話せるかどうか、
人と話していて、ムカツク時と、そうでない時がある。色んな場面であるけど、そんな状況を分ける一つの基準が見つかった。
話っていうと、ネタであり、ネタって言うのは個人の感想で、感想の対象というのは事実とか事件とか、そういうものだ。事実や事件に対する感想を言い合ったりする事は好きである。事実や目的に対する方法論や主義をぶつけ合わせるというのが議論である。議論というのは実に楽しいものだ。
しかし、個人の感想に対しての批評者との会話っていうのは、正直、ウザイ。ある事実に対する感想を、会話の相手に一方的に説明するのも不用だし、それに到った理由を面倒臭く説明する意味も無い。感想に対する批判を聞くつもりは無いのだ。つまり、事実に基づいた感想同士を闘わせるのでなく、自分の意見を説明したり、意見に対する批判や疑問に答えるような会話は実に不愉快なものだ。
AさんとBさんが居て、ある事実に対するAさんの意見とBさんの意見を交換するのは有意義だが、Aさんの意見に批評や意見するBさんにAさんが自分の意見を説明するようなのは無意味なのだ。
人の意見を聞いて、何故?何?って奴が居るけど、正直、ウザイし、面倒臭い。説明する義理も義務も何もない。
気の合う奴っていうのは、その世界で、自分の意見を持って、自分で答えを出そうとする奴。そういうのと対等に意見交換して初めて向上できる。
何でもかんでも意見を説明させるような奴との話は、自分が向上することが有り得ない。時間の無駄だ。
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