強迫観念症?
そもそも、自分の本質というか、本来的な性格は、怠け者の横着者で自堕落な性格である。しかし、そのスイッチが入るのは何時もではなく、スイッチが入る前は、その反対の性格だと思う。そう、完全主義、理想主義、執着心は強い方向。つまり、典型的?A型的性格なんだが、ある時点でスイッチが入るというか、物事に対して脳内で割り切りが働いたら、全く別の方向に行きかねない側面がある。
言ってみれば、神経質というか、神経症というか、そういう部分が含まれている。割り切れるかどうか?は限界をどう判断するか?継続性に意味があるか?実現性があるかどうか?を見て判断しているようだ。
難題をクリアして継続できるかどうか?は継続する事で結果が期待出来る確信を持てるか?結果を得る事が出来るか?で判断しているし、逆に、見切りを付ける時には、その念が適うかどうかの判定で、無理!って言う時だ。
で、思うのは、例えば煙草の中断、日々の運動の継続だけど、正直、よく続いているものだと我ながら関心する。煙草の場合は、美味いという感じを失ったので吸いたいと思わないから中断しているだけだけど、運動は正直、楽しいとか、そう言う事はあんまり思わない。楽しいよりも、しんどいというか、怠いというか、面倒臭いという思いの方が強い。
筋トレだけでも、何だかんだ言って小一時間掛かる。ローラー乗ってもそうだ。ローラーに乗らずに実走でも1~2時間は掛かるし、週一とは言っても水泳も一時間。前後のプールへの行き帰りを加えると合計で2時間は掛けている。筋トレも怠いし、ローラー台もマンネリ感著しい。更に、プールが大掃除で泳げないとか、雨が降って早朝の実走が不可抗力的に出来ない時は、寧ろ嬉しいくらいの感覚がある。要は、そういう行動をしない方が楽!っていう意識自体を自覚している。自覚するくらいに面倒臭いという感情が在りながら、何故か、続けている。
何故に続けているか?というと、仮に止めたらどうなるか?止めた状態から元気を今と同じく取り戻す事が出来るか?とか、そういう風に転落?した状態で健康を失った時に陥る状況の事を考えると、、、、やはり、止める事が出来ないというか、そういう感覚である。
つまり、2005年以前の体重88kg級、健康診断で要注意項目が8項目という状態と、その頃の不調感(体力、単車に乗った時のキレ、ぎっくり腰)を覚えているから。その良くない状況で過ごした先に訪れるであろう重大疾病(癌、糖尿病、血管系疾患等々)の恐さを、あの頃以上に自覚しているからである。あの状況からの離脱を可能としてきたのが、今のライフスタイルであり、逆に言えば、今のライフスタイルを失えば当時の状況に戻ると思えば止めれないし、今のライフスタイルを保てば、今のコンディションを維持出来るという事が、ここ数年の生活で判っているからだ。これ、一種の強迫観念に追われたライフスタイルの維持のようなもの。まぁ、このスタイルが今を証明しているので、これが無謀とは思わないのも続いている原動力だ。
但し、不可抗力的な事に対しては、諦めは速い。過ぎ去った過去を悔いる事は殆どしない。何故か?っていうと、時間は戻せないから。サッと諦める。今が最悪なら、最悪を離脱する方法しか考えない。勿論、未来を悪い方に考えてクヨクヨもしない。その状況になってから考えるのが一番合理的だからだ。予測出来ない事、自力で変えれない事を心配する程馬鹿くさい事は無いのだ。出来ない事は行わない。過ぎた事を後悔し続けない。どうにもならない不安は考えない。そういう性格でもある。
つまり、自分の力でどうにか出来る!って思った事は徹底的に追い求めるけど、過ぎた事、自分の力の影響力の小さな事に対しては、考えない。その事態が自分と関わる時に初めて考えるというスタイルである。それが、執着心の強さや、諄さ、しつこさと、諦めの速さと、見切りの速さという相反する行動に表れているのだろう。
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