オブジェとなるフレーム
先日のフレームネタでは無いけれど、自転車の部品でもフレームは工芸品、その他は工業製品って感じ。フレームは見ているだけで良い気分になる。まるで、壺や陶芸品を見ているかのよう、、、、。
工芸品っていうのは、古くなっても格好いい。型遅れという概念が適応出来ない世界だと思う。
我が家の自転車のフレームを眺める。これって、オブジェになりうるか?
レ・マイヨWのフレーム、、、、ゴミだな。DAHONの2002年、2005年のスピード系クロモリフレーム、、、、これもゴミだ。ルイガノMVFのタルタルーガ系フレーム、、、、面白い形だけど、ギミック満載、、、、ゴミというより、タダの玩具だろう。
BSロードのBSのテーラーメイドのオーダーフレーム、、、、車で言えばカローラのような大量生産品。所謂、大量生産品。長く持つ意味は殆ど無いなぁ、、、、、ゴミとは言わない。オモチャとも言わない。並の道具。洗濯機みたいなモノだ。これは、ラングスターのA1アルミって材質らしいフレームも同じ。洗濯機みたいな白物家電みたいなモノだ。
しかし、、、、ステンレスロードフレームを見てゴミとも白物家電とも思わない。見るだけでオーラを感じる。カタクラのシルクR1/R2のフレームもそうだ。海野D2×D2+ラグレス+ユーテクテックという名目に引っ張られている訳ではないが、素材、工作、作り、、、、BSロードフレームなんかとは次元が違う。フジOSフレームなんか更に違うし、小林ロードフレームも全く違う。世界、次元、何もかもが違う。
オブジェとなり得るのは、この5本(シルクR1/R2、小林、フジ、ステンレス)くらい、、、そんな印象。古くなっても気にならない。古くなったら新しいモノに目移りするようなモノは欲しくない。古くなって入手困難になる程に大事にしたい気持ちが湧き上がる品。これが自分の選択基準。
クロモリだから『しなやか』とか、、、、そんな杓子定規は当て嵌まらない。クロモリでもゴミはゴミ。汎用品は汎用品。勿論、カーボンでもグッと来るのは在るのかも知れないが、、、、モノの評価は一言で括れないのだ。モノなりに良いモノが良い。良いモノの良さを間違って伝えて、一見良さそうなモノが溢れると、ブームは一気に衰退する。
過去のレプリカブームもそうだ。良いモノは良いけど、良いモノを模した良いとは言えないモノが溢れると、良いモノの良さに目を付けた人が逃げる。すると、そこのジャンルには本物を主導する人が消えるのだ。
今の自転車、例えば、コンポに105が良い!ってフラグを立てたバカが居るけど、105が付いていれば良い自転車なんて意識が広まる、、、、アホくさ、、、、クロモリだからしなやかで大人で格好いい?、、、、バカらしい、、、、まぁ、メーカーラインナップを見てもローエンド、5m離れたら上級と区別が付かない、、、、そういうの売ってると、高いモノの良さに拘っていた層が消えかねない。っていうか、既に、減少傾向の筈。
ブーム初期に較べて、一台に掛ける投資金額(購入費+メンテ費)は確実に減っている。これ、レプリカブームの衰退期の兆候にそっくり、、、、、
オブジェとなりうる本物が見える人、、、本物を持つ人が嬉しくなる環境、、、、そういうのが大事なのに、、、、、。
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