向き不向き
趣味の世界に限らず、伝承する世界での話。
塾の講師で生徒と自分の関係だったり、育児で我が子と自分の関係だったり、、、、そういう関係は、教える立場から見ると、教える方向に自分と同じ方向になって欲しいという願いがある。だから、何でも伝えるし、教えるし、、、、そういうもんだ。
こういう関係は、到達したレベルがどうのこうのでなく、自分と同じ考え方を持っているか?そういう考え方の方向性が一致するかどうか?一致させたいかどうか?次第である。
我が子には、自分の考え方を伝えたい、、、それが教育であり育児。塾で生徒に教える場合も似たようなモノ。自分の考え方を伝える事、理解させる事が全てだ。
趣味の世界、学問の世界、スポーツの世界での交友関係、伝承の関係、師弟関係もそうだ。
方法論は違っても考え方が同じであれば、先輩を後輩は敬うし、先輩は後輩を可愛がる。そういうもんだ。趣味や遊びの世界でも、世界観が共有できるから付き合いが続くのである。
しかし、世界観が違う。方針が違う。考え方が違う、、、、、そういう人間同士では、その世界では絶対に時間も意見も共有出来ないモノ。なんたって、違うから。そういうもんだ。
不思議と、そういう関係になってしまう人も居る。
ただ、いきなりそうなるか?っていうと、それは無い。伏線がある。人間誰しも会話というか交流がある。その中で、波長が合うかどうか?それを計っている。その結果、違和感が蓄積し、飽和状態に達した時点で、コイツとは合わない。絶対に違うという確信を得る事がある。そうなれば、喩え同じジャンルに関心を持っていても、絶対に時間や意見を共有する事はないのだ。
コイツとは長いブランクが在っても付き合える!って奴も居れば、コイツとは、この世界では自分の領分には絶対に入れたくない!って奴も居る。人間、誰でもそういう感情があるだろう。ただ、それで、時間を共有したくない奴が嫌いか?っていうと違うのである。あくまでも、違うだけであり、人間的に嫌いというのとは違うのだ。優れているとか劣っているとか、そういうのと違うし、好きとか嫌いとも違うし、良い悪いとも違う。自分の世界観を見せたり、考え方を伝承するつもりが全く無いだけなのである。
なんていうかな、、、例えば、単車でビクスク爆音系とか、昔流でいえばロンスイトラッカー系とか、直線番長系とか、スペオタ系とは、単車乗りであっても連む事もなければ話をする事もないという感じ。それを否定しないけど、それに論評を加える価値観を持ち合わせていないから話も何もないという感じ。好きにすれば?って感じ。敢えて言うならば、真似はして欲しくないという感じなのである。
やり方も方法論も乗り方も全く違うし、取り組み方も全く違う人に、機材だけ真似られたり、上っ面だけの意見を同意出来たからって理由で自分の意見の如く語られたりするのが、嫌なのである。
それは、やっぱり違うからなのである。
まぁ、戯言だ。
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