更、ハンドルのトリムも変更した。見た目は殆ど変わらない。位置で20mm未満、トリムでも5°以内の範囲だ。

 朝一発目、最初は良いか?と思っていたけどトリムがチョット違う、、、、
 途中の信号でトリムを5°程度変更!
 今度は動かしすぎた?で、折り返し地点で再度調整、、、、今度は戻しすぎ、、、、
 次、高瀬堰の信号待ちで再調整。

 走ってみる。イイ具合だ。力が入る。上腕、胸部、腹筋、背筋から力が生まれる感覚である。上体を畳んでも脚は綺麗に伸びる。抜きも完璧。

 この感覚だ。イイ感じである。ポジション変更前より更に楽に走れる感じである。いつもの区間で踏んでみる。信号無しの土手の車道、距離でジャスト2km程だけど最低43km/h以上で走行しても負担感無し。2kmのコース終端で踏んで得たトップスピードで50km/h越えである。勿論、いきなりトップスピード狙いでないから疲労した状態からだけどイイ感じで車速が伸びる。実質的な動力性能は変わらないけど、軽く回る感じである。

 こういう位置決めが大事だ。位置が決まるまでの試行錯誤中の状態では、確かに膝、腰、脹ら脛、肘、手首、、、微妙に違和感が残る。それでも問題無いと言えば問題無いけど、これが何処から来ている?が判れば対処可能。この拘りが疲労や故障を遠ざけるコツだろう。

 話は変わって、午後は単車に乗った。CXとSVだ。

 で、話したいのはCXで団地を降りてバス道路に出る時、、、、一時停止から本線に乗るために加速する。タイヤの温度が低かったのか?後輪がパワースライド、、、、距離にして2mくらい、、、しかし、スライドは腰とアクセルワークで対処可能、、、まるで、スローモーションのようだ。速度としては停止から加速だから5km/hから30km/h程度だけど、それでもスライドが楽しめる。これもイイ具合に扱えるようなサスセット、ポジションを得ているから。

 やっぱり、二輪車は如何に自分の癖、自分の好みにフィット出来るか?が一番大事だ。

 自分で、コレだ!って思えるモノに辿り着いた時、、、、無性に嬉しい。最高である。

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セッティングって、、、、

 何だか知らないけど、理想のセッティングが存在しているような錯覚を持つ奴が居る。

 チョイ、、、、疲れる。

 理想のセッティングっていうのは、あるかも知れないけど、それは乗り手次第のモノ。誰かが提供してくれるモノではないし、誰かと同じモノでもない。乗り手が、何に使うか?どのように使うか?何のために使うか?何を求めるか?で全然違うだろう。

 セッティングとは、そういうモノの筈だけど、一言ズバリで望みが叶う夢のセッティングが在るんなら是非教えて欲しいくらい。

 人が自分のセッティングを満足しているから、同じセッティングをして欲しい?、、、、、意味、分かんない。何言ってるの?

 正直、最初の一歩で取り敢えず言えるのは、サドルの位置くらいだろう。特に上下方向については体型で決まるけど、同じ身長、同じ脚長だったら同じという訳でもない。乗り手が決まれば、その固有値に応じてストローク方向の位置気味が決まる程度で、後は、先に述べた考え方次第で全然変わるモノ。それ故に、何がベストって言えないし、誰か他人が決めるモノでもない。乗る人がどうしたいか?どう乗りたいか?で全く変わる。変わらないのは下半身の特性に応じた幾何的な位置関係くらい。

 そんなもんである。

 偉そうにセッティング講釈するのもバカ臭い。乗り手次第。何を求めるか次第。仮に他人が決めたとしても、それは初期値でありベストである筈がない。そこに、あたかもベストがあるかのような錯覚する人が居るのを見て、超ビックリした。

 誰かがベストを提供してくれれば、劇的に速くなる!、、、、、そんな筈、無いだろうに、、、、。何考えて居るんだか、、、、、、話聞いて、、、悲しくなってくる。つい、言ってしまう、、、『オマエ、バカだろう?』

 誰が、どのようにしたい?何したい?どう思って乗っている?何目指している?で、全部変わる筈。そして、そんな思いに対して、不自然かどうかは、実態を見ないと判らない。頭で願っても、実態が伴わないのは、どんな世界でも言えること。思いが、実態に伴っているかどうか?これは、見れば判る。逆に、見ないと判らない。それ故に、言葉で言っても、伝える側の考えが聞き手に伝わるとは限らない。それ故に、口頭で、偉そうな事は言わない。仮に言うのは、見た時の話。見て違和感を感じた時、その違和感のあるスタイルは、どんな理由でやっているの?癖?を聞いた上で助言を求められれば意見する事はあっても、それ以上は無し。どんな違和感であっても、本人が狙っての事であれば、お節介にすぎないもの。本人の意識、それに対する違和感を感じた時しか何も言えない。そんなもんなのだ。口頭で何かを言って、何かが伝わるなんて、、、有り得ない。そんな無責任も出来ない。

 そもそも、セッテイングなんて大したモノは存在しない。ベストは本人が決めるモノ。本人の意思次第のモノ。そういうものなのだ。

 少なくとも、単車のレース活動におけるセッティングはライダーのリクエストを如何に反映するか?だが、そんな常識がチャリの世界では存在しないのが笑っちゃう。単車のレースでメカニックが作ったモノでライダーがOK出すか?なんて、、、、、有り得ないだろうに。

 少なくとも、ベストなセッティングというのが在るとすれば、それは乗り手が乗り手の思い通りに動かせる機材の状態と言う事。つまり、乗り手の意志が反映される事がベストなセッティングって事。乗り手の意志が違えば、形が変わる。つまり、セッティングは乗り手の意志が無ければ存在しないのだ。他人のベストに乗ったら、自分が他人に為れると錯覚している時点で人間終了している。そこを判らないのが不思議である。

 コレは愚痴だけど、セッティングしてくれないから、、、、って不機嫌になる奴が居るのには、チョイ気が滅入るのだ。一度、サドルの高さくらいは見てやった筈だが、それで十分だろうに、、、。

 ただ、熟練のサイクリストは各々に自分のベストの出し方は心得ているだろう。それは固有値であり人に言うモノではないのである。
 サドルの位置を決めるにしても、いろんな要素がある。ハイトもしかり、トリムもしかり、セットバックも然り、それに応じたリーチ、落差も然り。それらを、それぞれが目的に応じて固有の位置を決める。勿論、それに応じて機材のセットも変更する。そんなのは、乗り手の思想に基づいた固有値であり、それは人に言うようなモノではないのだ。何故ならば、それは個人の思想や資質で選んだ一つの方法であり、万能解では無いのである。これをセッティングというならば、それは特定の個人にとってのベストであり万能ではない。そして、それは決して伝授する質のモノでもないのである。

 実際、アマチュアでさえ二輪レースで、どこかのエリアを攻略するために選んだセッティングなんて明かす事なんて絶対に無かった。そんなもんだろう。

 最近はブームで色んな本が出ているけど、まぁ、新車紹介とか、法令紹介、整備マニュアルくらいはアリかもしれないが、セッティングバイブルなんて本は信用出来ない。理由は上述の通りだからだ。そんな事よりも、機械、道具、機材、武器と見方を変えた時の勘所とか、或いは、思想的なモノ、方向性的なモノ、使える要素の見極め方といった内面的なモノの方が大事だからだ。偉そうに、セッティング云々、、、、何様?って気がするのは自分だけだろうか?少なくとも、押しつけはセッティングではない。セッティングとは要望の具現化なのだ。

 判りにくいかも知れないけど、個人の望むセッティングというのは、とても重要。それは僅か数ミリの違いもNGだろう。その判定は望む個人による。しかし、望む形を自分で決める事の出来ない、、、つまり、自分が何を求めているか判らない状態なら、極論すれば、少々の寸法なんて、どうでも良い筈である。望みが無いというのは、判断する基準が無いと言う事だから当然と言えば当然の事。望みが無いのに、数ミリに拘るという論理はさっぱり判らないのだ。望みがあって、叶わない時が不満の理由。不満があるっていうのは、目的があるという事の裏返しである。その辺が通じない人には何話しても噛み合わない。仕方ない。そんなもんだろう。

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As you like!

 モロ、戯言だ。
 最近は、他の組織と利害を超えた探求的な議論を行う事が少なくない。その瞬間では、純粋に疑問や問題を解消しようという参加者の意識で会話が生まれる。その話の流れで、目的に到る方法論というか、そういうものが少しずつ具体化、具現化する。そのプロセスを見るのが非常に楽しい。

 しかし、そのような合議に基づく取り組みが、何処でもあるか?っていうと、案外無い事の方が多い。

 確かに、提案して、周りが動いて形になるのは、悪くない気もするけど、最近の思いは、そういう事を行うのに、発案して指示する立場にずっと留まるのは良い事か?という疑問を感じる事の方が多い。指示されて動くだけっていうのも嫌だけど、指示ばかりするのも正直、疑心暗鬼というか、チョット、、、いや、かなり違和感を感じる。

 ここ数年、チョット周囲のモチベーションというか、そういうのを測ってみた。

 過去においては、自分が発案する。プランを決めてスケジュールを組む。そして、プッシュしながら進める。結果、答えが出る。これに要する時間はスケジュール通りである。

 しかし、果たして、プッシュしなければどうだ?は判らない。それは、指示される側のモチベーションというか当事者意識次第だろう。自分の場合、このスタイルを保つとして、保てるかどうかは、そこに当事者意識が何処まであるか?によって、指示を行い続ける事の自分のモチベーションが維持できるか?が掛かってくる。

 そこで、何通りかの発案を行い、発案を投じて様子を見る事にした。それを始めたのが二年程前からだ、、、、、すると、、、、、投じた発案が二年間放置されているものが50%、発案に対するフィードバックが少しでも見えたけど、1年以上進捗しないものが50%と言う事になった。つまり、殆どの人は、必要性はあるかもしれないが、新しい行動は行いたくないと言う事なんだろう。

 となると、組織に効果を与える必要があるか?という事となるのだが、最近は、潰れない程度で良いかな?少なくとも、二年以上の応答が無いのなら、その応答が無い限りは、次の提案は控えようかな?という気持ちの方が強くなる。そんな傍観者的な気分が強く、最近は、なんでもだけど、As you like!って気分になるし、貴殿の裁量に任すという気分になる。発案やアイデアは只では無いし、当事者意識が無いのであれば、そのメリットを享受させる必要も無いかな?って意識の方が強くなる時も少なくない。

 しかし、不思議なモンで、利害が直接絡むはずだけど、それを越えた意識集団の中で取り組みを行うと、そういう傍観者的な意識は完全に消え失せて、よりよいモノを考えようと言う意識に変化する。
 まぁ、この意識のリズムこそ大事なんだろう。意識を休眠させて抜いている時間があるからこそ、意識を高揚させて案をひねり出す事も出来る訳だ。

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2010年2月14日 (日)

抜く時は気苦労するなぁ

 土曜日はホームコース二周回+ヒルクライムだ。ホームコース一周目は、ポジション変更後の位置決め目的で踏むというよりも違和感の洗い出しメインでの走行。速度的には35km/h程度での走行だ。そんな訳で人とは遭遇しなかった。

 しかし、一周目の復路からはポジションが一応決まったんで徐々に通常のペースに併せて走行した。復路の途中からは40km/h近辺、二周目もその位で走行。

 走る速度を5km/h程度増やすだけで、数多くの自転車に遭遇する。遠くに見えてもアッという間に追い付いてしまう。
 最初に追い付いたのは一周目の復路で離合したオレンジ色のクロモリロード。挨拶すると笑顔で応対してくれて気持ちよくアイコンタクト出来た。暫く走ると、今度はTREKのお兄さん。ペースは似ているか?と思いながら走っていたけど、少し違うので声掛けすると、気持ちよく譲ってくれて謝意を示して走行した。その後、GIOSの兄さん、GIANTの兄さん迄は問題なくスルー出来て、此処までは良かった。

