創造性
先日、タカラトミーのオモチャ開発で、ベイブレードのリバイバルの要因に、パーツの組み換えによる機能カスタマイズの面白さっていうのが紹介されていた。そして、チョロQのリニューアルでも機能の付加性によって戦略が見直される事が紹介されていた。
この手法、古くはミニ四駆でも見られるもので、アッセンブリーパーツの組合せによって楽しみを見出す方法だ。
まぁ、商売的にはヒットしているからOKなんだろうが、個人的にはチョット違う印象。これって、与えられた枠の中での活動のような、そんな感じが強い。何かが違うように思うのである。
理由は、工夫を行う単位が既成である点だ。単位が自家製ってノリと与えられたモノってノリでは、個人的な感想では違いを感じてしまう。どっちが優れているというものではない。考え方の違いである。
それ故に、オッサン相手のハマーを組み立てる雑紙、空母赤城を組み立てる雑紙も違うような、、、そんな感じ。組合せと工作には明確な違いを感じるのが正直な感想だ。
パーツの組合せでは、模倣出来る点が個人的に嫌いな部分。作ってしまえ的な取り組みは、オリエンテッドな仕上がりになる部分。これが大きい気がする。
自分としては、真似するのも嫌いだけど、真似されるのも大嫌い。模倣するも、されるも嫌いなのだ。
幼少の頃を思い起こせば、ミニカーを作る、、、、それは、車のカタログを貰ってきて三面図から展開図を作り、それでフェンダーラインの緩やかな起伏を再現するようなクラフトを作って遊んでいたし、当然、内装、サスペンションも紙で作って遊んだ記憶がある。そういう作業は楽しかったけど、組合せ的作業は熱中度は低かったように思う。
チョロQでは家庭教師先の生徒に御褒美的に改造したことがあるけど、思い出すのは、ゼンマイ内部のギアの組合せを変えて、ケーシングに穴加工して別のギアを取り付けてオリジナルギア比を作ったり、アウトプットギアの取り付け位置を変えて低重心加工したりしての作業は行ったけど、汎用部品での改造は関心無かった。
まぁ、この趣味は自転車で汎用部品をそのまま組む事の少なさにも通じる癖みたいなものだ。
普通はやらない事をやる。そういうのが面白いと思う。どんなに、工夫出来る余地があっても、与えられたフィールドで遊ぶってのは、正直疑問を感じる。
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コメント
そうですね、企画者の想定内で遊ぶような印象ですね。なんか、手の平で踊らされているような感じは実は好みでないですね。
やはり、誰もが思い浮かばないような、そういう方向に進みたいと思います。それこそが、創造性、、、、いや、そういうのは、独創性ですね。
投稿: 壱源 | 2010年3月14日 (日) 22時57分
そうですね。
与えられたものの範囲で行う改造などは、直ぐに飽きてしまいますしね。プラモデル組み立てに早々飽きて仕舞ったことを思い出します。モデルを作るなら材料から、弄るなら本物の方が面白いですね。
投稿: クマ | 2010年3月14日 (日) 22時49分