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2010年6月13日 (日)

職位と疾病

 周りを見渡して思う事。
 職位を持つ人程、体型的に隠れ肥満傾向で、持病を所持率、複数所持率が高いような、そんな印象だ。

 身近な職場における管理職、役員を見渡すと、多くが心身性のストレスに起因する体調不良や、生活習慣病との関連が疑われる○○梗塞とか、癌、腫瘍を患っている。

 これって、どうなんだろう?っていうのが素直な感想だ。

 職場関連で飲みに出ると、殆どが愚痴に近い状況。総じて40代以上の人の趣味?、時間の使い方を見ると、アルコール、ギャンブルが多いように感じる。

 ぶっちゃけた話、不惑を超えた年齢で、28インチのジーンズが入る奴とかは居ないように見えるし、体力的にも衰えた感じが否めない。

 今の時代、生活習慣病という言葉があるけど、これは生活習慣病というよりも、社会病に近いのかな?というのが正直な感想だ。

 組織における職位が生活を束縛する。生活の束縛というのは時間の拘束だ。しかし、人間に与えられた時間は年齢性別に拘わらず一日が24時間なのだ。つまり、24時間から拘束される時間が増える程に使える時間が減る。使える時間が減り、拘束が自由を拘束すると、それに応じた体型、疾病に見舞われるのだ。

 持論では、人間は世代、年齢に応じて行うべき内容が存在する。つまり、働くべき時期に応じて、量と質は変遷する。それは守るべきなのだ。そして、行うべきを行えば、時間は速やかに解放すべきなのだ。

 自身を振り返ると、時間の拘束度が高かったのは、28歳~38歳迄である。実際、この間は健康な身体とは言い難い。
 しかし、38歳以降は、任務に応じた時間の配分に留め、時間の拘束度は著しく減っている。結果、、、、、、使える時間が増えている。すると、一般に生活習慣病を心配すべき年齢域なんだけど、健康状態は十代から二十代前半になっている。

 つまり、現在の生活習慣病は年齢に起因するのでなく、現代社会における時間の奴隷になって見舞われる鎖に繋がれた錘のようなモノではないであろうか?
 自身の健康状態の変遷を振り返ると、今が一番元気である。体力的な衰えを感じる事は皆無であり、寧ろ経験を積む事によって考え方が広がった分、自分で出来ない事は無いかも?という可能性の広がりを実感する事が多い。

 話は変わるけど、今も昔もマドンナが好きである。しかし、昔のマドンナは好きという存在で、今のマドンナは尊敬できる存在である。何と言っても、四十代後半以降、五十代に突入しても衰えを感じさせないパフォーマンスが素晴らしい。メッセージ性、音楽性がどうのこうのでなく、年齢の常識を越えたパフォーマンスを保っている生き方が素晴らしい。年齢的に半周程上の存在だけど、彼女を見ていると、少なくとも、その年齢におけるパフォーマンスは励みになるのは間違いない。勿論、あんなダンスや音楽が出来るのでなく、人間という種族を考えた時に、五十を過ぎても保ち得ている活力は、ステージを変えても保てるのは可能性として十分見込める筈なのだ。

 マドンナの年齢は今が51歳だ。そして勤務先で席を並べる管理職の年齢も51歳である。この二人は同じ年齢の人間だけど、同じ年齢とは思えない身体の元気度合の違いがある。自分の数年後を思い浮かべると、どっちになりたいか?というと、言わずもがなである。そのためには、組織や職位に時間の自由を奪われて自分を殺さないように過ごす事が大切そうだ。つまり、精神の自由のみでなく、時間の自由を手放さない気持ちが大事だろう。

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