 折り返し地点でサドル位置を調整している時に、先週遭遇して好印象を抱かなかったORBEAのオレンジ色のエウスカルテル仕様のサイクリストとすれ違ったので、まぁ、軽く会釈したのだけど無視食らって行っちゃった。まぁ、気にも留めず、サドル調整して、トレーナーを脱いで、コーヒー飲んでスタート。4km程南下した信号で、エウスカルテルのORBEAに追い付いてしまった。場所は安佐大橋だ。ここからは2km程信号無しの土手車道で安芸大橋に向かうセッション。信号が青になって普通にスタートしたのだけど、このエウスカルテルが先行。先行では結構な高ケイデンスでダッシュ!される。フロントインナー、リアは19Tくらいか?速度を上げる事にリアを15T程度迄、、、、コンディションは向かい風、速度は30km/hチョイ、、、、さて、どうしよう、速度は、、、、変わらない、、、、ということで、後ろに付いていても仕方ないので『抜きます!』コールで笑顔で抜きに掛かったのだけど、表情には敵意がアリアリ、、、、そう言えば、先週遭遇した時も同じ表情だったな、、、向かい風で憑かれるのも面倒くさいので、一気に40km/h以上に引き上げて暫く持続してクリア。
 ペースを保って居ると前方にロードだ。近付いて来たと言う事は、ペースが違うので躊躇することなくスルー。勿論、車道で抜くので驚かせては危ないので声掛けしてみると、やっぱり無愛想、、、、、この人はDEROSAに乗った中年。

 ヨーロッパブランドのバイクは格好いいけど、アメリカンブランドよりも無愛想率が高い。新興ブランドも挑発的だけど、少なくとも会話というか、アイコンタクトで敵意を感じる事は少ない。まぁ、新興ブランドのサイクリスト年齢が若干若く、欧州ブランドは若干オッサン入っている事が多いような気もするし、それが違いを生んでいるのかな?とも思うけど、、、

 それにしても、定番のコースを走っていると、誰とも会わない日は無い。抜く時は何時も気疲れする。絡まれないか?その辺が面倒くさい。過去一番の面倒くさいオバケは白いIntermaxに乗った兄さんだけど、憑かれたりすると面倒くさい。何故抜くと無気になるのか理解出来ない。
 中には、引いて下さい!とか、付いてイイですか?とか、何時も走られていますよね?とか話しかけられたりして、好意的なコミュニケーションが生まれたりという場合もあるし、最初は挑発的に仕掛けられても、後の信号待ちで好意的に話しかけられたりする場合もあり、最終的に笑顔でコンタクト出来れば良いけど、何度在っても、エラク挑発的、挑戦的、敵意剥き出しでやってくる人も居る。こういうのに会うと気疲れする。それ故に、抜く時は、後々面倒くさい、嫌な思いはしないだろうか?と言う事を最初に考えてしまう。

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腹囲測定の可否

 やっぱりというか、そんなニュースが先週報じられた。
 それは、腹囲の絶対値がメタボリックシンドロームの判定基準に相応しいかどうかの議論が巻き起こっているって報道だ。

 コレに関しては以前も記事にした事がある。

 http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/08/thr_2f68.html

 である。

 この判断数値の是非が議論に上がっているけど、メタボ診断という名目で腹囲を測定する行為を診断項目に入れてコストを掛けるというのは確かに意味が無いと思う。
 最大の理由は、医療行為、検査行為に誰でも出来る行為を入れる必要が無いのでは?という部分である。数値判定自体を無意味とは言えないが、腹囲測定は個人の健康管理で行うべきモノとして扱う方が自然だし、仮に、腹囲測定でコストが発生するならば、コスト対効果で考えると有意義とは言えない。

 診断、検査項目で大事なのは、測定した数値を専門的な視野で判定に用いたり、専門的な測定でなければ正確性が得られない事に絞る事では無いだろうか?
 少なくとも、公的にコストを負担するのなら、その効果が有用でなければダメだ。

 せめて、体脂肪率とか骨格筋率とか、数値を知るには手間が掛かるようなモノ。尚かつ、手順的、方法論的にもっと合理的な方法を用いてメタボリック判定は行うべきではないだろうか?

 腹囲とか、前に記事にした腹囲率のような判定は、個人レベルの健康啓蒙への数値の利用の仕方としての提言に留めるのが自然なように感じる。

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2/7~2/13の週の検索ワードピックアップ

★パソコンキッズキーの対応OS
 対応OSの話。確か、WindowsXp、Vistaだった筈。Windows7も対応しているかも知れないが、Windows2000はNGである。

★自転車と脚の太さ
 これは永遠のテーマかな?って思う。脚は絶対に細くなるって人も居る。脚が太いのは競輪選手って意見を言う人も居る。でも、競輪学校での練習はロードバイクを用いた長距離を走るのも当然ある。競輪学校に行ったからといってバンクを走ってばかりではない。必要な能力を得るのに、筋トレからロード迄、色んな事をやっている。結果、脚は太いのは事実である。
 どう捉えるか?何処までを求めるか?次第だろう。使えない、使いようのない筋肉は邪魔かもしれないけど、使えるならば在って損はないと考える。
 別の理屈だけど、特別な増量期間、減量期間というインターバルを作ったアスリート以外で激低の体脂肪率っていうのは、筋肉が無い事の証明でもあり、それって無意味だと思う。体脂肪率の低さを売りにするサイクリストも居るけど、プロでもない限りは、筋肉の無さを言っているようなモノだろう。

★3km泳ぐ?
 まぁ、そこそこの心肺機能といえるレベルは3kmを無休で1時間程度で泳げるレベルかな?って思う。50mを一分というペースで60本消化出来れば結構では無いだろうか?50mを50秒というと、50分で泳ぐ事になるけど、そうなると相当だと思う。
 3kmスイムっていうと遠泳というかオープンスイムの練習では基本となる距離。これがスタートラインである。これを何本こなせるか?が鍵。因みに、自分は四本分くらいなら無休で行ける。勿論、ペースは落ちる。
 スイムをやっていて思うのは、大きな呼吸である。大きく吸って、ゆっくり吐き出す。これをリズムを狂わさずに続けて行う。肩で息するのでなく、腹で息する感じ。それで持続的にパワーが発揮し続ける事が出来れば良いのでは無いだろうか?

★ダンベルプレートの固定
 安いダンベルはスターナットによるスクリュー式が多い。これ、手首のスナップの動作が入ると一方が緩みやすい。
 それを防止するのに、シャフトのスクリュー側にテープを巻く等の対処も可能だけど、やっぱり緩む。
 最終的には、スターナットを直列に二つ用いてロックナット式で固定する。バーの長さの割りにプレートが増やせないけど安全第一である。こうすれば緩まない。
 重量級のダンベルをするならばスターナット式でなくカラーを回り留めロックナットで固定するタイプを選ぶのが良いだろう。

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2010年2月13日 (土)

ポジション変更

 ラングスターのポジションをチョット変えた。サドル位置とステム長、ステム高さだ。
 同時に変えると結構不具合を感じる。サッと作って乗ってみると違和感アリアリである。少し走っては調整の繰り返し。下半身を決めて、通常のハンドル位置で上体を決めて、DHバーでのポジションを決めて、再度、下半身を修正、、、、

 微調整しなくても良いと言えば良いのだけど、望む使い方をすると微妙に違和感を感じる部分がある。この違和感を取り除くのには僅かな調整が効いてくる。

 取り敢えず、本日、シェイクダウンして試走して一応作った。明日以降、乗り続けて違和感を解消すべく色々遊んでみる。

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自分なりの理解

 乗り方とか、モノの選び方。これは人それぞれである。何が正解で、何が正論か?っていうのは、正に人次第なのである。或る意味、人にとっての正解は、その人が選んだ方法というのが間違い無いのである。選び方が何に基づくか?それは、誰彼が言うようなモノでもないのである。

 それ故に、自分が選んだ自分の方法っていうのは、自分にとっての正解だと自信が持てるのである。自分にとっての正論は、自分にしか試さないし、自分にしか使わないというか、そういうものである。自分の意志による自分の行動の結果の責任は、自分が取れば良いのである。
 人に指導するとか、指南するとか、、、、、そういうのは、責任も取れないし、それを適当に伝聞されるのも不愉快故に、原則、行わないのである。

 特に、自転車っていうのは、動力変換機械としての側面と、その上で個人向けの道具としての側面の二つの側面があるというのは以前も記事にしたとおりだけど、特に、後者の部分の側面に関しては、間違っても他人には押し付ける事は出来ない。当然、前者の機械として捉えた時の側面に関しても、何処から何処までが、どんな理屈に基づけば、、、、なんて事も言う事は出来ない。言えるのは、やっぱりガイドラインに尽きるのである。ガイドラインを矛盾無く行うための具体的な何か?っていうのは、特に、一方通行的には伝える事は難しい。具体的な何かを実践するには、その瞬間における感じ方、意識の持ち方がどうか?をしっかり見極めなければ、同じ文言でも行為が全く異なるって事は凄く多いからだ。

 以前、単車のハイスロについても他人と話しをした事がある。これは、物理的にはワイヤーの巻き取り径を大きくしたモノという事だが。その理解は人によって違う。自分から見て、他人に対して笑ったのは、速くアクセルを全開に出来るから!って事を聞いたからだ。確かに、速くアクセルを開けようと思えば開くかもしれないが、そもそもアクセルの開度とか開け方っていうのは、雑巾を絞るように開けるというものであり、誰も速く開けようとはしない筈。
 自分の理解は、手首の動き最小限で(つまり、握り直し無しで、、、)、必要な体制で必要な開度を得るためという認識。つまり、握り直しが影響するような旋回時における出力調整でメリットを得るためという認識だけど、、、、
 そんな認識の違いを知らずして、パーツの使い方を一方的に話すのは、前提の違いがあれば異なる理解、矛盾した結果になりかねない。

 そんな訳で、一方向的なやりとりで自分なりの理解を公開するっていうのは、基本的には有り得ないのだ。

 自分の場合、モノに接してモノを見て理解しようと努めてきたが、最近は、色んな事をじっくりと小さな要素に分けて考えるようにしている。小さな要素に分けて考えて、この部分は如何に扱うべきか?何を基準に良否を判定するか?そういうモノを浮かび上がらせて理解出来るようになってきた。
 結果、何処から何処までが、何のための理屈?誰のための理屈っていうのが自分なりに分けて考える事が出来るようになったな!って感じ始めている。

 実際、この考え方に従って、単車なり自転車なりに乗ったり、泳いだりして、改めて色んな部分を考えてみると、色んな事を再発見するというか、再認識出来たりする。

 見方次第で、どうにでも変わるんだな!って感じだ。どんな世界でも非常に奥が深い。考える程に奥が見えなくなるし、更に、行うべき事が見えてくる。そうなってくると、そこで得た感覚っていうのは、どの世界においても途中というか道半ばと言う事。そんな中途半端な事を偉そうに他人に言ったりするのは非常に浅はかな行為だと思う。

 まぁ、趣味でも、遊びでも、スポーツでも、仕事でも、学問、研究でもなんでもだが、長続きの秘訣は、そうやって自分の理解が変わる事を楽しむ事だ。それぞれに自分の理解の変化で意識も変化する。その変化は個々が見出すべきものであり、その楽しみを奪うのは、やってはならない事である。最近は特にそういう思いが強い。

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実技とか、模擬とか、

 ベンチプレスの王道は、やっぱりフリーウエイトである。重力を支える。これがベストである。負荷を油圧ダンパーのピストン移動に伴う流体抵抗で発生させたり、或いは、スプリングやラバーのように変位に比例した負荷を利用したり、色々あるけど、フリーウエイトとは違う。似たようなモノでレバレッジっていうのも在るけど、これもやっぱり微妙に違う。

 自転車漕ぎもそうだ。先日、キャイーンの素晴らしきかな自転車 ~メタボ脱出!ダイエット大作戦~で紹介されていたエアロバイクを用いたダイエットでのエアロバイクの負荷もそうだ。三本ローラーなんて基本は負荷は無いし、固定トレーナーのマグネット負荷も然りである。実走とは微妙に違う。

 形は同じ、動かし方は同じなんだけど、負荷の掛かり方が違う。こういうのと、形は違うけど、負荷の掛かり方が同じ様な運動を見つけて行うのはどっちがOK?っていうと、案外、一方には決めれないもの。

 取り敢えず、ベンチプレスではダンベルかバーベルかの拘りは無いけど、油圧も、ラバーテンションも、レバレッジも今一かな?って結論。行うならダンベル、バーベルが良いと思う。バーベルの方が重量的に大きなウエイトが持てるから良いけど、実質的にはダンベルの方が難しい。そういう意味でベストはダンベル式か?って思う。

 自転車も然りである。回転を上げて動作によって姿勢が崩れない事を確認するならば、ローラー台も在りだけど、ペダリングで必要なパワーを生み出すというのでは、エアロバイク的な負荷はチョット違うように感じる。勿論、負荷を得るためにヒルクライムするのも理解出来なくは無いけど、高負荷低回転と、低負荷高回転では意味合いが違うので高回転に対応できる負荷を作るって言うのは、寧ろ別の方法の方が良いとも言える。

