創造性よりも、、、
先日、記事のコメントを返しながら、創造性よりも重要視している事が自分の中にあるな!って気付いた。
勿論、創造性も大事。模倣、猿真似に較べたら遙かに大事。でも、創造性の中でも独自の創造性というか、誰もしていない、誰も気付かない創造性、つまり、独創性が更に大事だし、自分としては、独創性、オリジナリティって部分に強い拘りがある。
戯言だけど、自分で考えるっていうのは大事な事だ。自分で考えて、理解して納得した範囲で考えをまとめ、モノを行う、モノを得るっていうのは大事だけど、それで得た結果が既知の常識的なモノだったり、他人の考えのトレースだったりというのは、正直、物足りない。
結果自体が、過去に誰もやっていないというのが凄く大事なのである。
実際、特許、研究、開発系の業務に携わる時に重視するのは、誰も見つけていないか?誰もやっていないか?という部分。文献の調査、ネットでの情報収集では、自分のアイデアが他に誰かがやった事があるかどうか?を調べるのに使う事が多い。
仮に凄いアイデアだ!って思っていても、誰かが既にやっていたら、その方向性は没にする。そんなものである。
ネットの利用法で調査っていうのがある。そこで、自分の欲しい方法を誰かやっている人いないか?教えてくれる人いないか?的に調べるのには利用しない。
自分の考えに誰も気付いていないな!を調べるために利用するくらい。簡単に見つける事が出来るような情報は、正直、価値無いなって考えている。公になっていない、誰も見つけていない、そういう情報こそ価値があるのだ。
自分で自分の考えを持つ。意志を持った創造性で活動するっていうのは、人的には、これがスタンダードで標準と思う。少なくとも、既知の知識や常識を身に付けるというレベルでは、この段階。
でも、模倣や真似だけで結果を得るというレベルは、人的には最低で底辺的なレベルだと思う。こういう状況には陥りたくない。
理想は、自分の考えを持つ。そして、その考えが既知の知識で説明出来ながらも、誰も気付かずにやった事のない形を生み出すレベル。創造的であり、それが独自で唯我独尊的なモノ。これがベスト。目指すは、このレベルだ。
まぁ、レベルを普通、最低、理想って言っているけど、これって生きていく上で、成長過程で通過する段階の話。子供は最初は模倣や真似から入る。これは初等教育の段階。それから、その行為の意味を考える段階に突入する。これが中等教育の段階。最後が発見というか知見を生み出す段階だ。これが高等教育とか実践の段階。思考の成長の段階を示したモノである。身体の成長に合わせて、思考も成長するのが正しいもの。身体が成長しても、思考が成長仕切っていない状態を普通とか、最低という表現で表しているだけである。
価値観的には、成長の結果、独創性を生み出せるという自負が持てなかった奴は嫌い。話が少々脱線するけど、勤務先の企業の掲げる言葉に『協創』って言葉がある。これは素直には受け入れる事が出来ない。多くの人が独創を持ち寄って高めるというならOKだけど、そうでなければNG。助け合ってとか、フォローしてって言うのが好きな企業故に、『協』の意味合いは多分、自分の理想とは違っている。独創の『独』には、独自、即ち一人で、独特、更に目新しいという意味合いを捉えているからだ。独創っていうのは、一人で新しい価値を生み出すということで、それには価値と対価が発生する。そういうもの。独創とは結果に対価が付いてまわるのである。それを無償に分配とか、、、そういうのは、やはり有り得ない。
そう言えば、学生時代、必須の製図の授業があった。そこでは、教官が学生毎にテーマを与える。それに対して学生が企画書、計算書を作り、それをベースに図面を起こすというカリキュラムであり、それで単位を取るというモノだ。
そこでの教官の単位授与の判断は、企画書、計算書、製図が出来たかどうか以前に、そこのプロセスで学生がオリジナリティを述べる事が出来るかどうか?であったのを思い出す。どんなに、丁寧な図面、綺麗な計算書であってもオリジナリティが無ければNGで単位は出ないのだ。
前年の先輩の写しに従っていてもオリジナリティー迄トレースできない。すると不合格なのである。オリジナリティーが最優先だったのを思い出す。
別に自分も、その教官に影響を受けたつもりは無いけど、やはりオリジナリティを重視って考え方はアリなのだ。この教官とは、個人的にも友人的な付き合いや交流をさせて頂いたけど、やはり、話をしていても面白いもの。ジャンルを問わず思想的に賛同出来るもの。
最近思うのは、そういう風に思想的にシンクロ出来る人が殆ど居なくなったなって感じ。研究機関とか他企業には結構いるんだけどね、、、、。
ところで、今年も新入社員入社&新卒の面接の時期がやって来た。新入社員の中には、こんな論文を投稿したのが居るよ的に総務が紹介してきたり、面接では卒業見込み者が色んなアピールしてくる。それの判定を以来される事があるけど、内容的に如何に高度であっても全く判断には使わない。判断は、どんなテーマであれ、その研究なり論文に関与する時に自分らしさを表現したかどうか?の一点のみ。高度で、優秀でも、先輩の追随とか、教授の言いなりでは存在価値無しだ。オリジナリティの反映の仕方、手法を編み出す際の意志、コンセプトを聞き出す。それを突き詰めて話す。それだけだ。それを突っ込みまくり判断するつもり。煌びやかな、偉そうなテクニカルタームを羅列しても全然関心持てないな。
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