ホンネ、本心
週末の自転車に乗っている時間帯、雨が降っていたりすると、チョット嬉しくなる事がある。金曜日の帰宅時にクルマを運転していて、右に曲がればプール、左に曲がれば自宅という丁字路があるけど、そこで左に曲がりたい、、、そういう思いが出る事、少なくない。
雨が降ったら、仕方なく自転車は乗れないとか、そういうのあるんだけど、乗ってしまう。プールに行かずに帰ってしまうのアリなんだろうけど、泳いでしまう。
それは、日々の筋トレでもそうだ。何となく、怠いなとか、思う事は結構ある。三本ローラーも然りだ、今日のメニューはパスしようか?と思う事、結構ある。
でも、やってしまう。
このようなメニュー、趣味でやっているというか、好きでやっているという事は確かに最初の頃はあったけど、今は違う。半ば惰性である。
では、何故、実走するか?ローラー回すか?泳ぐか?筋トレするか?、、、、嫌な気持ちになったり、さぼりたい衝動に駆られる事が多いのだが、何故に続くか?
それは、生真面目?(笑)な自分の性格だからだろう。今の自分のコンディションは有り難く思っているし、満足している。このコンディション、出来る事の内容を作ったモノは何か?というと、認めたくないけど、さぼりたい衝動に駆られる行動の積み重ねという意識があるからだ。
水泳というと、ここ20年休まずに近く続けてきた習慣。人生で言うと、中断期間の方が少ない。合計でいうと、35年以上泳いでいるのである。今止めると、、、、、と思うと、辞めて失ったら手に入らないという思いが、さぼり気分を押し殺している。
筋トレもそうだ。筋トレも20年近く続けている。これが今のパワーを持続させているのは間違い無い。ベンチで100kgを楽勝っていうのは、やはり継続していないとダメだ。ピストでローラーも然りだ。所詮ローラー台と言っても、そこで250rpmオーバー出来るっていうのは、感覚と理屈を組み合わせて得た結果であり、それはやはり辞めたら消え去る儚いモノなのだ。
自転車もそうである。結局、続けてきた水泳による持久力に、筋トレ等で新たに加えた筋力をピストバイクで遊ぶの使って満足しているのだけど、これらの何かを辞めると、この満足感というか、できているぜ!感が失われるのが怖いというのが正直な感想である。
失われたモノは取り返せない、、、、それは、何でも言える事。それ故に、終える事が出来ないのである。それで何かを目指しているのでも無いけど、今の自分の状態を保つためには、さぼりたい事を踏み留めているのだ。単車なんかもそうである。最低でも週に一回は峠に出掛けるのは、やはり、得た感覚を失いたくないから。失ったモノは取り返せない。そういう思いが強いのだ。言葉は悪いけど、諄い、しつこい、諦めが悪い、、、、そういう性格なのである。
もし、辞めても得た力は永遠なのなら、案外、綺麗さっぱり辞めてしまうかもしれない。
辞めない理由、さぼれない理由、、、それは、老いや衰えに対する恐怖心があるからだ。一度できるようになった事が出来なくなる、、、それは、凄く寂しい事のように思う。
しかし、老いていく程に、受け入れざるを得ないのは事実であり、それを如何に遅らせるか?その変化に併せて、如何に新しい価値観を生みだしていくか?それが大事だ。
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コメント
そうですね、、、完成した物、維持したいってのは誰でも持つ気持ちです。
単車、自転車等々の物については、完成したら維持って状態は在りますが、知識や体力といった使わなければ失われる不定形な物を保つためには、活動が必須です。
不定形でも仕事での業務指導等では、行えば保てるので行った時点で仕事は終了ですが、自分の身体は、そうはいきません。
投稿: 壱源 | 2010年3月 7日 (日) 22時38分
こんにちは。
一度得たもの、得た事を失うのは寂しいし、恐怖感も有るのは、努力してきた事なら当然でしょうね。
辞めるのも、納得しながらやめるなら悔いは無いでしょうね。
数日前からぎっくり腰気味で動作がロボット風に成ってしまいました。ベッドだと楽なのですが、床に敷いた布団から起床するのがもっとも辛いです。出来た事が出来ない。痛いなら納得、出来ないですね。
投稿: クマ | 2010年3月 7日 (日) 14時32分