 そんな事を考えながら一流のアスリートのトレーニング風景を見る。すると、面白い事に気付く事も少なくない。まぁ、気付くっていうのは、昔の指導を思い出すというモノに近いんだけど、どんな競技でも競技実技だけでなく色んな基礎的な運動が行われていたりする。その基礎的な運動、競技実技だけでなく、その中間を担う独特なメニューも在るのが普通。そんな事を考えながら、色々眺めるのも楽しいモノだ。

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2010年2月12日 (金)

歩道でタラタラ

 地元の町内の歩道にも自転車通行帯が整備された。幅で1.2m程の広くはないエリアだけど、歩道のガタガタしたインターロッキングを剥がしてカラー舗装で滑らかな路面となっている。

 で、利用してみると結構快適である。勿論、歩行者通行帯との境界は白線のような印であり簡単に乗り越える事が出来るのだけど、自転車はここを通るべし!って指示されるのは有り難いもの。そりゃぁ、自転車を車両の一種と捉えて走ると、狭いし、曲がっているし、交差点毎に断続しているので快適とは言えないけど、歩行者と空間を共用する車いすとか、セニアカーとか、乳母車の一種と考えてチンタラ走ると割と快適である。

 スポーツサイクルとか、乗ったら急げ的に使うと不満タラタラだけど、歩行者と同等の存在と頭を切り換えたら便利である。

 個人的には、歩道の自転車走行帯を走る時は歩行者モードとなるし、車道を走る時は軽車両モードとなる。そんな意識替えすれば問題無い。

 歩行者モードで走るエリアを、思いっ切り車両としての存在感を発揮しているスポーツサイクルで走るから訳のわからない印象を持つのかな?と改めて思った。
 そして、市内の歩道内の自転車通行帯を利用する時は、利用に見合ったタイプの自転車を利用するのが一番合理的かな?とも思った。逆に、法律で定められたような幼児とか高齢者が車道を車両として走行する事もナンセンスであり、自転車と一言で言って、一方に当て嵌めるという発想自体が無理があるのである。

 走る場所に応じて、車両たるべきか?歩行者たるべきか?を自覚する事が大切だが、マナーというか、モラルに任せて上手く運用できるのなら誰も苦労しない。そこが難しいところなんだろう。

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双方向性>一方向性

 一般に、会話っていうのは、相手在っての事。話す事、聞く事がセットで会話である。
 だから、会話っていうのは特徴として双方向の意見交換である。データ通信と同じく、情報の授受を考えると、双方向の対極が一方向である。

 双方向っていうのは、その流れがどういう方向に行くか?は必ずしもストーリー通りではない。
 一方向っていうのは、聞く側、話す側のどちら側から見ても、流れを変える要素は存在しないので、ストーリー通りである。

 どっちの情報が有用で意味があるか?っていうと、それは圧倒的に双方向、つまり、会話である。一方的に話す場合、話す内容には普遍性が支配的であり、話すとしても奥深く迄は話せない。聞く側でも同じ。聞いた内容が自分に特化しているか?っていうと、そうとは限らない。合うか合わないか?それの判断は聞く側次第である。聞くっていうのは、知らないから聞く。つまり、その内容から見ると、聞く側は圧倒的に話す側と較べれば無知であり、劣っている。その下方から上方の内容を判定するのは非常に大きな誤差というか、低い精度というか、そういう状態となる。

 例えば、勉強でも然りである。全く知らない内容の本を読む。呼んでも理解できない。そういうモノである。しかし、教える側が教わる側の無知を聞きながら話す。教える側に対して、教わる側が知りたいという情報を発信する。何が判らないか?を信号として発する。それに応じて教える側が立場を変えて話す。これが、適切な教師と生徒の関係だが、その御陰で教わる側が理解出来るのである。教わる側が機械的に、情報に接する、、、、そういうのが割と普通になっているが、そういう一方向の情報の受け取りだけで過ごすと、知らない事は知らないままに過ごす事となり、結局、何も身に付かない事になる。

 なんでもだけど、情報の相互伝達が一番大事であり、その基本っていうのは、会話では無いだろうか?教える側、教わる側というと優劣というか、上下関係があるかもしれないが、少なくとも研究とか開発では、会話が新しい発想やアイデアを生むと実感している。これは教師と生徒の関係でも然りだ。教師の経験度数の向上っていうのは、様々な生徒と接して教え方の引き出しを多く準備出来ると言う事であり、それは、様々な情報が教師にとっての糧となっているからだ。このような考え方は育児、子育てでも言える事。子供と接し、その些細な信号をキャッチできるか?それが大事なのだ。

 この辺りの会話というか、コミュニケーションの重要性というのが生きていく上で何よりも大切なことだろう。
 情報の発信は、双方向に基づいたレベル、一方通行に留まったレベルで質が違うのは言うまでもない。そういうものである。双方向っていうのが何よりも大事。

 自身、お話大好きである。特に会話が好きである。でも、、、、一方通行の情報発信は剰り好きではない。聞かれれば答えるけど、そうでなければ情報を発信する事は無い。情報に限らず、物品授受でも、何でもだけど、Give & Takeが基本だ。塾の講師なんか好きだけど、生徒からの反応が何よりである。反応が無い場合、生徒には辞めて貰う事が多かった。聞き手がエライとかバカとかでなく、反応や応答があるか否かが大事。

 ブログも記事自体は自分の備忘録が基本。発信したりする情報は、応答を期待している訳でないので、奥底は記事にしていない。しかし、コメントを頂ければ、必ず応答する。応答は特定の読者に対するメッセージ。何を書くか?は、コメント次第。これが楽しい。敢えて、核を外して記事にする。それで応答がある。ならば、特定への返答は問い掛けに対して核を持つような返事にしたい。そういうモノである。

 仮に、一方向の情報が全ての情報と勘違いする人が居たとすれば、考えを改めるべきだろう。聞いただけ、読んだだけで、仮に判ったと思うのであれば、それは大きな間違い。一般論に対しては、聞いたり、読んだりすると絶対に疑問が沸く。これが普通。それが無いなら、一方向の情報は百害在って一利無しだ。疑問を持ち、一方向の情報の中で真意が何処にあるか?が判らないと話にならない。それを確かめる一番の方法が、発信者に対する質問や会話であったりするのである。

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2010年2月11日 (木)

毎日乗ったら痩せる?

 最近のダイエットブーム、自転車ブームでは、毎日自転車に乗ったら簡単に痩せるという話を良く聞く。
 最低でも20分程度毎日乗ると効果が現れるという話だが、正直、そういう実感は全く無い。自転車に乗って痩せるとういうのが理解出来ないというと、反対が多そうだが、少なくとも、自分の場合、自転車に乗って痩せるという感覚は皆無に近い。勿論、自転車に限らない、水泳でも然りである。

 思うに、体脂肪っていうのは、簡単に落とせる範囲と、そうでない範囲があるような、そういう印象である。

 自分の体重の変化、体脂肪率の変化を見ると、簡単に落とせたのは最初の三ヶ月くらいであり、その後は、食生活は殆ど不変、運動量は増量傾向だけど、最も体重が落ちた時に較べると、体重で+3kg程度の変化となっている。運動量自体は圧倒的に今の方が多い。体脂肪率自体は微減、骨格筋率が+4%(概ね32%弱だったのが36%強と4%程度増えている。)というところ。体重の増加は筋肉量の増加と言えるけど、それでも体脂肪自体は変化していない。運動して脂肪が落ちるという事には繋がっていないというのが正直な感想だ。

 案外、体脂肪というものを考えると、過剰分は簡単に落とせるけど、必要分以下には飢餓状態迄追い込まなければ落ちないのかな?というのが最近の正直な感想。

 体脂肪率で10%を下回るレベルにするっていうのは、並大抵では無さそうである。体脂肪率を落としつつも筋肉を保つというのは特に難しいのかな?って気もする。筋肉を落とさずに維持するというのは、筋肉が存在するための最低量の体脂肪が必要というのは間違い無い訳であり、体脂肪率を激しく落とそうとすれば、筋肉っていうのは邪魔な存在とも見える。
 ボクサーとかボディービルダーっていうのは、瞬間的には激しく体脂肪率を落としているけど、実際、その状態をずっと維持するというライフスタイルでない場合の方が多い。落ちてもなお十分な筋肉を付ける営みを行った上で、ある瞬間に向けて激しく追い込むというスタイルが多く、彼らの極限時における体組成よりも長いスパンにおける平均的な体組成がどうなのか?というのが非常に興味があるところ。

 自分としては、筋肉を増やすには必然的に体脂肪も増えるものという認識を持っている。それはインスリンの役割を考えれば判る事。

 恐らくだが、生体としては生存が最大の目的であり、在る一定以上の変化が生まれないポイントが終着点であり、ベストな状態とも考えられる。そのポイントからの変化というのは、実は不要であり、相当に無理な状況にしなければ辿り着けないのかな?というのが最近の印象だ。

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豆腐で肺癌リスク低減!?

 先週末のニュースだけど、なんと豆腐に含まれるイソフラボンを摂取する男性(!)は、肺癌発生リスクが半減すると言う事。

 具体的には豆腐を毎日1丁食べて効果が現れるという、、、、。因みに、喫煙者男性、女性では効果は確認出来なかったという。
 因みに、イソフラボンを豆腐で摂取したら?というと、203gということ。イソフラボンが40~50mgが豆腐150g(半丁)だそうで、納豆なら60gということだ。
 なお、イソフラボンの効果は、女性ホルモンの効能に近いそうで、更年期障害の緩和、骨密度の保持、癌抑制、動脈硬化抑制の効能が在るとも言われているが、当然、取りすぎはNGだし、イソフラボン自体は大量摂取しても排出されるだけとも言われている。実際、ニュースでは、大豆、納豆のイソフラボンは大量摂取が害の要素も在るかも知れないという事も報じられていた。

 以前、あるある大事典で納豆ダイエットでスーパーから納豆が消えたようなインパクトとはならないだろうけど、納豆を定期的に食べる自分としては、報道で需要が急変するのは迷惑な話である。 

 ただ、今更報道されるようなモノではないが、納豆菌、乳酸菌っていうのは腸内環境を整え、がん発症リスクを下げるという説は以前から唱えられている。その説が、科学の進歩によって、具体的に、どの成分が効果的か?というのが明らかにされる度に、報道されているだけの話。イソフラボンとかDHAとか、そういう名称が江戸時代から在ったか?っていうと無いけれど、そんな名前が出てくる以前に人々の生活に定着していたモノであり、そういう長きに渡り存在し生活に浸透しているモノっていうのは、何らかの利点が在るからだと考えるのが自然。長く続いているのは、理由があるからだ。

 逆に、報道されて注目は浴びるけど、その方法論や栄養素が非常に新しいモノの場合、多くの人々の知見や経験が実際には反映されていない。そういう意味で、報道されたとしても、それが新しいモノか?伝統的なモノか?という要素をしっかり見て情報の取捨選択をするのが良さそうだ。

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2010年2月10日 (水)

素晴らしきかな自転車 ~メタボ脱出!ダイエット大作戦~

 先週、表題のテーマを題材とした番組をテレビでやっていた。
 ウド鈴木さん、天野さんの健康状態をチェックした上で、その不健康さを自転車を用いて改善させようって話。

 この番組で最初に笑った?のは、ウド鈴木さんの血液検査で中性脂肪の数値、、、普通は30~170[mg/dl]というものだけど、その数値が2200[mg/dl]という、、、、自分でも最高値としては468[mg/dl]だったのだが、見た事もないような数値。まぁ、それでも他の数値は割りとマトモであり、胴回りが規定の85cm以上ということでメタボ予備軍と判定されていたようだ。

 そこでは、自転車を使った健康ということで、何通りか紹介されていたけど、構成的には、1時間目がママチャリダイエット、2時間目が自転車エクササイズ、3時間目が自転車街乗りエクササイズ、4時間目が競輪虎の穴でメタボ解消!と言う構成。

 ここで賛同できたのは、ママチャリダイエット、競輪学校体験入校の部分。笑ったのはエアロバイクを使った自転車エクササイズ、スポーツサイクル街乗りエクササイズ。

 エアロバイクのコーナーでは、インストラクターのお姉さんのごつい太股、脹ら脛で脚力を見せつけて、そしてエアロバイクで全身を使ったモガキトレーニングの様子、、、、運動には違いないけど、、、、自転車を使った有酸素運動とは違うだろう。
 鶴見辰吾さんのコーナーも信号待ちで自転車から降りて脚を後方に蹴り上げるストレッチなんか紹介されていたけど、それって、迷惑だろ?って事で、やはり社会との調和という面でチョット違うだろう。

