企業の境界
この火曜日に、開発中の技術についての問い合わせで、勤務先から見ると巨人のような大企業の設計スタッフの方がお見えになった。
まぁ、このような方に限らず、職種上、数多くの企業の設計スタッフや開発スタッフの方と話をしたり、議論をしたりする機会がある。
で、思うのは、学生時代は感じなかった企業の格というものを明確に感じる事だ。数字で分けるのはどうか?と思うけど、少なくとも、従業員数で1000人を超える企業と、それ以下では明らかに違う。500人規模の場合、思想的に1000人以上の企業と近い企業もあれば、数十人規模の企業に近い企業もある。
勿論、人数で評価するのは適切で無いかもしれないが、標本に属する少ない割合の要素が複数居るか?どうか?を見ると、母体に人数が必要なのは間違いない。そういう意味で、大企業のスタッフを見ると、やはり構成要素のレベルが違う。量も質も違う。その差は圧倒的である。人数が多い母体標本ならば、世代毎にそういうスタッフが居る。世代毎に存在すれば、そこに組織が出来上がる。組織の力は圧倒的だ。特に、個々が一定のレベルに達しており、それで出来た組織というのは違う。
これは、新しい事をする時に、余所を見て羨ましく思うところ。
国内を見渡すと為替で苦しんで、新興勢力の発展に伴う新たな競争で苦しんでいる。しかし、為替で苦しむのは逆に言えば競争力が背景にあるのは間違いない。そういう競争力の源泉は何処か?というと、それは組織の力を持ち、経済的に占める割合の大きな企業の競争力による経済インパクトであるのは疑いの余地は無い。為替で苦しむ背景には、勝負出来る知見の集積を可能たらしめる組織が間違いなく存在している。
関わっている人が多いけど、経済的に占める割合の小さな企業の手段と、少人数ながら大きな経済インパクトを持つ企業の分化が進行しているのが今だろう。
完全に二極分化である。結果的に産業の空洞化等々は全て、これによるものだろう。
勝ち組と負け組というのが完全に分かれているのが今の企業の構図である。先の競争力を生み出す組織を持たない勢力は、骨身を削った価格消耗戦でしか生き残ることが出来ない。
この先、十年くらいで国内の様相は大きく変わるような、そんな気もする。
勝ち組に残るには、常に時代の一歩先を生み出す力。つまり、継続的に知恵を提供し続ける事のできる体制が必要。それは、世代を越えて存在する組織である。
個々の集中力や発想力で負けるとは思わないが、個の力では組織には勝てない。個の力なんて、一瞬のきらめきで終わるものだ。それは素直に思うところだ。そういう中で、個の力をどう使うか?というと、生み出したものは、個で囲って進めるのでなく、全てオープンにしなければならないと思う。
こういうのって、PCの世界で個人技術のオープンアーキテクチャー化による普及というのに非常に近い考えなんだろう。
生き残るかどうか?というのは、体裁とか見た目でなく、それに気づき、未来に投資出来る体制を作れるかどうかだろう。身近な企業の中には、勤務先より小さな規模の企業があるけど、中には、ここ十数年で晃かに変貌を遂げた企業があるのも事実。変化できるかどうか?これが鍵なんだろう。
そう言えば、企業の新陳代謝という言葉がある。役員の平均年齢が5年経過して平均年齢が低くなる企業程有望。平均年齢が高くなる企業は厳しいらしい。このような尺度からも、変化する体質かどうか?が読み解く事が出来そうだ。
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コメント
大きいと意志決定が遅くなる。しかし大きくないと割合的に少ない優秀なスタッフの絶対数が居なくなる、、、、難しい問題です。
投稿: 壱源 | 2010年9月10日 (金) 23時59分
そうですね。大きくなると慣性の力が大きくなって、小回りが効かなくなることも有りますし。
投稿: クマ | 2010年9月10日 (金) 21時55分