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2010年3月 2日 (火)

塾の生徒

 随分昔の話だ。
 自分で塾を運営していた時代の話。当然、経営だけでなく授業を開講していた。児童生徒は、小学校中学年から高校三年迄だけど、主力は中学生だった。

 当時、中学生相手の授業で印象に残っていた自分のやり方、、、、それは、テキストを用いない。推奨参考書はあったけど、市販品で安価なモノをチョイスしていた。ただ、それは強制でなく、何通りかの参考書で気に入ったモノを生徒にチョイスさせるという緩やかな指定である。
 授業で絶対必要なのは、ノートである。それと休まない意思だけだ。

 どんな授業スタイルをしていたか?というと、ノーテキストであり、自分がホワイトボードにチャート形式で書き込んでいく。これをノートに取る。ノートに取ったモノがテキストとなり、それをベースに進めていくというスタイル。つまり、授業に出てノートに取ればテキストが完成するというモノ。そして、参考書は、授業で説明した内容を生徒に調べさせる辞書代わりのモノである。説明した事は重要な事であり、その表現法は様々だが、殆ど参考書に記載されている。ただ、選んだ参考書がバラバラだと、生徒はそこから探さないと行けないし、表現が違えば文言を熟読しなければならない。そのプロセスで覚えさせるのがやり方である。
 そんな具合で、ノーテキスト授業、そして演習問題は生徒の適性に合わせて個人毎に換えてある。当然、宿題の量、難易度は生徒独自のモノ。
 当時、自分の運営していた塾、バイト勤務していた塾を含め、最多で一学年で150人を越えていた事もある。それ故に、カリキュラム、演習問題、月毎の実力テストは全て自分でオリジナルで作ったモノを使用していたが、サンプルが多く、平均点、偏差値といった評価も結構イイ感じだったのを覚えている。

 そういうスタイルで、
 一週間で言うと、火(3時間)木(3時間)土(2時間×2)日(2時間×2)で教えていた。

 それで、夏休み、冬休みは、一晩缶詰で、生徒に永遠に問題を解かせるというラリーを希望者のみで開催していた。

 授業料的には結構高価だったと思う。27,000~35,000[円/月、学年による]だけど、休みに行うラリーは無料。火木土日の授業後の希望者の補修授業も無料で時間制限無しで、最後は自宅に送り届けるというやり方だ。火木のコースでは、夕方6時~夜9時が基本だけど、補修希望の生徒によっては、午前1時とかまで行った事もある。

 そんなやり方で、超難関クラスから専門学校から離脱クラス迄行っていた。

 多くの生徒が、自分に付いてきて、今でも殆どの生徒を覚えている。基本的に、生徒の望む進路に対しては、生徒の満足できる結果が得たと思っているが、その結果が得られた理由を思い出してみる。

 それは、自分は生徒を信じていたし、生徒も自分を信じていたからだと思う。彼らは、生徒の時代に、言葉は悪いけど洗脳されていたかもしれない。それ程に、こちらの発信する情報を素直に吸収していた。
 特に印象深いのは、とある塾でバイトしていて、そこの塾を辞めて自分の塾を立ち上げる際の話。辞める塾の生徒が、自分の実家に集まって卒業迄教えてくれるようにと、自分の親にお願いに来たという事があったけど、言ってみれば、其処まで信用されていたのである。その気持ちが教える時のモチベーションとなって、秘を伝える気に繋がるのである。

 自身、今でも人に物事を伝えるのは嫌いではない。しかし、それには条件がある。
 それは、相手がどの目線でこちらに接しているか?である。チョット引いた所から、他の多数の情報と比較して、、、、そんな目線からの気配を感じたら、正直、何も出せないのである。全ては、そういう意思疎通次第なのだ。その感覚が在れば、持っている事は伝えるのだけど、そういう感覚を感じ取れない時、、、、、そりゃ、NGとなる。

 だから、運営していた塾では、自分が神様みたいなものであり、こっちの真意が伝わらない奴は、親が土下座しようが、子供が泣きわめこうが、退塾して貰ってきた。

 教えるのは好きだが、公的な立場は出来ない。だから公立だろうが、私立だろうが、学校の先生は出来ない。やっぱり塾だ。それも自分が好きに出来る立場の塾に限る。教え方に自由度があるのが大事。生徒が講師を選ぶのかもしれないが、自分の場合、生徒を選ぶのである。

 そういえば、生徒をお客様と思った事は無い。月謝は運営経費としての意識だった。客というよりも、思考がコンタクトするかどうか?で、OKなら教える、、、いや、伝授するって考えだ。

 当時、子供に色んな事を教えるのに、教え方としては、殆ど我流。暗記的な教え方は皆無に近い。殆どの科目を、幾何的、或いは、自然界の現象に置き換えて説明する。公式なんて教えないパターンだったけど、子供の目線で頭にスッと入る現象を見つける事が一番のポイント。そういう域に達したな!って思ったのは、講師をして4年目以降だったように思う。

 こういう世界も悪くない。

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コメント

塾の生徒は、基本的に本人の意思があります。この意思の有無は非常に大きいです。
企業においては、所属してサラリーを得る。同じサラリーなら最小限の労力、、、、って考え方が充満しています。そこには、業務に対する意志は希薄です。

この意志の有無が結果に大きな差を生むと思います。

ただ、そんな偉そうな事を言いながら、そろそろ手を抜こうか?と考える事もありますね、、、、人間の弱いところというか、都合の良いところというか、ずるいところだと思います。

投稿: 壱源 | 2010年3月 2日 (火) 23時41分

意図を汲み取れる、生徒の方もレベルが高かったと言う気がしますね。知識だけではなく情動の面でも。

投稿: クマ | 2010年3月 2日 (火) 20時52分

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