 そういう感想だ。ただ番組の内容は、結構面白く、紹介されている内容の中には同意できる部分、同じくやっている内容が散見されていた。

 こういう番組を見るに付け、自転車が流行しているんだな!って思いを再認識する。

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健康のために、、、、

 健康のために何がよいか?自分の経験から何を広めたらよいか?ということで、自負を持った人は、各所で色んな普及活動をしている。地元のケーブルテレビなんかでは、地域のお年寄りが、健康のためにコレが良い!とかで、色々と人を集めて活動している様子が紹介されたりする。

 確かに良い事だとは思う。

 健康のために、山歩き等のウォーキング、プール通い、ゲートボール、冷水摩擦、ラジオ体操、、、、、、

 紹介されている内容は、確かに良い事だと思うし、それを否定するつもりも無い。

 特に、その効果、効能を実感している人にとっては最高の方法だというのは間違い無い事実である。

 しかし、その行為自体が万人に同じ効能を与えるか?というと、そうではないように思う。地域や組織で、それを啓蒙する人、指導する人、そういう人達にとっては最高の方法というのは否定しない。そして、その方法に本心から賛同して自発的に取り組もうとする人にも多分大きな効能を与えてくれるものだと思う。

 しかし、、、

 半ば、仕方なく、決められているから、取り敢えず、、、、って意識が根底にあって、言葉は悪いが、面倒臭いとか、嫌々ながらという気持ちで参加する場合、その効果は全く無いというか期待出来ないのでは?と考えてしまう。
 勿論、その瞬間に怠けて行うというのでなく、その参加している瞬間に完璧二というか、一生懸命行っていたとしても、動機の部分で自発性が無ければ全く効果は無いと思う。

 というのは、健康にしろ、進歩、上達という長期に渡る持続的な取り組みが前提のモノには、短期的、短時間の行為は殆ど効果に寄与しないと考えられるからだ。
 その瞬間に如何に真剣に取り組んでも、動機の部分に自発性が無ければ無意味である。

 動機に自発性があるというのは、生活の方向性の意識の問題であり、日常生活における一寸した瞬間を一定の方向性に効果があるように過ごすという意味であり、その一要素として、短期的な行動を利用しているだけであって、瞬間の行動だけで取り組んでも、その効果は非常に薄いだろう。

 実際、ラジオ体操にしろウォーキングにしろ、その瞬間を健康に役立たせると言う意識があれば、その他の日常においても同じ方向性になる。その全体のベクトルが身体を健康に近付けるのであって、一瞬のみに真剣でも、その他の時間が別の方向に向いていれば意味無いだろう。
 大事なのは、僅か3分間のラジオ体操でさえ健康に役立てようという意識、これが生活全般に根差す事が大事なのだ。1分間体操とか7分間ダンベル体操とか、色々あるけど、それも同じだ。僅か1分の隙間、僅か7分の隙間でさえ健康に役立ててる何かを取り組もうという意識こそ重要なのである。24時間の中の僅か3分の体操を真面目にやったところで、効果を期待するなんてチャンチャラ馬鹿げた話だ。それを真剣に考えるなんて、脳が腐っていると言っても過言ではない。

 そういう意味で、大事なのは、瞬時行動を強制するのではなく、意識改革を行わせる事なのである。意識改革出来なければ、何も手に入らない。それは、健康であったり、スポーツの技量であったり、学問への精通度であったり、全てに於いて言える事だ。

 在るモノを行えば全体が得られる、、、、でなく、全体を得るに必要なのは方向性であり、方向性が決まる事で、行うべき事を見出す事こそが大事な筈である。ラジオ体操したら長生きするとか、筋肉付けたら自転車速くなるとか、公式覚えたら偉くなるとか、、、、そういう奴が多いけど、チャンチャラ可笑しい話だ。何は兎も角必要なのは、意識の方向性である。これが大事なのだ。

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2010年2月 9日 (火)

サドルが欲しい

 どっかに頑丈なサドルは転がってないかな?
 殆ど、使い捨てっていうか、消耗品っていうか、、、早いモノでは1000kmで割れる。プラサドルは正直、ゴミだな。真ん中に穴が開いている奴は特にダメダメ。サドルが割れる事を考えたらカーボンなんて恐ろしくて使えない。割れたらケツに突き刺さりそうだ。

 因みに、尻は何ともない。普通にジャージかジーンズだ。レーパンではない。ズボンが擦り切れる事も無い。単純にサドルが壊れる。BBBのCTLサドルも半年で終わり。タイオガのスパイダーも半年、VELOのBMX用プラサドルは1200km走行でアウト。サンマルコのスクアドラHDPは壊れていないけど変形が著しい。4000km程で終了。取り敢えず10000km走行で壊れていないのはBROOKSのB17だけど、現代的ロードにはデザインが向かない。アルミの削り出しでサドルが欲しい。パッドやクッション、ジェルは要らない。ソリッドで頑丈なのが欲しい。

 乗り方が悪いとも思わない。ブン回して尻が跳ねる事もないし、脚が引っ張られる事もない。何て事はないけど、、、、、全体的に心地よいのは堅いサドルだ。変に衝撃吸収を考えたようなサドルはダメダメだ。頑丈に尻を固定してくれないと逆に疲れる。

 サドルとは、内燃機関的に言えばクランクケースの剛性だ。ケース剛性が無いと動力は逃げる。サドルは腰を完全に固定してこそサドルであるというのが持論。それ故にパッド入りのレーパンも嫌いである。ガッチリ尻の位置決めせんと脚は回らないし、動力に伝えられない。無垢木とか金属のサドルが欲しい。アルミ無垢材削り出しは無いだろうか?

 話は変わるけど、パンツが擦れるってのは変な摩擦があるからだろうし、尻が痛いのは座りが悪いからだろうし、あるいは、骨盤の角度が悪いように思う。骨盤のサドル面に対する角度が固定されてずれなければ、肉の移動も無いわけで、脚がスムーズに回ればサドルとパンツの摩擦も最小限だと思う。きっちり位置を出せば、脚の軌跡で内股がサドルと擦れることも無いだろうし、骨盤がぶれる事も無い。高さが合えば跳ねる事も無いし、引っ張られて骨盤が揺れる事も無いだろう。

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故障と疲労

 怪我からの回復状態を注意深く観察している。
 怪我した直後っていうのは、なんていうか故障痛って感じであり、曲げて痛い、力入らない、そんな状態だけど、時間が経過すると、痛みというよりも、違和感という感覚に変化して、今は運動後のだるさ、、、身体の重さって感じになる。

 筋肉痛っていうのは、疲労の一種と考えていたけど、過負荷で回復する過程で強化する際の症状であり、いわば、組織を一度破壊している訳であり、それは軽度な故障というか怪我みたいなものであろう。
 となると、怪我っていうのは、軽度では無い故障であり、それが回復する過程の最終段階では、筋肉痛での超回復過程に似たような感覚を得るのかな?って、何気に考えている。

 トータルで考えれば、回復に時間を要しすぎるのが怪我や故障。時間が掛かりすぎると、元の動きがし辛くなれば、結果として衰える。そういうモノなのかも知れない。

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報道、怖い

 プリウスのブレーキネタ。
 ニュースを聞いた時から思ったのは、ABS制御だろうね!って同僚と話しをしていたのだけど、やっぱりそうだ。
 そもそも報道では、悪路、滑りやすい路面で、そういう話があったということで、第一に思ったのがABS制御が原因だろうってこと。それをハイブリッドと関連付ける報道も如何?って思うのだが、こういう現象は下り坂で道路を横断するような金属の蓋とかスレートを通過する際に、ABS装備のクルマなら遭遇する現象だ。
 実際、エリオでも似たような症状は発するけど、これはシステム上の仕様だと理解している。慣性が強く働き、路面の摩擦係数が著しく変化する状況では不可避なものだと考えている。実際、冬場のアイスバーン、ブラックバーンなら有り得る話。

 しかし、マスコミの報道の仕方をみると、、、、、客商売で強く言えないメーカーの立場を知ってか知らずかしらないが、、、、大袈裟な話に展開している。流れ的にはリコールせざるを得ない状況に進んでいるようだが、世論誘導でリコールという結果に当て嵌めようとするような流れだ。
 最終的に、メーカーはリコールとして対応するようだけど、エンジニアは多分泣いているんでは無いだろうか?

 正直、チョット怖い話である。

 朝青龍関の引退も然りだ。何よりも引退、解雇ありきで誘導しているように見える。事実関係が明らかになって、その上での社会における処遇が決まってからでも判断は遅くなかったように思う。

 民主党小沢幹事長関連も然り。事件の表面化が昨年の三月。その後、異例の長期に渡る捜査の区切りが先日ついた訳だが、その間の報道は、報道自体が結果を誘導するように感じるところ。捜査の進展を見守って、事実関係が明らかになって、法的処分がどうなるか?の後に、判断を下せば良いように思う。

 いずれのネタにしても、報道の方向性が、視聴者の関心を集める事が第一で、その方向性の仕立て方としては、明確な根拠が無いのに、その分野の人間と言う事で、各方面の専門家の意見を編集して流したり、ごく一部の意見を多数の意見の如く編集し、それが結果を証明しているかのような構成で報道するっていうのは、報道自体が判例、判決、世論に多大なる影響を行使しているように感じる。

 公正と認定される結果が出る前に、結果を第三者が誘導するというのは、非常に恐ろしい事だ。
 そういえば、最近のニュースはワイドショー的であり、事実を伝えるというよりも、その事実に対する意見(つまり評論)をメインに伝えている。これ自体が、結果誘導のように感じるのだけど、純粋に、何がどうなった、何がどうした、、、そういう事だけで良いのでは無いだろうか?
 取材で報道っていうのは、事実の信憑性を確認するということ。裏の取れた事実を伝える事であり、感想的な意見を何でもかんでもを取材結果として報道するのは間違いだろう。
 報道では、誤った報道が在れば一言で済ませているけど、そういう態度を見ると、報道の自由という言葉を剰りにも極端に行使しているように見える。

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2010年2月 8日 (月)

政権交代してから

 民主党に政権交代して結構経過した。
 その満足度はどうよ?ってブログネタがあったので一言。

 まず、最近は逆風が強いけど、政治とカネの問題と、資金の流れの不透明性云々について、、、、印象的には負の印象が強いけど、正直、氷山の一角だろうし、冷静に判断するなら事実関係が明らかになってからの判断で良いので、そんなに過敏に反応するつもりはない。
 小沢幹事長ネタでも検察が起訴に辿り着けなかったのは、それは事実であり、仮に灰色であっても、素人の勝手な感想を記事にするつもりもない。言えるのは、過去の歴史を振り返れば、似たようなレベルの事は皆行っており、似たような結果になっているということ。だから、この問題は小沢氏個人の問題というよりも、日本の政界の政治全体に言える問題だろう。与党も野党もないだろうということ。

 残念なのは、自民党、、、、、野党になってから民主党が野党時代に行ってきた手法と殆ど同じ事しかやっていないというか、、、、そんな政治とは関係無いネタで時間を費やす姿がとても残念ということ。

 残念なのは民主党も同じ。自民党と同じというか、、、、そういう感が強いが、まぁ、政権交代しての真価は予算年度が替わってからの話だから、個人的には判断に対して執行猶予中ってところ。少なくとも次の総選挙迄は民主党政権となる訳であり、その間にどうなるか?は、時間が必要。今の段階では、半年見てきて過去の自民党政策とは違う事は感じる。その違いがどうなるか?は、未だ判断すべき時ではない。今の段階では少しでも違いが見えるだけでも、政権交代して良かったと思うのが正直な意見である。結果の判断は、もう少し先だろう。

 あと、最近は国民新党の亀井さんの動きを見て、、、、二大政党以外の第三局政党っていうのは、或る意味、旨味があるかな?ってこと。極になる大政党は対極に位置する必要があるけど、小政党は、政策によって賛成も反対も出来るので、存在感を発揮しやすい。
 ただ、小政党が連立政権を組むのは反対。案件毎に賛成、反対する立場の方が正解だろう。与党全体の政策に決定権を行使する事自体ナンセンス。その民意が反映されていないから小政党に留まっているのであり、小政党の意見が政府政策を覆すことがあってはならない。存在感を発揮するのは一考に構わないが、そういうものだろう。

 個人的には、一政党による過半数越えの禁止事項でも選挙のルールに盛り込むべきだと思う。特に、比例代表制が併用されている選挙制度では可能だと考える。連立の禁止、一極支配の禁止というのが、本来の政策決定議論の場に国会を変える方法の一つではないか?と思うのである。

 圧倒的多数では議論がされない。小政党の連立政策への意見の行使は政策に民意が反映されているとも言い難い。そう思うのは浅はかだろうか?

