知ったかぶりは嫌い
どんな世界でも、見ただけ、聞いただけ、読んだだけ、スペック覚えただけ、、、、それで講釈垂れる人居る。言葉というか単語だけは凄く知っている様子。
でも、それ系の人って、話すると中身が無い。空虚。体験が無いから話が虚ろ、、、、全然、楽しくない。っていうか、どうでも良い。話の流れでも、なんだか、「そうそう、、、」って応対も少なくない。
コレ系の人っていうのは、形から入る人が多い。形から入って、形選びには、何処からか拾ってきた講釈を垂れる、、、、それ、虫酸が走る程に嫌いっていうか、生理的に受け付けない。ダメなんだな。
塾の生徒でも、教えている時に知ったかされると、辞めて貰いたくなるし、我が子でも生意気言いやがると、どついたりたくなる。そんなモンだ。身の程で一歩一歩ガンバル人は応援するけど、頭でっかちで講釈野郎、スペオタ系はダメ。勝手にして欲しい。
身近に、自転車を始めて間もない人が二人居る。二人とも相談してきたから、その立ち位置に下りて(自分が彼らなりの立場になったと想定して)アドバイスして奨めた。二人とも、小難しいこと言わず、奨めたバイクに乗って、それなりに楽しんでいる。こういう人達は好きだ。なるべく、その範囲で判る事を純粋にアドバイスするようにしている。変な色気や知識は無しだ。単純な事しか出来ないというか、一個ずつ理解するのが大事だから、一変に情報を与えるのはダメなんだ。講釈垂れるのは、それからで良い。
そもそも、ロードバイクに初めて乗ったような奴に、STIがどうの、クロウスレシオがどうの、ギア比がどうの、ケイデンスがウータラ、最低105とか、剛性がどうのとか、、、、聞きたくない。ウザイ。むかつく。そんな感じ。
適当に始めて、適当に自分のペースでやっている人は、持っているモノなりに楽しんでいるけど、そういうのが大事。変な講釈は知らないでよいのだ。人の伝聞で武装している奴には、そういう情報は百害あって一利無しである。それにまみれている人は自分から見たらアウトで、手遅れ。知識は体験の進化に応じて身に付けて、気が付いた時に問題が常識として存在するとか、そういう言葉があるとかを知ればよいし、それでこそ、意味がある。言葉を先に文言だけ頭に入れると、その言葉を体験として理解するプロセスを一生得る事が出来ない。そう言う奴は、体験の前に伝聞や意味のないクソみたいな知識にまみれているからダメ。
正直、単車大好きで中高生から乗っている連中とか、自転車少年で小学生、中学生から乗っている奴とか、幼稚園から泳いでいる奴とか居るけど、だれも、取り組み始めた時に、訳の判らない講釈や知識にまみれていない筈。俺も何も知らなかったし、考えた事もない。周りの友人もそうだ。しかし、オッサンになって格好から入る奴は、そういう知識というかオタッキー情報から入るみたい。世界が違うからダメ。正直、話すの無理だ。
申し訳ないけど、好きとか嫌いとかでなく、人間として種類が違うのである。世界観が違う。言葉が違う。要は別世界なんだな。だから、自分の拘りの世界観を、話するなんて考えられない。そういうもの。
| 固定リンク
コメント