リズム
頂いたコメントがネタ元だけど、リズムっていうのは凄く大事である。
何のリズム?っていうと、元ネタは車の運転のリズムだけど、考え方というか、過ごし方を含めて全てである。
見ていてイライラしたり、むかついたりという感情は、他人の運転に限らない。運転以外での仕事の段取りとか、勉強の取り組みとか、全てに渡る事である。
イライラするっていうのは、自分の考え方に合うかどうか?が重要なところ。だから、他人から見て、自分のリズムに苛つく人も居るかも知れない。
自分の言うリズムっていうのは、自分の考え方に従って合理的かどうか?というのが判断である。自分の考え方は勝手な考え方でないのは当然で、その世界の道理に合っていると信じた上での考え方だ。つまり、自分の考え方が、ある世界で稚拙な場合は、その世界での価値観を学ぶ手順を組み立て自分で納得出来る方向に考えるので、自分の稚拙さに苛ついたり、惨めに思うことは無い。
基本は、どの世界であっても、その世界の手順に従って、合理的かつ凡例的に物事を進めるのが理想であり、その理想に対して実践が同じベクトルを持っていればリズム的に心地よさを感じるというモノである。だから、リズム的に違和感を感じるのは、その考えに全く相容れない行動を目撃した時と言う事なのである。
一番身近なのが、車の運転である。車の運転では、他人の運転を嫌でも見続けなければならない時が他の乗り物に較べて多いからである。単車や自転車の場合、スルーすれば見ないで済むけど、車は抜くに抜けない場合も多いからだ。他にも、仕事や教育では、やっている事の意味が判らない事は、凄く苛つく事がある。どうして、今、これやるの?って思ったり、そこに、其処まで傾注するのは何故?とか、どうして、此処に気付かないの?っていう時も同じ違和感だけど、それもリズムの違いだろう。
こうして考えると、運転に限らず、だれもが生態のリズムを持っているのだろう。このリズムが合うかどうか?が相性が合うかどうか?何だろう。耐久レースでペアを組む時は、同じ系統のライダーの方が機材のセットアップが楽だったりするけど、異質なライダーがマシンを共有するのは結構難儀だったりするものだ。一緒に遊ぶ、一緒に暮らす、一緒に行動する、、、、これでも価値観を含む違いがリズムの違いとなる。その違いが、互いを相容れないモノにするんだろう。
リズム、これは、凄く大事なものだけど、自分のリズムの理想は、どんな世界の中でも、凡例的で一般論的で合理性を持ったモノでありたい。それは、結局は、誰にとってもの正解であり、それを得るには、自分勝手な好き嫌いでなく、どんな世界においても、その世界の正義(真実)に従うのが重要であり、そのためには、やはり、知らない世界への好奇心と向上心が重要なんだと考えている。
そういう意味で、知らない世界に対して躊躇するタイプの人、守り系の人、自分で限界を定めた人、他人の模倣しか出来ない人というのは、生理的に合わないリズムしか持っていないんだろうと思っている。
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コメント
多分ですけど、どんな内容であれ、理路整然というのは確実にあり、理路整然の考え方というのは、科目、分野を問わないように思います。
最近は全ての物事が同じ道理で解決できるように思います。その手順にそっていれば、その拍子、速度が違うリズムであれ、流れの方向性が同じであれば同調できるように思います。
投稿: 壱源 | 2010年7月15日 (木) 13時04分
心臓がリズムを取っているからでしょうか、生活にリズムが必要に成ってきますね。 自分自身はワルツのように滑らかに行きたい所ですが、ロックの方もジャズの方も、民俗音楽のリズムの方も居ますね。どのように調和させていくのか毎日悩みます。 私のほうはクリエイティブな仕事ではないので、マニュアルに沿っていくほうが楽なんでしょうね。
投稿: クマ | 2010年7月15日 (木) 09時42分