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2010年6月25日 (金)

身内、身方、師弟

 体育会系にどっぷり浸かった事は無いけど、体育会、道場、塾、学校、親子という関係は基本的に好きである。従属関係というか、上下関係というか、絶対的な服従が必要な関係である。上位に対し、下位は絶対服従である。こういう世界は、師弟関係であったり、私塾の講師と生徒の関係だったり、親子関係だったり、コーチと選手の関係だったりするのだけど、この関係では、非常に厳しい、一方的な関係なんだけど、必ず、下は上を敬っているし、上は下を伝承の対象として捉えている。伝承とは遺伝のようなもの、教育のようなモノだ。厳しさがあるけど、上は下に伝えるモノは伝えたい、そのために、手順を省くことなく全てを教えるのである。そして、下は上の言う事を全て分け隔て無く受け入れるのだ。それが当然の関係では、実は、厳しさの中に密接な繋がりがあるのである。それが、身内関係であったり、身方だったり、師弟だったりするのである。

 自分は、人に何かを教えるのが嫌いではないけど、それには、聞く側が絶対服従で無い限りは、伝える事は無いのである。だから、伝えるのは、我が子だったり、塾の生徒だったりするのだ。伝える場合、内容は絶対であり、言った事をやる前提で伝えるのである。それを選り好みする相手の場合、それが我が子であれば、徹底的に矯正するのであるけど、他人の場合、例えば、塾の場合は、強制退塾させたりするのである。逆に、一途に言った事を選り好みせず真摯にやれば、我が子であれば可愛いし、師弟関係で在れば、伝承すべきを全て教えたくなるものなのである。

 自分にとって、周りを見ると、基本は、身内、身方、師弟のようなこちら側と、あちら側、即ち、競争相手というか敵というか、そういう2種類に分かれる。
 身方というのは、考え方が同じ方向の人、敵というのは、考え方が違う人である。好きとか嫌いでなく、同じが違うかということだ。違う事は否定しないけど、違う人には、自分で編み出した事は何があっても伝えない。そういうものである。レベルの高い低いでなく、物事の進め方が同じか違うか?で、それを区別しているような気がする。

 でも、こういうのは誰もが実は持っている事なんだろう。

 自分にとって違うという判定になるような人のパターンとしては、物事を聞かれ、それに答えたとしても、その答えを未知の第三者に確認したりするような人というのは、生理的に受け付けない。その時点で、聞かれる状況っていうのは、聞き手が自分を信用していないという証明だし、第三者に査定を委ねられるというのも嫌なものである。聞き手は意見の一つとして知りたい、答え手は伝えてやろうと話す、、、ここで意志の疎通が成立していない。
 人としての礼儀としては、聞く側は知らないから聞く訳だから、聞く態度というか腹づもりを決めなければ何かは得られない。得ようとすれば聞く態度を作るべきだと思うけど、それは、学校教育とか体育会系だったり習い事の世界を体験していれば常識的に身に付いている事だろう。しかし、この常識が欠落し、礼儀というかマナーが判らない人も少なからず居るように思う。

 このマナーが出来ていない人のパターンを思い浮かべるに、それは、一つの質問を多数の人に聞いて、得た情報を色んな人に伺う人とか、複数の指導者を渡り歩く人とか、そういう傾向の人かな?と思ったりする。

 親としてとか、大人として、塾の先生として、、、、そんな立場上、人にモノを教えたりする事が多いけど、そこで何かを伝えてやろう!って思うか否かは、そういう聞く側の人間性というか人格形成で、礼儀を持ち得ているか?真摯な態度を持っているか?で決めるパターンが多い。

 ただ、自分から見て伝えるべき対象か否か?っていうのは、人間が好きか嫌いかとは別の区別で、敵か見方か?という区別だったり、同じか違うか?の区別だったりする。違ったとしても、それは生き方の選択であり、どうだって良い事と思う。別の選択が間違いというのではなく、違うというだけであり、違えば、それぞれが自分の生活環境を整えれば良いと思うだけである。

 まぁ、戯言だ。

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