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2010年12月31日 (金)

知りすぎると

 何事でも奥までというか、知らなくても良い事を知ってしまうと、そこで何かを行おうとしても乗り気がしない。そんな余計な事を考えなくても良いと言えば、そうだけど、それでも知らなくて良い事、知らない方が良い事というのに遭遇すると、それを知らずに取り組む時とは、明らかに気分が違う。

 それから、この事とは直接関係無いかも知れないが、自分の気持ちというか、本音というのは、誤魔化しようが無いというのも実感として感じる事が多い。

 この二つの点っていうのは、物事を進める上で心の奥底から楽しめるか否か、満足感を得たか否かで非常に重要な要素となる。

 前者の件については、例えば、なんらかの物作りに携わるとする。作ったモノが本当に良いなら、その真実をアピールして営業し対価、報酬を得るとか、それが役立つ姿に満足感を得るというのは、極自然の感情だけど、作ったモノの真実と公称が乖離している時に、その真実を隠蔽しあり、数値改竄を行って公表したりする姿勢であるとか、本来の仕様と異なる事を自覚した上で黙認して物事を進めるというのは、社会においては、よくある事かもしれないが、その隠蔽行為を加担するような立場では、おそらく自我の中でモラルハザードを起こして仕舞いかねない。

 後者の件では、物事の進捗においては、個人が進捗のステップを理解納得して進めるというのが大前提だが、それを飛び越して、模倣やコピー、真似で理解せず進めて得た結果では、心底から喜べないし、物事を進める上で必要な要素が、他者からの搾取的、盗作的な方法によるモノであったりすると、やはり、出来たモノを謳う上では抵抗感が拭いきれない。

 こういう事を言うと、綺麗事だけでは現実的でないという人もいるだろうが、やはり、こういう事を見る事が多いと、どうしても、その流れに積極的に関与しようという気にならないものである。
 売る側の立場から言えば、例えば、公称値や仕様、検査結果の表現に水増しや改竄、誤魔化しが在ったとしても、それは買い手に安心を与える手段という話しを聞いた事があるけど、これは売り手の都合の表現であり、そのような措置を買い手が望んでいるか?というと、決してそうではないように思う。

 やはり、モノを作ったり、アイデアを生むならば、その真実で正当な評価を求め、市場に評価を問うというのが理想。まぁ、生まれたモノが全て真実で構成されているならば、何の問題も無いし、そこに虚偽や改竄が含まれている事を知らなければ、それはそれで幸せなのかもしれないが、色んな都合による真実以外の要素を知っていくと、なかなか難しいものである。

 アイデアを生む立場では、生まれた何かについての第一印象というのがある。それが、これだ!って確信に近い直感が在る時は結構イイ物だったりするけど、どこか懐疑の念が残る時は、後々問題に苦労させられたりする。
 この第一印象で、これだ!って事は、なかなかあるモノでは無い。更に、これだ!って思っても、その後の苦労は当然あるけど、これだ!って感覚が強ければ、その後の苦労を乗り越えようという気分も大きいモノなのだ。

 そういう、これだ!に巡り会う事が一番大事であり、それで無ければ、欠点を本当の意味で乗り越える事が出来ないものである。
 そんな、これだ!を作る立場に居る事が一番大事なように思う。

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