高性能=スマートな筈だけど
一般に、機械や道具っていうのは、洗練されたスマートで無駄のない高性能なモノが格好いいと思う。これは、玩具から乗り物、普通の機械全般に通じて言える事である。
格好いいか否かは、直感で判るようになるには色んな機械を見て、機械の機能に対する解答が適切かどうか?を或る程度判断できる経験が必要だとも思う。機械や道具というのは、目的を達成するための手段であり、目的を最短で達成するためには、自然科学という絶対的なルールに従って作られたモノでなければならず、そのルールに対して違和感が在るモノは不細工だし格好悪い。そういうモノである。
まぁ、毒舌を吐けば、機械に限らない。生き物でもそうだ。適応出来ない種族は滅亡している。極論すれば、個人でもそうだ。ルールに適応出来ないモノ。知識を備える事が出来なかった個人っていうのも、精神的には滅亡したような状態になっているとも言える。不細工は不細工、ダメはダメなのだ。
そんな事はさておき、先日、在る機械(流体を搬送する機械)の本体素材を作るための雛型が出来上がっていたので、チョット見てみた。
一言。これって、変である。正直、格好悪い。従来型を小細工で形を改めただけであり、その次の一手、今の時代の術を使えばワンランク上に洗練させる事が出来るだろうけど、そういう思想が全く無い。見た瞬間、、、、チョット残念な気持ちになってしまった。
俺なら、こういう形にはしないし、こういう形に留めない。形的に、したい事は見えるけど、その方向性っていうのは、前モデルで行った表面的な手法を取り入れているだけである。前モデルで提案したのは、論理的な再構築であり、その結果が表面的、数値的な変更だったのだが、その表面的、数値的な対応のみを無理矢理適応しているに過ぎないのが今回のモデルだ。つまり、思想的に何をすべきか?その為の優先順位は何か?効果の検証を全く行っていないから、前モデルの結果的な方法が今モデルにとってはベストとは言えないのは明らかだけど、その方法を適用しているだけになっている。
正直、得られる効果よりも、失う損失の方が遙かに大きそう。形状的にも有り得ない。細部に拘りすぎて大局を見失ったようなデザインとなっているのが残念と言わざるを得ない。
しかし、この様なリデザインでは、関連部署のスタッフの合議が行われているはずだが、それでも、この違和感に誰も気付かないとすれば、既に死んでいるような気もする。
これなら、リデザインなんかしない方が全然良かったような、そんな印象だ。
| 固定リンク
コメント