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2010年8月 8日 (日)

名ばかり高齢者

 111歳の筈が、実は30年前に亡くなってミイラ化していた高齢者のニュースが報道されて、113歳の最高齢者も行方知れずという報道があり、更には102歳の方とも連絡取れずという報道も出てきた。
 案外、百歳を越える高齢者の多くで対面出来ていない人っていうのも、相当に居るのではないか?と思ったりする。8/5時点の判明分では57人の消息が確認出来ないのだそうだ。(その後の調査では71人に増加、更に増えそう。)

 超高齢者ということで、身内を振り返れば、3年程前に祖母が他界したけど、その時の年齢が109歳だった。亡くなったのは3月で、最後に会ったのが亡くなる年の正月、つまり亡くなる三ヶ月前の話だ。その時に娘を連れて年始の挨拶に出掛けたのが最後だ。

 その時の印象は?というと、109歳というと相当に衰えるもんだということ。それでも100歳くらいまでは自分でバスに乗って市内に買い物に出掛けるくらいだったけど、109歳では全く印象が違う状態だったのを覚えている。

 100歳迄は祖母は娘と同居していたけど、100歳を越えてからはペースメーカーを入れる手術をしたり、ボケが進行したりと、介護無しで生活するのが厳しくなり、晩年の数年は、自分の地元の介護施設に入所して親戚が後退で介護していたのを覚えている。最終的に亡くなったのは、同室で介護を受けられていた方のインフルエンザウイルスが感染して肺炎気味となったのが原因だった。まぁ、それは切っ掛けであり105歳くらいは一気に老衰が進行したような覚えがある。人間という種類であれば、老衰による衰えっていうのは、大抵は似たようなモノだろう。そう考えると、111歳とか113歳っていうのは、どういう状況か?は何となく想像出来る訳で、、、、、確認せずに帳簿上だけで生きているとするのは、行政としては何かシステム上問題があるような気がする。

 まぁ、行政のシステムの問題に限らず、家族間の人間関係であったり、隣人との付き合いであったり、その辺の現実が、前述のような判明しているだけど57人の所在不明老人を生んでいるのだろう。

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コメント

 如何にもデータ主義、数値主義的な世の中を表しているような事件かな?と思います。長く生きる事よりも、如何に生きるか?が見落とされている典型のように感じます。

投稿: 壱源 | 2010年8月 8日 (日) 23時04分

 そうですね。これを良い機会としてシステムを見直せると良いですね。

投稿: クマ | 2010年8月 8日 (日) 21時55分

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