書き殴りです。
今日もチョット面倒くさい奴から自転車の付き合い方云々で聞かれた。
面倒臭いけど、辛口で勝手な思いを話してみた。
自転車、、、、っていうと、色んなタイプがあるけど、タイプ毎に目的がある。そして、競技車っぽいロードバイクとか、ピストバイクも目的がある。この辺りのバイクの楽しみ方は何?って言うんで、ズバッと答えた。
そう、それは、単純にそれらしく使って速く走る事である。コレ使ってツーリングとか、単純に汗掻いてしんどい思いして嬉しいなんて概念は無しだ。
ロードなら、ロードらしく、つまり速く走ってナンボである。ピストも一緒だ。この辺の自転車は、自分の出来る範囲で、一番、ロードらしく、ピストらしく走らせたらどうなるか?というノリである。正直、ロードやピストに乗って汗掻いて嬉しいなんて思わないし、しんどいから楽しいなんてマゾみたいな考えもない。自分の体力で、何処まで速度に変換出来るか?しか関心が無いといっても過言ではない。
ツーリングに出るならランドナー、スポルティーフ。彷徨くなら小径とか折り畳みである。彷徨くのにロードなんか使わない。ゆったりペースのサイクリングにロードなんて有り得ない。ロードでサイクリングならば、決めたコースを最短で走るように走るだけである。決めたコースで食い倒れなんて場合は、やっぱり小径とかスポルティーフ、ディアゴナールだろう。
更に言うと、人間の身体能力なんて一線級の競技者でない限りは、みんな一緒だろう。差異なんて誤差みたいなものだというのが持論である。その辺で見掛ける鳩とか雀のような生き物をザックリ100匹捕まえて、運動能力を比較したら差異なんて無い筈だ。サンマやマグロのような魚だって一緒。同じ種類の犬なら多分皆一緒だ。
同様に、成人男子で病的な肥満や怪我人で無い限りは、心肺機能も脚力も差異は誤差みたいなもの。自転車は体力勝負とは言っても、普通の人間に体力差なんて誤差みたいなものという持論である。
しかし、実際には自転車に乗っている人、特に、価値観が速度であるような自転車、ロードとかピストに乗っている人っていうのは、その性能には物凄い大きな差異があるのも事実である。自転車に跨った時の性能差というのは、個人の身体能力の差を遙かに上回る程の幅広さである。
身体能力の差以上に、結果としてのパフォーマンスに差が生まれる、、、、これは何故か?っていうと、それは筋肉の強さとか心肺の強さ以上に重要な要素があるからだ。基本機能を使った上での競技力の差というのは、スポーツの世界では当たり前のこと。
スポーツの能力の差っていうのは、身体能力の差以上に、その知識が必要なのである。スポーツにおいては、知識が全てだ。知識を駆使して方法を見出す。見出した方法を実践する練習こそがトレーニングなのである。だから、体力で差が無くても、スポーツで差が生まれるのは、知識が無いからである。知識が無いから、方法が見えない。方法が見えないから、トレーニングにならない。そんなもんだと考えている。
だから、自転車でも水泳でもだけど、速い人を見ると、理に適った方法を実践出来てるんだな!って素直に尊敬するのである。
理に適った方法を実現するのに、体力が不足していれば、そこを鍛えるのがホントのトレーニングだったりする。理に適った方法を実現する癖を身に付けるのが、動作の反復練習だったりする。そういう細やかな所に配慮が行き届いて、色々と見えるレベルに知識が高まる事がスキルアップなのである。
だから、ブームで見掛けるロードやピストで、全く、それらしく走れずに、疲労や苦痛を訴えて、ぶっちゃけ、ノロノロで遅いのは、、、、、知識が無いと言う事になる。少なくとも、人間としての体力に差異が無いのに、機材を使って差が出るのは、機材の目的に合わせて利用出来ていないという証明ともいえる。
そう考えると、ロードやピストは、それらしく走ってこその機材なのである。別の目的ならば、別の選択がある。そういうものだと思うのである。
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