卑しいのは嫌い
何でも金の話に結び付ける奴。正直、嫌い。
最近では、自分の考えた技術を制限無く公開して分け隔て無く広めるという考え方に対して、特許出願したんなら、最終的には特許取得して利用料云々とか、あるいは、その思想を買ってやるから企業で運用するとか、、、、そういう話を宣う奴がいるけど、アホ臭くて話にならない。金を稼ぐという部分が行動目的の一位になると、狙いや行いが変質する。最終的には利権や権益を守る事が一位になって、行動の本質が見失われたり、順位が逆転したりする。
コレに限らず、安いから買うとか、欲しいモノが高いから、欲しさの程度は劣るけど、妥協して買うとか、自転車や単車で、このグレードを買えば結果が得られるから?という理由を含んで、金で買えるモノに頼るという考え方も嫌い。
金で買えるモノ、、、それって、盗めるモノでもあり、真似る事の出来る程度のモノでもある。
そんなモノ、、、、なんの価値も無い。
金で買えないモノっていうのは、盗めないし、真似も出来ない。金で買えないものというのは、目的に対して手順に従い、矛盾ない理屈で攻め落として手に入れるしかない。そういうモノは、金では買えない。
正直、カネカネ五月蠅い奴は、みんな嫌い。そういう奴は、敵認定である。
金っていうのは行動の対価であり、金の為に動くのでない。行動の対価が金。結果でしかないのだ。
何でもかんでも金勘定、、、、チョット違う。現実論として必要な金があるのも事実だけど、それも金のために動くのでなく、結果が得られれば良いのである。金というのが報酬であるならば、金に見合った行動をすれば良いだけ。沢山の金が欲しければ、それに見合った価値の行動をとれば良いだけだ。価値ある行動=誰も出来ない問題の解決。誰もやった事のない行動。これに過ぎない。誰もが出来る事は、価値が薄い。結果も少ない。それだけ。
文明、文化の話でないけど、好奇心=未知への探求心。未知の探求行動が存在価値。存在価値に見合った行動=大きな報酬。そんなもんだろう。本能に従って好奇心で探求活動を深いレベルですれば、自然と報酬は得られるもんである。
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