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2010年10月12日 (火)

エンジニアとしての老化

 先日、講習会に出掛けた。
 話はかなりおもしろかった。でも、結構な割合で居眠りしている人がいた。こういう人を見ると、失礼な話かもしれないが、エンジニアとしては老化しているかな?って感じである。エンジニアとして活力があるというのを年齢によらず、どんな時代でも新しい発想を生み出せる状態と考えるけど、老化っていうのは、新しい発想が生み出せない。或いは、自分のレベルを高めない状態とも言える。

 でも、居眠りさんが多いという例は割と一般的な話。講習会とか学会、、、、内容が面白くなく寝る場合もあるだろうけど、逆に話が高度すぎて眠くなる場合があるのも事実。でも、寝るくらいなら時間を潰して迄、、、って気持ちがあるのも事実。

 そんな学会とか講習会、研究会だけど、以前は、部下や同僚、色々と勉強のためとか、そういう理由で連れて行っていたけど、最近は、そういうことはしなくなった。講習会というと、内容を見て自分で聞きたい内容に限り、個人で出掛ける。学会も然りである。
 まぁ、見付けて出掛けるのだから、個人で出掛けて眠たくなることは基本、皆無である。しっかり聞く。勿論、自分で選んで聞きに行く訳であり、自分にとって畑違いのジャンルは選ばないし、自分のレベル違いも極力選ばない。自分の行っているジャンル、あるいは、自分の理解力を客観的に見て聞ける?って判断したものを選んでいるから当然といえば、当然である。

 チョット脱線するけど、こういう行動をしていると、○○さん、どこへ?って聞かれると、、、、、学会!とか、研究会!って答える。仮に、そこで付いて行きたそうな顔をしても、昔はともかく、今は誰も連れて行かない事にしている。それと無しに聞いてきても直球勝負で答える。内容的には、ついて来て聞く価値が無いからという事。やはり、いろんな話っていうのは、話を聞くのでなく、自身が知りたい事象を調べる情報収集の上で選んだ会合に参加するというのはOKだけど、そういう具体目的無しで、誰が行く学会に付いていくっていうのはNGである。昔なら勉強のため、、、そういう理由もあったけど、学会や講習会で何を知りたいか?という意思が大切で、その会合をどういう理由で調べたか?という本質が無いと無意味という風に考えるようになったからである。
 それと、きついようだけど、会合のレベルには、会合の内容を客観的に見て、聞き手に準備知識があるか?というのはとても重要だからである。
 前述の自身の探究活動の情報収集の一手段としてという意思がなくても、聞くに見合う知識があれば、勉強のため、、、という理由も考えられるけど、どちらもダメなら、やっぱり時間の無駄かな?という気がする。

 自身、自分の探究活動に必要な情報収集のために各種会合に参加するけど、それは自分で調べるテーマがあるから。そして、そんな話を聞くために必要な基礎知識の収集には手間を惜しまないという考えがあるから。言いかえればエンジニアとして老化したくないからだ。基礎を身につけるっていうのは、自分が理解するためというのは勿論、会合において話し手に対して最低限の礼儀としての知識を身につける事が大事という考えがあるからだ。

 一般に小学校の知識の上に中学、その理解力に応じた古い訳の上に高校、その理解力に応じた分別の上に大学、大学院と教育機関は分かれている。上級、専門の知識の習得には、前段の知識を常識として備えるのが重要である。それ故に、実際の研究現場における問題解決に必要な手法とか新しいモノの発見には、既知の知識の絶え間ない習得が必要である。老化というのは、知っている事を忘れるという事だけでなく、エンジニア的には、時代に取り残されて自身の知識や知恵が陳腐化して通用しなくなる事も含まれるように考えている。だから、受験専門で点数をとったら忘れてOK的に過ごす人とか、知らない知識を見ても自分は判らないから、或いは、畑違いだからという理由で新しい分野を拒否したり、、と理解しようとしない人は、エンジニアとして考えると既に老化が激しく進んだ状態とも言える。知りたいという意識が無いから、自分で○○に参加したいという意識も芽生えない。そんな老け切った奴は、連れていく価値は皆無なのだ。

 その老化防止には、やはり、常に時代に合わせた考え方を持てるようにトレンドに接していかないといけないし、自身で新しい事が生み出されるように、知らない世界を埋めていく必要があるだろう。そのためには、未知の世界も知らないといけない。その世界は基本から現場の先端の話迄全てが大事である。未知の今の話を知るには、その分野の基本を疎かにはできない。その話を聞くにふさわしい知識を備える。それが礼儀だと考えるし、それが自身の色んな方面での老化防止に役立つとも考えている。

 特に、考え方が古い!なんて言われないようにしないといけない。歳をとっても時代なりに新しい発想は生めないと、、、、過去のエンジニア、古い奴、、、、って事になる。身体や精神の老化でなく、知識の老化を防ぐのも大事だ。

 最近の新しい家電や製品をして、歳だから判らないとか、若い者に任せる、、、と、メール、ネット、パソコン等々を遠ざける人も少なくないけど、そういうのは、或る意味、知識向上という部分で老化しているようにも思う。必要を感じないから、、、そういう理由で拒否する人も少なくいないけど、やった上で必要性の評価をしていなければ何の説得力も無い。出来る前提で使わないのと、鼻から接しないのは意味が違うのである。

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