歳を取ると拘るポイントが変わる
社内外に拘わらず、業務命令か自主的かに関わらず、本意が否かに拘わらず、取り組んでいる事っていうのは、取り組んでいる人にとって良い結果が出ればいいなぁ、、、って素直に思う今日この頃である。
どんな事でも皆さんがやっている事が成功する。そしてやっている人が潤って、それを抱える組織や社会が潤って、それを配分するというのは実に大切である。潤いが大きいというのは、潤いを与える人が多ければ多い程良いのである。そういう人が多い社会程、社会としては潤うのは道理である。
色んな人がやっている事は、やっぱり上手い具合に行って欲しいモノである。勝手な理屈だけど、近い環境で頑張っている人は、ドンドン頑張って欲しいモノだ。頑張っている人を見るのは嫌いでない。
人生も半分を過ぎると、残り半分を考える。そうすると、やっぱり頑張っている社会の方が安心である。
しかし、こういう気分になったのは四十歳になってから。三十代迄は自分で頑張る方が好きだったし、周りが頑張ろうがどうしようが無関心だった。どちらかというと自分の行動のみ関心があり、そして行動は全てが勝負。勝負なら勝たないと意味が無い的に考えていたけど、四十代になって数年が経過するけど、四十代になってからは自分が頑張る、勝ち負けに拘るという気分は全く無くなり、頑張っている人を見て安心するというか、そういう風に意識が変わった。面白いモノである。
まぁ、歳を取ると、望むモノが代わるからだろう。四十という年齢は人生折り返し地点である。四十代も後半に突入すると、一番欲しいのは、長寿、健康、活力、筋力、持久力、、、、って部分。こういう意識が四十成り立ての時とは明らかに変わった。他の部分(趣味とか仕事、物収集とか蓄財といった即物的な対象)を望む順位が減っているのが自分でもよく判る。自分の体調管理、健康管理、体力維持という金では買えないモノを求める方向に軸足を移すと、三十代迄のような時間の使い方が出来なくなる。今なら、なんとしても毎日3時間以上は運動時間を確保したい、睡眠時間も十分欲しい、、、、となる。
まぁ、今も頑張っているけど、頑張っている部分が大分変化した。頑張って、勝ち負けに拘る部分も性格的に変化していないから当然持っているけど、拘る部分が昔と違って、健康とか体力の部分である。同い年というか、±5年世代に対して、最もパワフル、最も元気、身近な知り合いの中では泳力も筋力も上位に位置しておきたいという拘りがあるのは事実。そのために、やはり頑張って三時間以上のトレーニングを行っている。
正直、今の体力、持久力を得ようと思えば、或る程度の時間が必要。今のコンディションにも満足しているけど、今の状態というのは、ここ十数年休まず続けてきたスイムであり筋トレの賜だとも考えている。今の体力というのは、これまでの行動在ってのモノという自負があるのは事実。後15年もすれば完全にフリーになる。既に就業生活をして20年以上が経過している。15年はアッという間だろう。15年後、自由になった時に自分が好きな事を出来る基盤(体力、健康、若さ)を持っているか?というと、今の状態を維持出来ていれば大丈夫だろうという考えを持っている。老いを考えると、今以上にコンディションを維持するのに時間を掛けなければ無理だろう。今が3時間なら、これを3時間半、4時間というふうに伸ばしていくようなライフスタイルの変化を取り入れる必要があるだろう。リタイヤする前に一日24時間の内で最大4時間程度のフィジカルケアを組み込むには、やはり、時間効率、労力コストを考えて活動する必要がある。そう、その時間を確保した上で、色んな事が出来るには、相応の基盤が必要、、、、基盤を支えるのは安定した組織、社会である。組織の安定には、組織の活力、頑張りが不可欠、、、、ずるい話だけど、基盤が安定していなかったら何も出来なくなるのが現実。
そう考えると、、、、みんな大いに頑張って欲しい、、、、素直にそう思う。俺も頑張って、自分の健康を最大限良好な状態に保つのに労を惜しまず活動するつもりだ。
取り敢えず、あと数年は、月1500kmバイク+月15kmスイムの活動は続けていきたい。今の状態で五十代を迎える事が出来れば、それはそれで幸せだろうと想像する。究極的には六十代を迎えた時に、今と変わらず体力、持久力を維持出来ているという事である。
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