好き嫌い
基本、最初は誰に対しても平等に接する。それは、先入観を持たないからだ。
しかし、時が経てば接し方には違いが現れてくる。それは、先入観でなく、経験から向き不向きで仕分けを行っていくからだ。
塾の講師をしていてもそうだ。基本、最初は生徒全員に等しく接しているのだが、時間が経てば、その接し方には差違が生まれる。一年も経てば、生徒には申し訳無いけど、好き嫌い、好みが生まれる。しかし、これはえこひいきとは違うのだ。接し方の違いというのは、接され方の違いによって生まれるのである。塾などでは、生徒に教える。教わる側の態度、努力を見る。結果、更に判らせたくなる生徒には、意識が高まるのだけど、逆に、放置しても良いかな?という態度を見れば、まぁ、特別に目を掛けるという事は無くなるのである。
これは、差別でも何でもないのだ。対人関係というのは、一方の見方ではないのだ。一方の見方というのは、見られ方に応じたモノなのである。対人関係は鏡のような関係なのだ。一方が苦手意識を持てば、苦手意識を持たれている、、、、そういうものなのだ。
金銭の授受が伴う契約事、仕事関連では割り切って義務的に発生する部分では、そういう意識があるから割り切れるけど、それ以外の世界では、付き合い方というのは、モロに自分の趣味というか好みで決める。傍目に理不尽だろうがなんだろうが、それは、その時点の直感にしたがうものなのである。その時点の直感というのは、その時点に到る過去の積み重ねというか経験で生まれた意識であり、それは、どうにもならないのだ。言ってみれば、自分の中の体験に基づく距離感に応じて、私的な世界で立ち入られる事で許されない領域というのが存在するモノなのだ。
誰でも同じだろうけど、そう言うモノは皆持っているだろう。
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