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2010年9月 7日 (火)

意地悪が原点かな?

 先日、抜いた、抜かれた、挑発、反応で戯言を書いたけど、ふと思ったのは、人はみんな、本質的に意地悪なのかな?って事。

 そう言えば、『人の不幸は密の味』なんて話も聞くけど、そうなのかな?って気もする。

 煽りとか、通せんぼとか、そういうのは基本、嫌がらせみたいなものだ。

 しかし、人みんながそうでないのも事実。気が利く、優しい行動を自然とする人も居る。ただ、そういう人は結構少ないのが現実。まぁ、気が利くとか、優しいという行動を身内とか知り合い限定で行っている人は多いかもしれないけど、赤の他人に対してっていうのは、どうなんだろう?

 赤の他人に対しても優しく、気遣い出来る人とそうでない人の違いは何か?考えようとして、考える間もなく答えが出た。

 そうだ!

 優しく、配慮が出来る人っていうのは、精神的に満たされているというか、余裕があるんだ。

 逆に、境遇に不満をもったり、何時も不平を言っている人っていうのは、余裕が無いから、優しくないのだろう。

 でも、自分に満足出来る人が多いか?っていうと、日本人全体を見渡すと、会議や打ち合わせで感じる事は、殆どの人が、新しい事や、問題提起に対してNo、否定、嫌という言葉から入ってくる。肯定的な意見を言う人は1割も居ないような感じだ。会議の議題なんて、YesかNoか?は、モチベーション次第、自信次第である。つまり、Noから入るなんて、自信が無く、意欲も無いの裏返しなのだ。自信が無いから不満も出ると考えれば、そこでの嫌がらせっていうのは、或る意味、他人に対する嫉妬心のようなものかもしれない。

 まぁ、こういう嫌がらせとか、意地悪とか、嫉妬とか、、、、そういうのは避けたい行動の一つだ。

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コメント

よく部下にポジティブ、ネガティブの話しをします。
ポジティブっていうのは、意見の良点を探す見方、ネガティブっていうのは出来ない理由を探す見方、そういう分け方も出来ると思います。

正直、出来るか出来ないか?ではなく、やるか?やらないか?の違いのように思います。

避ける意識になると何も出来ません。そして、そういう人にとって、他人が出来るのは避けたいのが本音なんだと思います。
それが、否定論につながるような気がしますね。

投稿: 壱源 | 2010年9月 8日 (水) 00時10分

 そうですね。余裕の無い社会も問題ですね。会議でも「良いところ」を見つけて其処から更なる発展があるかもしれませんが、そんな風に考えられない追い詰められた状況ではないかと思いました。

投稿: クマ | 2010年9月 7日 (火) 21時41分

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