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気温の影響

 そう言えば、最近は冬場に脳梗塞、心筋梗塞のリスクを天気予報的に表示するサービスが新聞等にも見る事が出来る。
 血管系の疾患の発生リスクが気温に影響を受けるからだろうけど、実際、寒い朝に血圧を測定すると、驚く程血圧数値が高くなり、心拍数が低下する。

 毎朝、定時測定をしているけど、寒い朝の現場巡回直後では、収縮期血圧が150mmHgに迫り、心拍数で40bpmを大幅に下回る事も珍しくない。室内測定箇所で休息状態で居れば、およそ3分で血圧数値も心拍数も通常数値に落ち着く。変動数値としては、血圧数値で20%減、心拍数も20%増って傾向だ。
 気温、体温の変化で血管径が変化しての事だろうけど、驚く程素早く変化している。数値が変化するのは、血管の太さが気温に敏感に反応して変化しているのだろうけど、血管内に弾力性の乏しい付着物が堆積していれば、血管の径のダイナミックな変化によって堆積物の剥離が生じるのかな?っていうのが素直な感想だ。その剥離した堆積物が深刻な事態を招くのかな?と考える事ができそうだ。

 当初は、低温で高血圧が血管への負担という印象だったけど、日々の測定では気温の急変による血圧、心拍数の変化から血管の太さのダイナミックな変化がうかがい知る事が出来る訳で、そういう状態は堆積物の剥離に直結する。この剥離した堆積物が梗塞の発症と考えるのが最も合理的だと、今は考えている。

 一般に、機械類のトラブルっていうのは、定常運転時でなく起動時、停止時を含む変動運転時だけど、人間の身体っていうのも生体機械と考えれば同じ事だ。急激な変化に曝すっていうのが一番良くない。まぁ、運動での準備運動、ウォーミングアップ、クールダウン、、、それもこれも身体に与える変化の大きさを緩和するためのもの。

 そういうもんだろう。

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モデル化

 今、振動現象について考え中である。振動っていうと、機械装置にとっては嫌な挙動。振動も色々だけど、振動を消すにはどうしたらよいか?何が支配的な要因か?考えるだけでも楽しい。

 この問題は、過去に同業他社においても発生した問題で、今回、別の会社でも発生した問題。問題の解決法は様々だけど、この問題をもう少し頭の中で理解を深める必要がある。

 振動が起こる要因、起こっている部分っていうのは、実際の世界では複雑で目で見えない場合があったり、再現しづらかったり、偶発性が高かったりとなかなか厄介なもの。

 しかし、目で見えない問題程、イマジネーションが湧き上がる。このイマジネーションに従い、単純化したモデルを創って理解を深めていく。これが楽しい。どんなモデルを作って、どう理解するか?何て事は、無関係、或いは、理解しそうに無い第三者に話す事は無いけれど、問題で悩む当事者同士でディスカッションするのは楽しいモノだろう。

 如何にモデルをシンプルに作り出せるか?これが、自分が理解できるかどうか?の分かれ目だ。単純なモデルで、そのモデルが問題となった状況を説明できるかどうか?そのモデルのパラメータが実際の状況の何に相関するか?、、、こういった関連付けを行って問題となっている現象を理解する。理解出来れば、そうならない対策も作れるし、提案も出来る。

 なんていうかな、、、、こういう風に問題にぶつかって理解に時間を要するような手間が楽しい。また、そういう風なプロセスで熟慮の状況を話されたり、相談されたりする事も楽しい。
 物事を理解するには、理解できない事を理解できるレベル迄単純化するのが人の頭の構造だと言える。つまり、モデル化っていうのは人間の性質とも言える。それが出来ない人っていうのは、或る意味、人間とは言えないというのが正味な感想。だから、配慮や熟慮の形跡が全く見えない思い付きでの断定的な回答や言い訳を聞くと、凄くむかつく事が多い。或いは、考えた上とは思えない程に幼稚な話を聞いた時も、正直、首を締めたくなる事がある。それは、何よりも考えようとしていないという態度に腹が立っているのである。何かの事態を問題と捉えれば、見た人なりの意見が生まれるのは自然な流れ。色々と集まって議論する。その中でモデルを提案する(し合う)。それに対して、議論する人から意見が加わりモデルが洗練されていく。モデルを生み出すにしても、周囲と一緒に作り上げる事が出来れば、更に楽しいもの。

 新しい事、知識、技という物への理解というのは、如何に自分の理解出来るモノに置き換える事が出来るか?が鍵なのである。考えてみれば、何をするにしても、何かを得ようと努力するにしても、問題を解決するにしても、描く理想像が存在する。それは、理想像でありイマジネーションである。イマジネーションする事がモデルを作る事。つまり、モデル化である。或る意味、想像とは創造なのである。創造性豊かというのは、モデル化出来る力が溢れているということ。これが日常の活力のような、そんな感じだ。

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2010年2月 7日 (日)

同じ場所、同じ曜日、同じ時刻

 同じ場所で走り初めてどの位になるだろうか?ラングスターが2007年モデルだから、今で2年半くらいだろうか?
 社会人故に、曜日も、時間帯も、全て一定。同じ服装、同じ自転車で走っている。

 すると、、、、信号待ち等で会話をすると、何だか自分の走っているのを知っているような方が多い。話掛けてくる方は、基本的に、『何時も走られていますよね?トライアスリート?』って99%聞かれる。興味深いモノだ。

 何度も繰り返し遭遇する方が居て、自分の頭に残っている人も居れば、自分の意識には残っていないけど、自分の事を記憶している人も居る。まぁ、誰でも同じ状況だとは思うけど、同じように過ごしていると、誰かが、何処かで見ていて、記憶されている訳だ。
 そう言えば、レプリカブームの時に峠やサーキットに通っていたら、それで名前は知らないけど、覚えられて、、、、そういう経験があるけど、今も同じだ。

 面白いっちゃぁ、面白いけど、或る意味、恐いモノだ。する気は無いけど、悪い事は出来ない。同じ記憶に残るなら、良い印象で残りたいモノだ。
 人の記憶に残るって言うのは、印象の強さ次第である。格好悪いとか、高そうな自転車とか、変な格好とか、或いは、挑発的だとか、感じ悪いとか、速いとか、遅いとか、、、、多分、どれかの理由だろう。スポーツサイクルに乗って、比較的、高負荷で乗っているので、自分としては、遅いとか、格好悪いというよりも、速いとか、ハイパフォーマンスって方で印象に残りたいモノだが、どう思うかは、思う人次第。

 取り敢えず、マナー悪いとか、感じ悪いといった風に思われて、怪訝な視線を浴びるのだけは嫌だな。今は、話しかけられる。笑顔が基本。付かせて下さいとか、ということで、好意的には思われている割合の方が多そうだ。

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怪我して判った事

 先日、左肩、肋骨に打撲を負ってパワー半減となっていた期間がある。その間も、スイム、バイクのメニューは通常通り消化したのだけど、上体の筋力低下時には、メニューによってはパフォーマンスが著しく低下する。

 具体的には、スイム、バイクではヒルクライムで結構堪えた。スイムではプルの動作がブレスでのロスを招く感じ。バイクではハンドルをプッシュする際に姿勢が砕け気味となる感じ。

 やっぱり身体の不具合はスポーツに影響するようだ。そして思ったのは、当初思っていたような身体の使い方では無い感じ。具体的には書けないけど、頭で考えたり、想像したりの筋肉の使い方と、実際の動作での使い方は同じようで違う。身体を負傷しても、これが面白く、負傷した部位を動かすと全方位で痛い訳でもない。特定の方向、特定の角度の時だけである。それ以外の時は案外普通だったりする。物凄く微妙な世界だ。それ故に、ある部位を使うってイメージしても、実際、どんな具合に使っているか?っていうと、これまた難しい世界なのだ。

 運動やスポーツに憧れて鍛錬する人は少なくない。方法論的には行う競技をひたすら取り組む方法と、要所を鍛える筋トレだったり、特異的な練習だったりする。基本は双方が必要だ。競技体系で取り組まなければ、その世界で生きていけない。しかし、その体系だけでは求める負荷を効果的に作り出す事が難しい事もある。だから、基礎的な鍛錬も必要なのだろう。

 でも、基礎的な鍛錬ということで、短絡的に運動やメニューの情報を仕入れても何にもならない。良く聞く言葉で身体能力がどうのこうのって話があるけど、優れた身体能力を持っていたら、全てに万能か?っていうと、そうでもない。しかし、使い方だけ知っていたら身体能力を超える事ができるか?っていうと、そうでもない。

 最終的に身体を鍛えるのが目的でなく、目的の動作が出来る身体を手に入れる事が大事。目的の動作を行うというか、想定すると、何をどうするか?を考える事が出来ないと、多分、どんなに筋トレしても役に立たないだろう。どんなに回転練習という練習してもダメだろうし、LSDなんて横文字練習してもダメだろう。

 どうなるように、どうできるように、、、、そういう理想を描かないとダメなんだろう。怪我した箇所の痛みから、こんな事を改めて思った次第だ。

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1/31~2/6の週の検索ワードピックアップ

★クレヨン
 定期的に『海田』、『クレヨン』、『カワサキ』、『マフラー』、『ブレイブヤング』って検索ワードで当ブログにお越し下さる方がいらっしゃる。
 残念ながら、そのショップは今は営業していない。店長とは、別の連れのショップで罵り会う(?笑)仲だったけど、残念ながら、もう出来ない。
 このショップでは、1980年代にCS250をベースとしたシングルレーサー風モデルをコンプリートされたり、GPZ250をカスタムされたりしていた。有名なのは、ゼファーをベースとして、ZX-4の足回り、オリジナルブランドのチタン管『ブレイブヤング』を装備して、オリジナルのB/Sを装着したモデル。これは格好良かった。
 晩年は、単車よりも四輪がメインの店になっていた筈。四輪といってもケーターハムのスーパー7、パーキンの7といったモデル。他にはベックなんかも取り扱っていた。かなりマニアックで、遊び大好きなオヤジだったのである。

★クランクセット
 コンパクトがどうの、トリプルがどうの、、、、で調べる人が多い。まぁ、言えるのは、どっちも一緒だ。少なくとも、実質的に使えるギア比っていうのは、どちらにも存在する。使えないギア比も当然存在する。最近のユーザーのサンデートレーニングレベルでは変速段数が足らないなんて無いだろう。どっちのセットでも自分が使うギア比っていうのは、普通に選べる筈。
 特に、使った事が無い人が、ダンボのように耳知識で迷うなんて笑っちゃう。使ってから判断すれば良い。コンパクト使って、スタンダード使って、トリプル使って、、、、それから自分で判断するのが一番。何が優れるなんて、、、、基本、無い。どれも利点、欠点あるものだ。
 使わずして、伝聞、評判で判った気になるような奴が一番アホだ。意見に翻弄されると、純粋な自分の目が、変な先入観で曇って適正を判断出来なくなる。それ故に、使うが吉だ。
 実際、自分のバイクにはトリプルクランクはBS、小林、ルイガノの三台。コンパクトはオ・モイヨW、シルクR2ロードの二台、スタンダードはステンレスロードとなっている。どれも、それなりに使えるし不満は無い。敢えて言うと、、、同じだ。

★流体軸受の発熱、冷却
 これは計算で求まる。
 発熱量の前に必要な摩擦係数は、粘度、回転数、面圧、軸径、軸長、軸受隙間の関数。これで摩擦係数を求める。
 発熱量は、摩擦係数、軸受荷重、軸周速の関数。これで単位時間あたりの発熱量が求まる。
 冷却は、これを奪うのを前提で考える。隙間通過で狙う降下温度から所要流量を求める。流量から溝通過速度を算出して、規定内かどうかを判定する。その判定に応じた溝の設計を行う。
 溝の設計では、総断面積を求め、溝本数を求める時は、摩擦振動が起こらない周波数を考慮して行う。

 詳細は書けないけど、考え方は以上の通り。

★ケーブル配信でのBS番組
 広島で言えば、CATV配信のBSはトランスモジュレーション方式である。それ故に、CATV契約している家庭でのBSデジタル視聴はSTBが必須。汎用のBSデジタルチューナー搭載機器では見る事が出来ない。BS-TBSが配信しているEPEGも表示されない。
 しかし、最近サービスを始めた中国電力の光テレビなら大丈夫。これは、BSデジタルをパススルー配信だからだ。
 難点は、光テレビは、光電話、インターネットのセット契約オンリーだから。光電話、IP電話は未だに今一。使いづらい。それから、家庭に引き込む線が光ファイバー線となる。これを家屋内で同軸変換機を設置した上でテレビの同軸アンテナに接続する。電話、インターネットに関しても同じ。つまり、家屋内に余分な機器が最低でも1台は増える事。
 一般CATVのメリットは、保安器以降は一般アンテナ線と同じ扱いという点。
 CATV契約でベストは何か?っていうと、通常のCATV同軸線にBS/CSデジタルのパラボナから引いた同軸線を混合する事。混合した上で分配すれば、基本は同じ。

