見方
思う事。何か問題を片付ける、新しいモノをデザインする、設計する、、、、色んな作業があるけど、身近な組織でその作業の担当者の動きを見ると、殆ど100%の人の行動には、理念というかコンセプトというか、そういうのが見えない。指示に従った作業か、前例の呪縛に捕らわれた作業しか見えない。
作業というのは目的がある筈。目的というのは、現状が抱える問題があるから目的が生まれるという必然がある。目的とは、現状の打破であり、打破すべき現状には原因がある。現状に影響する原因は複雑に絡み合っているけど、統計的な処理と、体系立てた問題解決の理念を使えば、現状に影響する要因というのは見えてくる。その要因の生まれた背景にも、当然、要因がある。
このような問題を探る手法というのは、義務教育から高等教育を学ぶ背景で身に付けるもの。全ての科目は、分野こそ違えど、同じ思想的方向性を持っている。どの分野であっても、その方向性が理解出来れば、分野を越えて喩える事が出来るのが見えてくる。
そうすれば、専門、非専門という意識無しで、色んな事が見えてくる。それで正しい行動指針を見つける事が作業員に求められる資質である。
こういう行動の本意を理解せず、助言に従うのみ、前例や過去に従うのみ、指示をトレースするのみでは、全く意味が無い。作業によって生まれるのは劣化コピーに過ぎない。
思うに、それを見つける力が無ければ、クリエティブな作業を行うには存在価値や資格が無いのだ。
問題を解決するのに、演習的に模範解答があったとして、その記述を理解するのでは無意味であり、その問題を解決する上で大事なのは、手法を選択する事なのだ。模範解答にある解答の指針を決める事が一番大事なのである。その指針が決められるかどうかの価値を見ずに、指針の羅列を納得して問題を理解すると錯覚しているというのが、本人をダメにしている。
前後世代から一回り以上離れた世代を見て、相談を受けたりするけど、その辺が見えていない人が剰りにも多い。
本当の意味で作業や業務が有意義でなければ無意味である。意義を生む作業とするには、作業の指針を己で生み出す事が必須である。それが無ければ、生まれるモノには時間の流れに太刀打ち出来なくなる。そういうモノが溢れれば、言わずもがなの結果になる。どのような現状、結果も、その理由の必然があるけど、その必然というのは、実に単純明快である。繁栄や享受というのは、それに見合ったモノがあるからで、窮乏や困窮というのは、その理由がある。その関連性を正しく見抜けなければ、或る瞬間ではツキを得るけど、必ずや、ツケを払う時が来るのである。ツキとツケは表裏一体であり、それにも当然、因果を含んでいる。
生き残っていくならば、行う作業の意義を考える事が大事である。意義無き行動に意味は無いし生き残れないのだ。
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