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2010年2月15日 (月)

セッティングって、、、、

 何だか知らないけど、理想のセッティングが存在しているような錯覚を持つ奴が居る。

 チョイ、、、、疲れる。

 理想のセッティングっていうのは、あるかも知れないけど、それは乗り手次第のモノ。誰かが提供してくれるモノではないし、誰かと同じモノでもない。乗り手が、何に使うか?どのように使うか?何のために使うか?何を求めるか?で全然違うだろう。

 セッティングとは、そういうモノの筈だけど、一言ズバリで望みが叶う夢のセッティングが在るんなら是非教えて欲しいくらい。

 人が自分のセッティングを満足しているから、同じセッティングをして欲しい?、、、、、意味、分かんない。何言ってるの?

 正直、最初の一歩で取り敢えず言えるのは、サドルの位置くらいだろう。特に上下方向については体型で決まるけど、同じ身長、同じ脚長だったら同じという訳でもない。乗り手が決まれば、その固有値に応じてストローク方向の位置気味が決まる程度で、後は、先に述べた考え方次第で全然変わるモノ。それ故に、何がベストって言えないし、誰か他人が決めるモノでもない。乗る人がどうしたいか?どう乗りたいか?で全く変わる。変わらないのは下半身の特性に応じた幾何的な位置関係くらい。

 そんなもんである。

 偉そうにセッティング講釈するのもバカ臭い。乗り手次第。何を求めるか次第。仮に他人が決めたとしても、それは初期値でありベストである筈がない。そこに、あたかもベストがあるかのような錯覚する人が居るのを見て、超ビックリした。

 誰かがベストを提供してくれれば、劇的に速くなる!、、、、、そんな筈、無いだろうに、、、、。何考えて居るんだか、、、、、、話聞いて、、、悲しくなってくる。つい、言ってしまう、、、『オマエ、バカだろう?』

 誰が、どのようにしたい?何したい?どう思って乗っている?何目指している?で、全部変わる筈。そして、そんな思いに対して、不自然かどうかは、実態を見ないと判らない。頭で願っても、実態が伴わないのは、どんな世界でも言えること。思いが、実態に伴っているかどうか?これは、見れば判る。逆に、見ないと判らない。それ故に、言葉で言っても、伝える側の考えが聞き手に伝わるとは限らない。それ故に、口頭で、偉そうな事は言わない。仮に言うのは、見た時の話。見て違和感を感じた時、その違和感のあるスタイルは、どんな理由でやっているの?癖?を聞いた上で助言を求められれば意見する事はあっても、それ以上は無し。どんな違和感であっても、本人が狙っての事であれば、お節介にすぎないもの。本人の意識、それに対する違和感を感じた時しか何も言えない。そんなもんなのだ。口頭で何かを言って、何かが伝わるなんて、、、有り得ない。そんな無責任も出来ない。

 そもそも、セッテイングなんて大したモノは存在しない。ベストは本人が決めるモノ。本人の意思次第のモノ。そういうものなのだ。

 少なくとも、単車のレース活動におけるセッティングはライダーのリクエストを如何に反映するか?だが、そんな常識がチャリの世界では存在しないのが笑っちゃう。単車のレースでメカニックが作ったモノでライダーがOK出すか?なんて、、、、、有り得ないだろうに。

 少なくとも、ベストなセッティングというのが在るとすれば、それは乗り手が乗り手の思い通りに動かせる機材の状態と言う事。つまり、乗り手の意志が反映される事がベストなセッティングって事。乗り手の意志が違えば、形が変わる。つまり、セッティングは乗り手の意志が無ければ存在しないのだ。他人のベストに乗ったら、自分が他人に為れると錯覚している時点で人間終了している。そこを判らないのが不思議である。

 コレは愚痴だけど、セッティングしてくれないから、、、、って不機嫌になる奴が居るのには、チョイ気が滅入るのだ。一度、サドルの高さくらいは見てやった筈だが、それで十分だろうに、、、。

 ただ、熟練のサイクリストは各々に自分のベストの出し方は心得ているだろう。それは固有値であり人に言うモノではないのである。
 サドルの位置を決めるにしても、いろんな要素がある。ハイトもしかり、トリムもしかり、セットバックも然り、それに応じたリーチ、落差も然り。それらを、それぞれが目的に応じて固有の位置を決める。勿論、それに応じて機材のセットも変更する。そんなのは、乗り手の思想に基づいた固有値であり、それは人に言うようなモノではないのだ。何故ならば、それは個人の思想や資質で選んだ一つの方法であり、万能解では無いのである。これをセッティングというならば、それは特定の個人にとってのベストであり万能ではない。そして、それは決して伝授する質のモノでもないのである。

 実際、アマチュアでさえ二輪レースで、どこかのエリアを攻略するために選んだセッティングなんて明かす事なんて絶対に無かった。そんなもんだろう。

 最近はブームで色んな本が出ているけど、まぁ、新車紹介とか、法令紹介、整備マニュアルくらいはアリかもしれないが、セッティングバイブルなんて本は信用出来ない。理由は上述の通りだからだ。そんな事よりも、機械、道具、機材、武器と見方を変えた時の勘所とか、或いは、思想的なモノ、方向性的なモノ、使える要素の見極め方といった内面的なモノの方が大事だからだ。偉そうに、セッティング云々、、、、何様?って気がするのは自分だけだろうか?少なくとも、押しつけはセッティングではない。セッティングとは要望の具現化なのだ。

 判りにくいかも知れないけど、個人の望むセッティングというのは、とても重要。それは僅か数ミリの違いもNGだろう。その判定は望む個人による。しかし、望む形を自分で決める事の出来ない、、、つまり、自分が何を求めているか判らない状態なら、極論すれば、少々の寸法なんて、どうでも良い筈である。望みが無いというのは、判断する基準が無いと言う事だから当然と言えば当然の事。望みが無いのに、数ミリに拘るという論理はさっぱり判らないのだ。望みがあって、叶わない時が不満の理由。不満があるっていうのは、目的があるという事の裏返しである。その辺が通じない人には何話しても噛み合わない。仕方ない。そんなもんだろう。

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コメント

自分がどうしたいか?そのために何をしているか?何処を注意しているか?があるから、具体的に不具合を感じるのだと思います。
因果関係みたいなもので、結果を得るために動作している訳で、結果が得られないから動作の問題に気付くのでしょう。
だから、欲するモノを考える人次第だと思います。

投稿: 壱源 | 2010年2月16日 (火) 21時03分

そうですね。
セッティングのやり方で、何処と何処を弄るか(弄れるか)という事は知りたいです。自転車は特に、Aさんのセッティングが私に会わないだろう事は想像がつきます。

投稿: クマ | 2010年2月16日 (火) 18時57分

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