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2010年8月25日 (水)

納得の理屈

 先日、ショップの常連さんと集まって居酒屋で飲んでみた。

 まぁ、ネタ的には色んなジャンルの話が多かったけど、接点が自転車ということで、自転車ネタの話もあった。

 その話の中で、やはり、多くのサイクリストの悩みというのは、ポジションの出し方であったり、漕ぎ方であったり、そういう部分が多いって話もあるようだ。

 その流れで考えた事を整理すると、、、、悩みっていうのは、何故?っていうと、要は信じる事が出来ないからだろうという事。悩む人は、ショップであったり、先輩、ベテランであったり、そういう所に答えを求め集うモノなのである。

 しかし、集っても答えに納得が見出せないと、、、、集った人は離散する場合もあるのである。

 勿論、集って直ぐに答えが出るなんて有り得ないけど、答えが出る前に離散するのは何故か?って聞かれたので、自分としての解答としては、それは、導く側が、集ってくる人、頼ってくる人に納得させる論理を説明出来ないからという答えである。

 まぁ、答えやヒントを提供する側に求められる資質、特に、商売する場合に必要な資質は何か?っていうと、自分としては、答えを探す人が信じられる理屈や論理を提供する事が一番大事では無いか?と言う事である。
 初っ端から答えに行き着くなんて有り得ないのである。だから、その答えに辿り着くためのトライを諦めさせない事が良き指導者に求められる資質なのだ。

 そんな話をしたけれど、この考え方というのは、誰かを教える時の理屈という訳でないのである。

 こういう考え方は自分が答えを求めて続けるための原動力みたいなものなのである。

 自分の場合、少なくとも、自転車の乗り方とかポジションについての悩みっていうのは基本的には無い。それは、自分のしたい事というのは何?が決まっているから。決めているから、それに従っているだけだから。決めている理想というのは、自分自身で納得出来るモデルというか理屈に従っているから自身の中で疑いの念が無いのである。だから、悩むという形の感情は極めて少ないのである。

 理想のペダリングとか、理想のポジションっていうのは、汎用的な答えは知らないけど、自分が理想と定めるのが何?というのが決まっていれば、問題ないと思う。だから、自分の理想を定めれば、それに近付けるようにするには何が大事を考えているから、掲げる理想に届いて無くても全く問題無いのである。そういうモノである。

 しかし、ペダリングにしてもポジションにしても、自分の理想は他人の理想とは違うのが実際であり、自分の理想を明かすのは、自分が納得できる理屈を明かす事でもあり、自分が納得できる理屈っていうのは、指導者のように外向きに自転車と接している訳では無いから黙っておこうと思っている。

 何となく、朧気ながら見えてきた理屈と、その理屈を組み合わせて出てきた理想。これって、誰しもが固有に持っている大事なモノなんだろうと思う。

 逆に、これを商売にするならば、素人が信じる事の出来る理屈を説明出来ないと失格である。
 塾の先生の世界で言えば、講師のカリスマ性のようなモノ。これがあれば客(生徒)は絶対に離れないものである。
 自分の場合、自分の理屈は隠すつもりは無いけど、身近に居るクレクレ君には絶対に言わない。それ以外なら人同士の付き合いの中で状況に応じて話すだろうなぁ、、、、。

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