格好悪い事
格好悪いにも色々ある。
その中で、自分的に格好悪いな!っていう状態を思い浮かべると、その筆頭の状態っていうのが、歳の割りに幼い、稚拙、幼稚って状態。勿論、これは子供っぽいというのとは違う。
世間でいう、子供っぽいというのは、子供と同じ様な好奇心に溢れている状態であって、稚拙というのは、年齢に不相応な発達しかしていない状態のこと。
ふと思ったのは、小さな子供がヒーローに憧れてゴッコ遊びをする。このこと自体は幼稚でも稚拙でもなく、年齢に応じた行動で可愛らしいモノと思う。ゴッコ遊びの基本は真似事だけど、真似事を行う事自体が適切な世代であれば、それ自体が不思議でも何でもない。そういうモノだろう。真似事をする子供にしても、その姿で何かしたい!というよりも、真似事のゴッコの根底には、真似事をする事自体が目的であり、或る意味、目的に応じた行動と捉える事も出来る。子供の真似事を見ていて思うのは、子供が真似をする事は、子供のなりきり気分に応じたパターンでゴッコをしている筈であり、違うパターンで別の真似事っていうのは、多分だけど、子供的にも格好悪いのだろう。ウルトラマンの格好で仮面ライダーの真似事は子供的にも多分NGであろう。子供の世界では、そういう事を格好悪いというのでは無いだろうか?
簡潔に纏めれば、子供の真似は、真似自体が目的で、真似の系統が違えば、子供的にはNGということ。
自分からみて、周りの大人で稚拙とか、幼稚とか、アホ?って思うのは、行動に目的が見えない状態の事。例えば、映画とか競技の世界で格好良さそうな形を真似するにしても、その真似が適切とは思えない状況でも、そんな雰囲気というか真似に拘るというのも、見ていて滑稽というか、稚拙というか、そういう風に感じる。無闇な真似っていうのは、滑稽というか、そういう印象だ。子供の真似行為でも、真似が目的ならば、真似の適切度のTPOっていうのは存在する。でも、周りの大人を見ていると、それはチョット違うだろう?とか、その方法は、この状況に見合わないだろう?ってパターンの何かの真似を、その気でやる奴も居る。そういうのは、みていて凄く幼稚で稚拙でアホに見えたりする。
真似が目的で真似する事が適切な時期というのは確実に存在するけど、人は成長と共に、真似するにも目的があり、それに応じた目的行動に移るものでは無いだろうか?何事も憧れからスタートするけど、成長と共に、憧れの理由、憧れの対象の何が、その理由か?を考え、それを獲得するための手順を描き、行動を起こすようになるものだと考えている。こういう考え方は、分野を問わず、人の成長と共に身に付くモノで、成長度に応じた方法を実践するというのが普通であり、成長度に見合わない稚拙な模倣行動ばかりというのが子供っぽいというか、そういう状態に見えるように思う。
自分で物事を考える事を放棄し、兎に角、模倣を繰り返すような人を見ると、表情的にも成長が感じられない事が多い。模倣や真似を繰り返す人っていうのは、目的という部分の意識が極めて希薄か、目的を口に出せないような引け目を持っている事を察する事が多い。
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