想定
ダイエットの為というよりも、最近の運動は、より速く泳げるように、より速く走れるように、という目的の為の運動という色彩が強い。それなら、毎日泳いだり、毎日自転車に乗った方が良いかもしれないが、色んな考えに従うと、なかなか、そうも出来ない。
まぁ、そうしないのには、行えないという部分と、敢えて行わない部分の二種類がある。行えないというのは、別の制約で行う事が出来ないだけだけど、敢えて行わないという部分は、実践するよりも目的を得やすいからだ。これに関連する触りの部分は、過去の記事の中のフレーズで紹介した事がある。
実践に勝る行為は無いのだけど、実践する際に、何をイメージしているか?何をどうしたいか?何処を使っているか?が判っていれば実践にも増して合理性が生まれてくる。
前記事に、一体感というネタ記事をアップしたけど、例えば、自転車に乗って一体感を得るというのは、自分の場合、想定速度域を上げる事。想定速度域を上げるというと、自分の資質や都合を無視すれば、良い事を全て伸ばせば良いことになる。しかし、現実は、そんなに甘くない。必要な要素がトレードオフの関係だったりする場合も少なくない。仮に、そうで在れば、トレードオフで目を瞑る部分を重視した取り組みを続ければ弊害も出かねない。しかし、その部分を特化して考えれば、そんな弊害無しに改善の取り組みを行う事は出来る。ただ言えるのは、実践動作でなくても、実践における自分の理想というか考えが無ければ、それは行えない。そんなモンである。
こういう想定っていうのは、何かを行う時、どういう根拠に基づいているか?どういう方法で取り組んでいるか?って事を考えていなければダメだ。どういう目的に、実践において、どのようにしたいから、それを模擬的に抽出して行う時は、どこに留意する!っていうストーリーが必要なのである。
まぁ、イメージの問題だけど、これは目に見えない現象を想像する行為に近い。だから、スポーツに限らない。実際、自分の場合、セラミック製造におけるプロセスで、造粒、成形、焼成、焼結の過程で材料がどうなっているか?とか、鋳造品欠陥の症状から原因を類推して対策を講じる際には、流れる溶湯が、周囲に及ぼす影響を想像する事から始めたりしているし、機械部品の破損対策では、破壊のプロセスを想像した上で、検証、対策を行ったりしているけど、それも全部そうだ。見えないけれど、理想を納得できる理屈で組み上げてイメージを作っている。そのイメージを単純なモデルに分けて、一つ一つ理解するという行動だが、そういうイメージを作る事が出来れば、そのプロセスを単位に分解し、色々と修得したり、対応する事が出来る。
まぁ、モノ、方法からプログラミング迄、どんな複雑なシステムでも、適切に分解し、それを組み合わせる事で機能を生み出すという考えは極自然な事であり、複雑なシステムを完成させるには、単位操作、モジュールを完成させなければならないし、モジュール単位で正当性の評価や機能の向上が必要なのは当然だが、同じ考えに従っていると考えれば、ダイエットや趣味のスポーツでの行動も、全てを複合的な実践で行わなければならないというのは、逆におかしな話っていうのが明らかである。
理想を求めるというのは、何事に関しても共通した方向性だが、その為には、どんな分野でも、理想と現状の乖離を見抜き、それを単純化したところから改善するというのも、どんな世界にも言える事なんだろう。
こんな記事を書いたのは、今の時期故に思い付いたから。理由は、丁度オリンピック開催中であり、そこに出場する代表選手の日々の取り組みを纏めた特集を目にする機会が多いから。
特に、物理の法則に従った取り組みが判りやすいスピードスケートの世界の話が実に興味深い。NHKでの岡崎選手、民放での小平選手、長島選手の取り組みってうのは、実に感銘を受けるモノ。彼らの取り組みのレベルを知るよしも無いが、自分が感じた印象では、この記事のような考えが確実に背景にあるように見えたのである。
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コメント
何事も、出来る部分を見付け、出来ない部分を見付け、出来ない部分を減らすのが本能的な手順かもしれません。
投稿: 壱源 | 2010年2月23日 (火) 18時24分
そうですね。
体で覚える事も、手順などモジュール化している様に感じます。そうすると意識せずに動けますね。
病気や事故で体が動きにくくなった人がリハビリする場面で、見られることですね。動きにくい動作を繰り返しているうちに、意識せずに動けるようになって来ますね。
投稿: クマ | 2010年2月23日 (火) 11時13分