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2010年2月 6日 (土)

ポジション考

 先日のロードバイク選びって記事の注目度が高かった。
 自分の場合、拘りはジオメトリーって事だけど、ジオメトリーは一通りか?っていうと、そうではない。

 昨今のロードバイクブームでは、サドル高さを決める時に、ハンガーセンターからサドルトップ迄は股下×0.875とか、トップ長はいくらとか、サドルの前後位置は膝の皿と拇指球が鉛直線上にあるとか、、、結構、色んな説というか、公式が飛び交っている。

 でも、そんな事にしたら、乗る人が決まれば自転車は全部形が決まるって事になる。

 それは、有り得ない。

 同じ人でも用途や目的が変われば形は素直に変化するモノの筈である。だから、個人的には、一意的な公式で正論を振りかざす情報は信用していない。

 じゃぁ、何を信じているの?っていうと、自分が信じるのは自分の納得出来る理解と、その理解に応じて求めた数値である。理屈っていうのは、論理もあるけど体験による検証行為が含まれるのは当然である。

 そもそも、脚の屈曲運動であり、屈曲運度を回転軌跡に置き換えるモノがペダリング。屈曲運動における伸張端、屈曲端における状態の定義が最初であり、そこからサドル高さが決まる。更に動力を伝えるという事を考えれば、身体(体幹~下肢)の動きで最大の力が発揮出来る身体の骨格の位置関係を探すのが第一なのである。それは骨格の相対位置であり。相対位置は、目的に応じて執る姿勢によって変わるモノである。つまり、目的に応じて執る姿勢での相対位置が大事であり、それに適合するポジションを作るという考え方である。
 力を沢山出したい時はどうするか?一番楽したい時はどうするか?で姿勢は変わる。その姿勢毎に変化するモノである。その姿勢を作るのに必要な骨格の相対位置に沿ったポジションが何か?が、目的に応じたジオメトリーとなるという考えである。

 今の段階では、自分の判定できる部分は少ないモノ。姿勢というか用途に応じたシート角、トップ長というところ。判定基準が在れば、ハンガー下がりとか、フロントセンター、来センター、ヘッド角、オフセットという所が決める事が出来るのだろうけど、乗り手の動力効率に支配的な要素と理解できているのは、今のところシート角とトップ長だ。それ以外の数値は決める事はできるけど、残念ながら現時点の自分の知識では、それは乗り手の動力効率とは直接的に結びついてない。

 まぁ、現時点では、操縦性がどうの、使い勝手がどうの、、、って要求を挙げるような深い使い方をしていないので問題無いけど、取り敢えず、動力を掛け続けて健康増進に使うという意味では、動力効率に影響が高いと判断しているシート角、トップ長については譲れない。そして、この数値は、用途に応じて少しずつ違うものなのである。

 今の所、ポジション決定では、簡単な道具で必要な数値(骨格や関節の位置や角度等)をとって、後は、数値計算で必要なシート角を求め、トップ長を求めている。勿論、我流で自分が快適と判断(錯覚)しているだけかもしれない。見る人から見れば、大嘘八百かもしれない。でも、大事なのは、自分で納得できる考え方が持てるかどうかと言う事であり、それが間違いなら、少しずつ改めて行けば良いのである。

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交渉中

 クルマをどうするか?大詰めである。
 パターンは三通り、、、、、

1.エスクード2.4XEのMTを買う。
2.プロボックス1.5F ExtraPackage 4WD 5MTを買う。
3.取り敢えず、今は買わない。

 である。スイフトも魅力だけど、やはり落選だ。途中、フィールダーも検討に上ったけど、最終的には落選。理由は、、、、全長でエスクード以上の割りにラゲッジ長はエリオ並。何よりもカローラという名前が没の理由。
 メカ的に不満は無いけど、敢えて的に言えば、遡る事9年、、、、ずっと4WDに乗っている。JA11ジムニー、JB31シエラ、TD51WエスクードV6、TD31WエスクードDE、RB21Sエリオと続いている。だから今度も4WDにしたいという事。

 エスクードの交渉は販売店とは20年以上の付き合いということで、細かい交渉は無し。売り手側の常套手段では、何時までに決めたら幾ら!って乗り。そうでなければ幾ら!って事。
 基本は、オーディオレス車両でパールホワイトのZ7T(21,000円高)に、2DINのCD/USB/チューナー、ドアエッジモール、アルミペダルが変わったところで、後はマット、バイザー、マッドガード、ラゲッジアンダートレー、シート下ボックス、三年分のメンテナンスパック、ETC、ライセンスプレート等々で見積もった。価格的には、まぁ、普通。

 プロボックスでは、交渉中に三月にMCがあるとの事。つまり、三月にならないと判らないということ。プロボックスの場合、後付オプションは基本的に無し。2DINのオーディオをディーラーで付けるかどうか?という位。

 だから、気分は三月のプロボックスのMCでどう変わるか?次第である。因みに、現行プロボックスとエスクードでの支払い差額は、新車(付属品込み)の車両価格差70万円から見ると相当に圧縮しており約30万円差である。

 エスクードの魅力はスズキ自販さんとの20年以上の付き合いという点と見た目の格好良さ。難点は、1.8m越えの横幅、タイヤサイズの大きさ、他には1.6tの重量、1.7mの車高といった所。
 プロボックスの魅力は大きさ、頑丈さ、経済性、ホイール等の共用性、積載性だ。特に、エリオとホイールが共用可能なんでスタッドレスタイヤセットも以降出来るし、その保管場所を懇意としている整備工場としている点で、大きなタイヤを預けなければならないという気掛かりも無いのは大きなメリット。難点は、未確認のリアシートの居住性、10年近く乗る前提で車格への納得度が持続できるか?というところ。

 スズキ自販さん的には、プロボックスのデビュー前の決断なら、もう一声って話もあるようだけど、それはそれ。金額ではないのである。現行プロボックスなら、物理的にはプロボックスだけど、付き合い的にエスクードで決まりなんだけど、3月MCのプロボックスが難点の居住性に少しでも改善が見られれば、そっちになるというところ。

 現在のエリオは査定は殆ど皆無なんで、決断出来なければ、もう暫く伸ばすって手もある。伸ばす場合は、プロボックスが大きな変化が無い場合、一年程度先のエスクードのFMC情報で、現行から大きく変わるという情報が入るまで様子見するというのも一案。

 正直、エスクードを買うならば、もう少し待つのもアリだろう。プロボックスがどう変わるか?これが鍵だ。

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2010年2月 5日 (金)

ロードバイク選び

 ロードバイクが流行だけど、自分の中で、これは!って思うモノっていうのは案外少なかったりする。
 これは!って思うのは、コンポグレードやマテリアルではない。特に重要視しているのはフレームジオメトリーだ。ジオメトリーで最重要視しているのは、自分の場合はシート角である。シート角と次がリーチだ。シート角っていうのは、幾らが万能というモノでない。自分が、どんな風に乗るか?で決まるもの。何に使う?どのように使う?って決めているからシート角が決まる。リーチというとステム長も含まれるけど、フレーム側で言うとトップ長である。このトップ長とシート角を特に重視して選んでいる。なお、一般的にシートパイプ長でフレームサイズを定義しているけど、ポストの差し込み量で調整出来るので、見た目を気にしなければ重視しない。

 決め方が人とチョット違うかもしれないけど、自分の場合は身体に併せたサドルハイトを決める。そして次が用途を決める。用途が決まると前傾度が決まる。前傾度が決まると駆動姿勢が決まる。その姿勢での脚の位置から腰、ハンガー、膝の位置関係を決めてシート角を決める。同時にリーチも決まる。そうするとトップ長も決まる、、、、、そんな感じ。
 スポーツサイクルを今の自分がどう使うか?を考えて、その際に快適と感じる数値は、トップ長でいうと530±5mm、シート角でいうと75°±30′ってところ。それを外れると、、、結構、不快指数が高くなる。勿論、用途が変わると、数値が変わるのは言うまでもない。

 そんな目で最近売られているバイクを眺めてみると、、、、、自分の体型からOKと判断出来るサイズっていうのは結構選びにくい。身長171.5cm、股下で78cmというのが体型だけど、この体型で選ぶ事が出来る自転車は、、、、海外ブランドならXSサイズばかりだ。Sサイズになるとチョット厳しい感じ。乗れない事は無いけれど、、、、って感じ。厳密にはXSサイズとSサイズの中間あたりがベストっぽい。

 公式的に股下に幾らの数値を掛けたらサドルトップからハンガーセンター迄の距離が出るなんて言えない。一説には0.875を掛けたら云々とかあるけど、関節の柔らかさ、足のサイズで変わるから言いきれない。それだけでない、数値の決め方は色んな説というか公式が飛び交っているが、正直、それが当て嵌まるとは思えない。また、公式を知らない人も居るだろうし、それは人各々だ。何にしろ、多くの人が購入に決断する判定基準を持っているように、自分も自分なりに持っている。その基準は、自分が納得できる根拠に基づいた方法で決めているけど、それから得られた数値を満たすモノっていうのは、なかなか見つける事が出来ない。

 今、ラングスターを日常的に使っている。コレはSサイズなんだが、今思えばXSサイズを買うべきだったようだ。僅かな違いだけど、この僅かな違いを得るために結構な苦労をしているのは事実。この僅かな違いは、なかなか調整可能な部分では補えないのを実感している。
 ホント僅かな違いなんだけど、他のバイク(BSロード、小林ロード、ステンレスロード、シルク)は何の苦痛も無くフィッティング出来る。僅かな違いが自分の体感では凄く大きな違いとして感じられる。

 ロードバイクを選ぶ時は、何よりもフレーム選びが大事なのを痛感する次第だ。フレーム選びで大事なのは、作りでも所作でも材質でもない。大事なのはジオメトリー、、、、それに尽きるのである。

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自発と伝聞

 色んな説が飛び交っている。説は説だ。説を利用したとかの体験談も飛び交っている。

 興味深いのは、そんな説は体験談を誰彼が取り入れているからとか、良いと言っているから、、、と、そんな理由で取り入れたり、真似事をする人が少ない事。この傾向は、学問や研究の世界からダイエットや今流行の自転車のようなスポーツの世界でも多くみる事が出来る。

 確かに、小難しい熟語と実践方法が色々と紹介されたりしている。色々と眺めると、そんな方法に傾注して頑張っている人も少なくない。そして、そのための筋トレと称して、スロートレーニングとか、加圧トレーニングといった方法で筋肥大を目指し、結果として何かを得ようとするっていうのがとても多い。

 これ系な考え方っていうのは、こういう手法で、これに従って続けると、結果として何かが良い具合になるってストーリーなんだろう。何かが良い具合になるっていうのは、期待しての事だろうけど、、、、チョット不思議な感じがする。

 不思議な感じがする大きな理由は、在る説が主流な時は、皆、その方向に走る、、、、しかし、その説を覆す説が出てくると、皆、乗り換えて、その方向に走るって傾向が大きい事だ。これって、誰かが何かをやったらイイ具合になったというのを、ボンヤリとというか、何気なくというか、もしかしたらっていうか、そういう曖昧な期待を我が身に期待しての行動なのかな?って事を想像させる。

 良いと言われる事をやると、何かが変わるかも、、、、、そういう期待だけで動いているのかな?と思わせられる事が少なくないのだ。

 最近の自転車系なら、みんな90rpm志向だったり、トレーニングでは引き脚回転練習とか、LSD練習とか、、、、そういうのに走ったり、或いは、パワーアップに筋トレ、筋トレなら加圧トレ、スロトレとか、、、、そういうのに走ったり、、、、不思議な感じである。

 片足ペダリングの練習したら片足ペダリングは上手くなるだろうけど、LSD練習したらLSD慣れはするだろうけど、加圧トレしたら加圧した状態で負荷は受けられるようになるだろうけど、スロトレしたらゆっくりとパワーは持続できるかもしれないけど、それ以上の効果というか、別の効果にどう結びつくの?っていうと、自分的には、そこに結びつけられる、自分を納得させる事が出来る論理が無ければ取り入れないので、そんな風な巷で良く聞くからって取り入れる事はしない。

 伝聞で動く人っていうのは、何かをやったら、何かを得られるかもってパターンが多いように思う。逆に、自発で動く人っていうのは、何かをやるためには、何かが足らないので、そこを集中的にやるって人なのかな?って思う。

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2010年2月 4日 (木)

