怪我して判った事
先日、左肩、肋骨に打撲を負ってパワー半減となっていた期間がある。その間も、スイム、バイクのメニューは通常通り消化したのだけど、上体の筋力低下時には、メニューによってはパフォーマンスが著しく低下する。
具体的には、スイム、バイクではヒルクライムで結構堪えた。スイムではプルの動作がブレスでのロスを招く感じ。バイクではハンドルをプッシュする際に姿勢が砕け気味となる感じ。
やっぱり身体の不具合はスポーツに影響するようだ。そして思ったのは、当初思っていたような身体の使い方では無い感じ。具体的には書けないけど、頭で考えたり、想像したりの筋肉の使い方と、実際の動作での使い方は同じようで違う。身体を負傷しても、これが面白く、負傷した部位を動かすと全方位で痛い訳でもない。特定の方向、特定の角度の時だけである。それ以外の時は案外普通だったりする。物凄く微妙な世界だ。それ故に、ある部位を使うってイメージしても、実際、どんな具合に使っているか?っていうと、これまた難しい世界なのだ。
運動やスポーツに憧れて鍛錬する人は少なくない。方法論的には行う競技をひたすら取り組む方法と、要所を鍛える筋トレだったり、特異的な練習だったりする。基本は双方が必要だ。競技体系で取り組まなければ、その世界で生きていけない。しかし、その体系だけでは求める負荷を効果的に作り出す事が難しい事もある。だから、基礎的な鍛錬も必要なのだろう。
でも、基礎的な鍛錬ということで、短絡的に運動やメニューの情報を仕入れても何にもならない。良く聞く言葉で身体能力がどうのこうのって話があるけど、優れた身体能力を持っていたら、全てに万能か?っていうと、そうでもない。しかし、使い方だけ知っていたら身体能力を超える事ができるか?っていうと、そうでもない。
最終的に身体を鍛えるのが目的でなく、目的の動作が出来る身体を手に入れる事が大事。目的の動作を行うというか、想定すると、何をどうするか?を考える事が出来ないと、多分、どんなに筋トレしても役に立たないだろう。どんなに回転練習という練習してもダメだろうし、LSDなんて横文字練習してもダメだろう。
どうなるように、どうできるように、、、、そういう理想を描かないとダメなんだろう。怪我した箇所の痛みから、こんな事を改めて思った次第だ。
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