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2010年6月26日 (土)

疑心暗鬼

 戯言だけど、給与を稼ぐ時の気分の話。
 得る給与は何の対価?って考えた時、組織が収益を得るための共同作業を担った時の対価という考え方と、自分の行動が、最終的に顧客の要求に見合って支払われる対価の一部という考え方があるように思う。

 前者の場合、手段を問わず組織として収益を上げる活動の分配結果であり、あくまでも企業活動の手伝いによる対価というもの。後者の場合は、顧客の満足に見合う価値創造を行った見返りとしての対価というもの。

 職種、人によって捉え方は様々だけど、個人的には後者の意味合いを大事にしたい。顧客の要求仕様に適合して代金が支払われる訳であり、その一部を得る権利を確保するための行動という考え方を大事にしたい。
 前者の方法論だと、組織として収益を上げる時、代金を支払う元の要求を本当に満たすかどうか?顧客の満足に直結するか?という部分が、組織によっては希薄になるものだ。
 例えば、犯罪組織での集団的詐欺行為等々は、そういう意味合いである。

 立場、業種、職種にもよるけど、自分の行いが顧客にとって対価を支払うべき価値を持っているか?がとても大事なように思う。

 正直、性能偽装とか、不良隠蔽という状態を不可抗力とは言え、見て見ぬ振りをして現実に迎合する生き方というのは、良心が許さない、、、、

 それを言うと、今の時代、偽善とか、建前とか、そういう風に非難される場合もあるのだろうけど、そういう気持ちは何時も持っている。
 勿論、組織が大きくなればなる程に、その実態が見えない場所、気付かない人もいるだろうけど、そういうのを知ったり、見たりすると、それは人によっては自我崩壊する人も出そう。

 今の状態では、結果的に得る収益というのがエンドユーザーの要求を真に満たしているか?というと、そういう状態に無い。となると、生活自体が詐欺行為?とも思う。そこで、エンドユーザーの要求を満たすモノを生み出す力を持っているか?というと、これも残念ながら持ち得ないというのが正直な感想だ。
 少なくとも、今レベルの知識では、開発とか物作りをしたい!って気持ちを前面に出すには思いっ切り技量不足だし、知識不足だというのがホンネだったりする。

 収入は多ければ多い程良い、、、、、しかし、収入とは行動に対する対価である。対価が大きいと言う事は、支払い元にとって価値が大きいということ。自分が顧客に大きな価値を与える事が出来そうな分野は何?って考えると、正直、物作りとか、新しい知恵、技術を生み出すというのは力不足だというのがホンネだ。過去を振り返り、評判を思い返し、実績を冷静に判断すると、私塾とか、講師とか、そういう世界で、考え方とか、そう言うモノを伝えるような分野の方が顧客にとって大きな対価を払わせるような気になる価値を生み出してきたように思うし、自身もそっちの方面に自信というか自負を持っているように思う。

 振り返れば、良かれと思って行ってきた事が、最終的に真実を覆い隠し、それを容認するというか、黙認するような体制から抜け出せない風潮から抜け出せない空気を作ってきたような、そんな気がすると、何とも言えない気分になる。

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