無知、未知

 先日、同業者のエンジニアと、とある問題の議論を行った。
 現象的な理解をしているようで、していない、、、、そんな感じ。問題となっている現象は、いろんな所で起こっている現象だけど、これを解決する事が、人が集まっても出来ない、、、、、他から集まってくれた方、皆さんは立派な方だけど、立派であっても、やっぱり判らない事がある。それが、とても身近な現象なんだが、それでも判らないっていうのは、或る意味、面白い話だ。

 議論しながら思ったのは、沢山勉強している人程、判ろうとするために、特定の方向性に物事を進めるような感じということ。
 方向性が合っていれば、大抵の場合は、言っている人の事は何となく理解出来るのだが、この度は、色んな議論を行って、色んな話を聞きながらも、これだ!って言う、脳内の同期感覚を得る事が出来なかった。勿論、自分も問題に対して本心から納得できるイメージを即座に作り上げる事は出来ない。

 我ながら無知で、未知な事が多いなぁ、、、、と思うばかり。

 でも、そういうテーマが見つかるって言うのは、或る意味、有り難い事。

 その後、家に帰って考えてみた。問題となっている現象を如何に判りやすいモデルに置き換える事ができるか?モデルに置き換える事が出来たら、現象を分解して考える事が出来る。これが面白い。こういう感覚、暫くぶりだ。

 現場で己の無知を思い知る。そして未知の多さに驚く。これが大事だ。未知に驚き、無知を自覚する。これが何事を始める時でも大事な第一歩である。

 議論していて、それは違うだろ!って思う事もあれば、俺はバカだな!って思う事もある。この瞬間が一番大事だ。勿論、バカなままは嫌だから、自分の無知の程度は自分しか判らない。情けないと思った瞬間の出来事を、自分なりの知識で理解出来るようにする。同じ事に遭遇した時、バカだったと自覚した瞬間と、その後に積み重ねた知識による解決策を同時に思い浮かべる事が出来れば、無知を一つ解消した事になる。

 無知を自覚する瞬間っていうのは、やはり背伸びした世界で過ごす事が大事だ。この環境は大事にしたい。

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四十肩、五十肩

 肩を痛めて可動範囲が狭くなった。今は回復しているけど、動かしていると多くの人から、四十肩?五十肩?って言われた。

 ということで、四十肩、五十肩を調べてみた。

 すると、症状的には正しくであり、可動範囲が狭くなる事らしい。原因は炎症とされているようだ。
 症例的には、前兆が存在する。前兆は、肩の違和感、しびれ感であり、これを検知したら肩関節の運動を行う事で発症を予防出来るそうだ。この原因というか、慣用名を正式には、肩関節周囲炎という疾患の事。肩の動きは非常に複雑故に、炎症が起こりやすい。それが中高年で発症しやすいのだが、原因は特定されていない。
 症状的には、腕の捻り、上げ下げで肩の痛みが出る。それで上着を来たり、帯を結ぶ動作に不都合が出るそうで、関節内に石灰が沈着していると激しい痛みを伴う。特徴的な症状としては肩の背中側を押しても問題無いけど、胸側を押すと痛いという。

 この診断は、次の動作で診断する。

・両腕を前方から真上に上げる。
・両腕を真横から真上に上げる。
・上腕部を水平に保ち、腕を上下に動かす。
・上腕部を真下に保ち腕を水平に前後に回転させる。
・両腕を腰部に回す。
・両腕を後頭部に回す。

 ということだそうだ。

 基本は、痛いから動かさないと関節が固まる訳であり、これは、骨折等で動かさない状態の後に動かす時の難しさと同じモノ。ゆっくりと少しずつ動かせるように体操するのが大事である。
 大事なのは適度な運動を日常的に行う事なのだ。

 まぁ、一説には打撲や捻挫、脱臼が切っ掛けで発症するという話もあるけど、そのような症状で肩のかばいすぎて動かさない生活に馴染んだ結果、動きにくくなるというのが真相。

 関節を動かさないと、ホントに動かなくなるっていうのは、過去に大腿骨粉砕骨折で大腿骨を金属で補強整形手術をした時に、膝の関節は約1ヶ月間動かさなかったのだが、術後のリハビリ開始時点では膝関節が全く動かなかったのを覚えている。
 確か、真っ直ぐにも伸びず、100°以上曲がらず、、、って状態。痛みにかまけて居た時は、リハビリの進行度合から、一生走れない、階段の上り下りが出来ない、自転車も乗れないと脅された事を覚えている。
 その時、どうしたか?っていうと、ホットパックで関節を暖めて、力ずくで関節を腕の力でひん曲げるようなリハビリを行って医師に叱られた覚えがあるが、御陰で、丸三日の強制リハビリで膝は曲がるようになった。

 ところで、この度の肩の打撲では、当日は全く力が入らなかったけど、軽い動作で翌日はウエイトが掛けれてスイムもOKだった。その後、一週間で回復したけど、丁度一週間目でフルパワー掛けて逆に傷めたのは愛嬌だが、今は殆ど問題無く動作する。
 やはり、傷めたといって過保護的に過ごすのもNGだろう。動かしてナンボである。勿論、過負荷はNGだが、過保護もNGである。頃合いの良さ、適度な負荷、それが大事。負荷の適正値を見誤らないのが大事であり、それは自分でしか判らない。そこが怪我からの回復の速さの差であろう。
 

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2010年2月 3日 (水)

ダンベルのロック

 ダンベルで30kgをセットしているものは、バーにミズノのバーを用いている。これは、グリップがバーに被せてあるパイプとなっているタイプで二重構造となっている。グリップの回転がバーの回転に連動しないので手首を痛めにくい。そして、プレートのロックはスクリューロックでは無い。ピンボルトでバーの溝に締め込んで固定するタイプだ。

 以前、ダンベルのバーについて、スターナット固定が今一で、ロックリングで固定するタイプが良いって書いたけど、暫く使うと一長一短ある。

 スターナットタイプの特徴は、
●利点
・両サイドから締め込むのでプレートががたつかない。
▲欠点
・バーの回転がプレートを回転させてスターナットを緩める事がある。

 ロックリングタイプの特徴は、
●利点
・バーの回転がプレートを回転させてもロックリングを緩めない。
▲欠点
・プレートを挟み込まないのでプレートがフリーで五月蠅い。

 そんな感じで、一長一短あるのだ。ダンベル自体を大きく動かす運動では、プレートのがたつきは非常に気になるので、ロックリングタイプが優れているとは言い難い。大きな重量のプレートを用いる時は緩みによる脱落が恐いし、重量が大きいと動きは遅いのでがたつきは気にならない。

 つまり、動かすパターンや重量で、ロックの選び方は違ってくるのである。

 で、今は、片側30kgのダンベルでは、グリップフリーでプレートをロックリングで固定するタイプを用い、片側8~15kgのダンベルではスターナットで締め込むタイプを使っている。

 そして、スターナットで締め込む場合は、重量が軽く、バーの長さに余裕があるのでスターナットをタンデム(直列)にしてロックナットの容量で固定している。そうすれば、緩む事は稀である。勿論、そうすると締め込みでバーの長さの多くを使うので大きな重量には向かない。バーに沢山のプレートを使う時は、スターナットのタンデムロックではバーの長さが足らず大きな重量に対応できない。

 この使い方が一番賢いというか、理に適っているような感じだ。

 当分、30kgダンベルはロックリングで固定、15kg以下ダンベルはタンデム掛けのロックナット方式でスターナットタイプを利用する予定だ。

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体脂肪率

 体脂肪率っていうと体組成計で計測されるので、良く聞く言葉だ。
 この言葉で脂肪が多い、少ないを言っているみたいだが、この数値はどのくらいが限界で、どのくらいが適正か?っていうと、、、、

 限界は男性で5%、女性で12%が下限値と言われている。
 そして、適正(何を以て?)と言われているのは、年齢によっても異なるけど、

 男性で、30歳未満が14~20%、30歳以上が17~23%
 女性で、30際未満が17~24%、30歳以上が20~27%

 って言われているようだ。

 体組成計のメーカーサイトによると

http://pro.tanita.co.jp/tech/tn02_02.html

 のも探す事が出来る。
 この表は、肥満学会の肥満判定に基づいたものだそうだ。これをベースに、体重計ではBI法で測定し、どのエリアに属するか?を判定するらしい。

 この表から男性の判定を見ると、14歳迄は基準は不変、それ以降は体型の判断境界の数値が体脂肪率が大きめ数値にシフトする様子を表している。言ってみれば、高齢程、体脂肪が多くても肥満判定が低く見積もられているようだ。

 こんな予備情報無しで脂肪って?を考えてみると、脂肪とは活動に必要なエネルギーのストックの事。適切な脂肪量というと、身体の機能を失わない程度の量、ライフスタイルから飢餓で筋肉が分解されない程度の量ということだろう。

 そこで、成長期を考えると、成長期とは機能の発展途上であり、新陳代謝の活発さを考慮すると多くのエネルギー源が必要だけど、それよりも身体の機能が未完成故に、活動を阻害するような脂肪の保持は機能発達に負の要因を与える方が大きいとも考える事ができる。
 しかし、成長期を過ぎると、新陳代謝は一定となり必要なエネルギー量も一定となる筈。特に、代謝を司る筋肉量が一定なら必要なエネルギー量も一定の筈であり、にも関わらず脂肪量が増えても肥満判定が為されないというのは、理解し辛い傾向だ。
 敢えて理由をこじつけるならば、加齢に伴う活動度の低下によって、生物としてみると、食料調達力が低下するために飢餓への対応度を高めるような変化とでも考えるのだろうか?
 それよりも、代謝基準値(体重あたりの代謝)も減少し、基礎代謝(個体全体の代謝)も減少するということは、エネルギーとしての脂肪を蓄える必然性は無いはずであり、加齢する程に、低い体脂肪数値でなければならないと思うのだが、その理解とは逆行した判断が為されている。

 一寸した事を見つめる程に、いろんな判らない点が沢山ある。それって、結構面白いものだ。

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2010年2月 2日 (火)

自転車って言っても。

 自転車と一言で言っても、これは纏める事が出来ない。それは、車両のタイプの事でなく、乗り手の意識次第だからだ。基本は、所詮人力車であり、競技用だろうがママチャリだろうが、同じモノ。乗り手以上の動力性能は出てこない。どっちも同じものであり、脚の往復動運動を車輪の回転に変換させて進むという点では、数十万円の自転車も一万円足らずの自転車も同じモノである。

 自転車を分けるのは車両タイプとか価格でなく、乗り手の意識で分けるのが適切。分ける意識としては、乗り手が自転車に乗った状態を、車両を運転している自覚があるか?歩行者の延長としての意識か?が大きく違うだろう。

 歩道利用者の多くは、低速、並進、携帯操作、音楽鑑賞、ふらつき、脇見で走っているけど、彼らは自転車を運転しているという意識は皆無であり、歩行者意識で自転車に乗っていると言っても過言ではない。
 一方、車道利用者が車道を走っている時、基本は車両を運転しているという意識が前提となっている。

 つまり、自転車といっても、一方は車両、一方は歩行者なのだ。自転車の良いところというか、都合の良い(?)ところっていうのは、ある時は車両に、ある時は歩行者に意識次第で変幻自在に変化出来る事。これは、偉そうにマナーを叫ぶスポーツサイクルユーザーでも、車道走行中に車道を(交差点ではない)横断する横断歩道の赤信号を無視したり、一時停止を行わなかったりする例も多く見掛けるし、交差点で突然歩道に進入して歩道、横断歩道を都合良く利用して、その後車道に復帰するという使い方が認められているという現状が利用者意識の混在というか、不定要素を生みだしているといって過言ではない。

 自転車の関係する事故のパターンを挙げてみると、、、、

1.歩行者と歩行者意識で歩道を走る自転車の事故
2.車両意識と歩行者意識を自在に変化する際における自動車との事故
3.歩行者意識の自転車と車両意識の自転車の事故

 というのが多い。要は、意識の違うモノ同士の事故が多いのである。それは、自転車が歩行者にも車両にも変化できるというのが一番の原因だろう。

 では、どちらに統一するか?というと、それは画一的に論じられない。子供車、高齢者、ママチャリっていうのは、歩行者意識だろう。自転車なんて車椅子と同じ様な扱いの場合もある。この利用者意識を一方に誘導する事が一番だろうけど、それは利用形態に広さから難しいもの。
 今、各所で歩道内における自転車レーンの設置、車道における自転車レーンの設置が進められているけど、その分岐である交差点等ではレーンが消滅しており、その交通の混在する箇所が事故の多発地点であることを考えれば、もう一工夫欲しい所ではある。交差点の歩道部分は、進行方向に依らず交通は制限を受けていない。非常に混沌とした状態。そこが事故の多発ポイント。交差点界隈の交通の制限を如何にするか?これがレーンの整備の前に必要では無いだろうか?

