カウンターに追われる
ニシダサイクルさんで、販促グッズのストップウォッチ付き腕時計を貰った。
これをラングスターに付けて走ると、、、、、目の前で数値が増えていく、、、、、これ、凄いプレッシャー?である。
腕時計で計測する時は、殆ど見ないから気にならないけど、目の前で表示されると、結構気になるもの。見る程に、実際の走りが遅いような錯覚に囚われる。勿論、到着段階で見ると、時間的には従来通り、、、、当たり前と言えば、当たり前だ。
白島~可部、これが19分前後で往復するペースである。まぁ、普通と言えば普通だろうけど、往復で40分にも満たない運動である。カウンターに追われる程、短時間高強度の運動になっていく、、、、自転車で有酸素運動!ってノリから見れば、逆方向の運動強度と継続時間になっている。
でも、これで良いような気がするのである。
どんなに長時間、長距離を乗っても、そこでの強度が足らなかったり、意識が分散したりしているよりは、自分的には短時間でも高強度で意識集中して乗る方が有効だと考えている。
これはスイムで得られる効果についても同じように思う。兎に角、ここ十数年以上、ずっと泳いでいたけど、効果的に泳力と心肺機能が高まったと実感するのは、3kmを50~55分で泳ぐ意識を保ち初めてからだ。週に泳ぐ日数が多くても、2km以下を60分程度で泳いでいる時は、身体に何の変化も無かった。
過去の自転車生活でもそうだ。強度を抜いた習慣的運動では、何かが高まるような事は無かったけど、高強度で短時間の運動を続けていた時の方がピークも持続力も高まっていたように思う。
身体能力とは関係性は薄いかも知れないが、単車でも然りである。漠然と日常行動で距離を稼いでも上達した意識も無ければ、実際に巧くはならないけど、意識付けて集中して攻めていた時は、明らかに変化していたもの。
つまり、大事なのは短時間でも意識をしっかり保ち、自分の能力の上限近辺を実践する事だと思うのだ。
そういう意味で、カウンター表示に追われるっていうのは、中間計測的な意識も入り、更に気分が追い立てられる訳であり、そのこと自体が変化をもたらせてくれそう、、、、そんな期待感がある。
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コメント
距離、時間、、、、数字が見えると意識しますね。
それ故に、使い方によっては危ないです。到達速度に終着するような使い方は恐いかもですね。
投稿: 壱源 | 2010年8月 7日 (土) 23時57分
そうですね、目標が出来るとまた、その先へ行って見たくなりますね。 サイクルコンピューターを使い始めてから一年、自分の車よりも長い距離を自転車で移動していた事がわかり、独りでニッコリしています。
投稿: クマ | 2010年8月 7日 (土) 23時22分