 個人的には、交差点エリアの境界線とか、横断歩道の前後範囲では、歩道内にバリケードを設け、自転車の一端降車や一時停止を強制するような整備が有効かな?と思ったりする。過去に自分が自転車を利用していて怖い思いをしたのは、真下を見て前を見ないで運転する爺さんに真横から突っ込まれた事があるけど、横っ腹から突っ込まれるっていうのは、進行方向が90°の関係故の事。交差点界隈では、停止、直進、右左折の車両と歩行者が狭い範囲で車線無しでシャッフルされた状態。これが一番リスキーだと言える。真っ直ぐの歩道にレーンを整備しても効果は薄いかな?というのが偽らざる感想である。

 思うのは、車道と歩道の往来が自由というのが、そもそもの間違い。となると、事故の起こりうる場所において、立場が変化出来ないようなインフラの整備しか手立ては無いのではないだろうか?

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減税とか、補助金とか

 今年、車を買おうかな?って考えている。勿論、買わないかも知れない。

 ところで、自動車業界では、表題の如く、減税とか補助金の制度が販売の追い風になっている様だ。CMでも殆どが減税、補助金でお得さをアピールしているし、賢い消費者になる事では、このような制度を積極的に利用する旨の意見を頻繁に耳にする。

 でも、個人的には、減税とか補助金とか、、、そういうのはどうでも良いというか、全く感心が無い。敢えて言えば、自分の眼で選んだモノが、そういう対象に当て嵌まればラッキーという程度であり、選ぶ基準に、減税とか補助金で金額のお得度は入っていない。

 そういえば、正月セールで福袋を買う事もまず無い。そもそも予算を決めて予算の範囲で消費する場合、金額は二の次の事が多い。

 金を沢山持っているとか、持っていないとか、そういうのは関係無しに、欲しいモノの金額を見て納得出来れば買うし、そうでなければ、見送るだけ。そして、その物欲の度合に応じて予算のリミットが緩くなるだけ。何円得だから買う!って行為はまず無い。得した、損したの満足度を、出費の金額で判断する事よりも、欲しいモノが手に入ったかどうかで判断する事の方が多い。

 つまり、クルマを買う時も、自分の目的や用途が最重要であり、減税や補助金が適用の範囲から選ぶというのは有り得ない。
 但し、積極的に選ぶ理由に差違が無い時に、最後の選択でメリットが大きい方を選ぶ条件になりうるのは言うまでもない。

 今度車を買う時は、やっぱり10年スパンで乗るつもり。すると、道具としての使い勝手、頑丈さ、ランニングコストを重視したい。そう考えると、補助金や減税っていうのは、最後の選択の判断には効くけど、やっぱり大した要素では無い。

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2010年2月 1日 (月)

景気

 造船業界の話。造船業界の景気=海運物流の活発さと考えれば、世界の景気が良くなって、人と物の動きが活発になると、大量輸送を支える海運業界は好景気になるんだろう。そうすると、モノを運ぶ船の需要は高まる。造船というと、モノがモノだけに、受注して納品迄は相当な時間が掛かるものであり、造船受注というのは、その納期分の先の景気を反映しているとも言う。造船業界が活況を呈しているといのは、その納期の先にも繁栄の見込みがあるということだろう。

 事実、昨年のリーマンショック以前では、造船業界は空前の好況に沸いていた。関連業界の生産は倍々ゲームで増大し、その好景気は未来永劫続くかのようにも思われた。
 しかし、景気後退と共に、受注は激減し、景気崩壊以前に受注したものの、納期が先のモノの多くが契約キャンセルの憂き目に遭っている。この景気崩壊は一年一寸前の話だが、現時点において、過去に遡る事1年半以上の受注が無い状態の造船所が多い。

 景気崩壊直前では、造船所の船台は二年半迄埋まっているというような景気の良い話が飛び交っていたけど、それから一年半経過した今は、後一年先には仕事が無いという事となる。そして、契約から納品迄の納期という面から考えると、通常は納期二~三年前には受注契約が成立する筈であり、急激に受注が回復したとしても、一年先から一年程は仕事が無い状態になるのかな?なんて考えてしまう。

 それはそうと、中国のGDPが日本を抜いて二位になるなんて話があるけど、決して驚く話ではない。一人あたりで考えると、、、、まだまだ、、、、って楽観論も耳にするけど、それとも違う。

 驚く話ではないけど、そういった新興国のGDPを生み出す原動力というのは、新興国での生産活動だ。日本製品と新興国製品の多くが同じ市場で競っているけど、過去を振り返れば、付加価値を生む工業製品っていうのは、文化水準の高いところから低いところへシフトしていくのが宿命というか定めのようなモノ。日本経済を支える製品の多くは欧米で芽生えた分野のモノであり、その生産の役割が欧米からシフトしてきただけであり、これからは、生産の役割が新興地域にシフトしていくのだろう。その中で、市場の需要と生産国の供給のバランスがどうか?が気になるところ。新興諸国の生活水準が上がりマーケットが拡大するのは事実だけど、それ以上に供給能力が高くなると、その生産活動から得られる利益率は低くなるもの。GDPが増大する程に、成長率は鈍化するだろう。需要と供給のバランスから考えると、日本が享受してきたような一人あたりの豊かさに繋がるような状態にはならないだろう。しかし、同じ生産活動で利益を得るのであれば、日本では成長の速度が鈍るのでなく、衰退方向に変化するのかな?と考えたりする。社会の心理として、成長が鈍化するインパクトよりも、成長が後退に変化するインパクトの方が恐さを煽るのでは?というのが感想だ。

 経済として成長するのは、モノと金の価値の変化率ではモノの方が上回るというのが前提であり、これがひっくり返れば、活動しても見合わない対価しか得られないということで、活動の割りに合わないということ。何故割りに合わないか?というと、安価に供給する力が作用しているということ。今、デフレがどうの、、、って言われているけど、デフレに襲われているのが日本で特に深刻というのは、日本での付加価値を生む活動が、日本固有の活動でなくなった証明であり、作られた需要への対応と過度のコスト対応が生んだ結果とも言える。
 人為的な消費の刺激で市場が創出されたり活性化する。そこに商品を供給するには、手狭となってきた。だから、より低コストに大量に作れるように資本を投下して新興国で生産する。当初は、それで利益を得る事が出来るけど、手間の割りに上がる利益率は大きくない。そんな状態で時間が過ぎる。結果、技術の流出と市場の拡大が進む。気が付くと、流出した技術が自分の首を締める。そして、同じモノしか作れないと生み出す価値が手間の割りに減っていく。そしてデフレに向かう。

 デフレに向かうと経済は縮小する。一番怖いのは、生産従事者あたりのGDPが逆転する時であり、その予兆がデフレという形で現れているだけのように見える。デフレが進行するのは、経済活動的にデフレ方向の圧力を作用させる地域の影響力が大きいということである。技術の流出、普及というのは歴史的に止めようのない変化であり、高価でも売れる商品を生み出す事、言い値が通る商売を生み出す事しか手立ては無いように思う。

 今の方向性、、、、コストを下げるために生産拠点を海外に移すとか、海外製品と価格を競って市場を維持するという方向では行き詰まるのが落ちかもしれない。競争のために移転したり、コストを下げるために機能を落とすような工夫を進める程に、生み出す価値を圧縮する方向に加速しているだけのように見える。

 製品的優位性がある内に技術の流出を防止し、先鋭化するような方向への転換が求められているように感じるのは自分だけだろうか?

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交流

 2/1に公開する記事だから、2/1の予定を少々。
 この日は、自分の開発した技術を、それを利用して製品に組み込むユーザーの研究者の方と打ち合わせをする予定だ。分野的には、自分の勤務する企業と同業の企業だけど、企業の対象とする市場が別の世界故に、独自技術を他社に利用して貰うのは全く問題無いとしている。

 技術といっても、複雑怪奇で多機能なモノでなく、非常にシンプルで、概念的に新しい思想に従って生み出した部品だ。本来なら、その技術を持つ部品に対する権利を思いっ切り行使するのも方法だろうけど、自分的には、その技術を独占的に支配するつもりは全く無い。利用したければ、実費のみで広く利用して貰って構わないと考えている。

 一般には、特許取得したような技術を供与する場合、特許の使用料が云々とか、その利用形態に制限を与えたりとか、利用する企業を制限するというのが企業の進み方なんだろうけど、この技術には、そのような制限は原則として課さない。今迄の方針がそうであり、今後も変わらないのである。

 一般に利用範囲を制限したり、特許利用料を吹っ掛けたりするから、利用者が特許の抜け道を探したり、黙って利用したり、隠れて利用したりするのである。逆に、制限が無ければ、そういう必要が無いのであり、それに対応する手立てを考える事を考慮すれば、制約を与えない方が遙かに楽なのだ。
 大事なのは、どこで利用されているか?どんなニーズがあるか?を情報として収集する事こそが大事なのである。つまり、どんな制限も課さないし、こちらの持つ情報は必要に応じて公開し、その公開において生まれる交流から情報を入手する事に最大限の価値を見出しているのである。

 そういう意味で、この技術をネタにした交流の輪が広がる事が自分にとっての最大限のメリットと捉えている。そして、2/1は、この技術を利用するユーザー企業で基本は競合しているであろう複数の企業の技術者、開発者と同時に会合を行う日でもある。

 特定の企業との打ち合わせ、一対一の会合は何度もあるけど、複数の企業、それも同じ業界の企業が集まって話をするのは始めての事。これをアレンジして下さったのは、同じ業界の企業に自分の技術を製品(部品)として卸す企業なんだが、都合、4社で話をする事になる。果たして、どんな話になるんだろうか?

 不謹慎かもしれないが、実は、そこでは、殆どの場合が利用者の疑問、問題点に対応する情報提供が殆どだろうけど、自分としては、どの組織に属しているか?に関わらず、そういう新しい事に従事されている方と、思い掛けないトークする事自体が楽しいのである。なんていうか、そういう仕事に携わっている方との話は、自分の頭の体操になるし、負けられないという意識の高まりを呼ぶ事が出来るのが最大のメリットである。
 言われた事しか出来ない人とか、自分で新しい何かを生み出そうという意志が無い人、任された業務において模倣性を重視する人や、そういう空気の組織での交流は、自分の頭も腐るような感じがするのであり、そういう意味で、頭をリフレッシュする意味では、こういう機会を一年に何回か作るのは大事な事だと考えている。

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儲けるには?

 物作りで儲ける。これは結構難しい。物作りしても、儲かり続けるっていうのは稀。

 基本、利用者が便利と思える機能をリーズナブルに実現するっていうのが大原則であり、この原則を外れたモノでは儲ける事は出来ない。大事なのは、この便利でリーズナブルっていう要素が、先駆けとなるか、独自のモノとなるかが大事。後追いであったり、差別化が図れなければ、競争力を得る事は出来ない。

 超高機能テレビで東芝さんがリリースした8チューナー搭載で100万円のテレビは利用者のどれ程が望んでいるか?の点で厳しい。
 家電の世界では、独自性を保つのは難しいけど、先駆であれば、その特徴をアピールしやすいのは事実。例えば、掃除機ではサイクロンタイプが主流だけど、その先駆けのダイソンっていうのは追随他社製品が在っても独自の地位を気付いている。オイルヒーターのデロンギも然りだ。
 この傾向は、家電に限らず半導体集積回路の世界におけるIntelの立場であったり、OSの世界でのWindowsであったり、どんなジャンルでも当て嵌まる。

 逆に、他社の発案を利用して価格競争力を主とした武器として進む場合、その地位を維持し続けるのは非常に難しい。
 日本製の工業製品、家電、半導体メモリー、自動車、造船、、、、、は、何れも新興諸国の価格的に優位な競争力を身に付けた製品に押され気味である。そんな競争においては、価格で勝負する事は難しい。そうは言っても、所詮テレビ、テレビに100万円の機能を盛り込んでも商売として厳しいように、モノの立ち位置において逸脱した機能と価格は受け入れられない。
 勿論、現在、価格競争力的に優位に立つ中国、台湾、韓国を始めとした企業の製品だって、その価格競争力が永遠に維持出来ないのは、日本製品の競争力の変遷を見れば明らかであり、製品っていうのは、価格競争力的に見合った地域での製造が自然と行われるという摂理に従うもの。

 大事なのは、利用方法の提案であり、価値観の創出なのだ。これが出来るかどうか?が価格競争力を失った時に生き残れるか?の分かれ目となるようだ。価格競争力を維持して利益を得ている間に、その利益で新しい価値観を作る投資を行ってきたかどうかが、企業において製品を作り続ける資格があるかの分かれ目となる。

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