同じダイエットでも、、、
同時記述の記事には、ゲームよりリアルが楽しいって書いたけど、リアルな世界の過ごし方でも拘りは持っている。
例えば、ダイエットとか健康とかスポーツとか、、、、そういう面に関して。
ダイエットというと、最近は、短期間で何キロ痩せた!とかが関心の的だけど、正直、そういう数値的な世界に関心は全く無い。何キロ痩せた!というよりも、どれだけ元気か?力強いか?が大事だと考えている。何キロ痩せた?というよりも、体重辺りの代謝がどれだけ大きいか?に拘りがあるのだ。基礎代謝の数値、それを体重で除した時の体重辺りの基礎代謝の数値が重要なのである。
単に痩せた、、、、で、筋肉が無いと話しにならない。筋肉が減って骨+皮で体脂肪が少ないとか、そういうのは全くダメで羨ましくもなんともない。
健康という部分では、十分な筋肉が必要と考えている。しかし、筋肉が多ければ多い程良いか?手段を問わずマッチョが良いか?というと、実は、それも違う。筋肉は多い程良いけど、筋肉の量は生体の機能組成的なバランスを保った上で!という注が付く。
筋肉の量というのは、生体の他の機関、機能とのバランスで与えられるモノという意識があるので、筋肉の量というのは、その量が必要とされる他の機能とのバランスの上の量で無ければ、これまた関心が無い。
荒っぽい話しだけど、筋肉が多い、多くの仕事が出来る事は、筋肉が多くの栄養分、酸素を消費する事が出来るバックボーンが必要。つまり、筋肉の量=心肺の機能と連動していなければ無意味という意識である。
最近の加圧系トレーニングも筋肉を付けるという意味では良いかも知れないが、血流を絞るという行為、そういう状態得られた筋肉は、そういう状態でのバランスの結果と考える方が自然なのである。筋肉に巡る血液が酸欠状態で、、、というのは、血液を送る側の心臓、空気を取り込む側の心肺の能力は、筋肉に繋がる血管が絞られた状態にバランスしているはずであり、筋肉だけ大きく付けても、心肺、循環器系は増強された筋肉とバランスしている事自体有り得ない。
すると、、、、こういう方法の筋肉も魅力を感じないのが正直な気持ちなのである。
筋肉を付けるなら、それに応じた負荷を与え、その負荷に見合うエネルギーや酸素を送る能力とセットで身に付けないと、結局、バランスは保てないし、実際は使えないと思うのである。
更に言えば、実際に筋肉を付ける、身体の機能を高めるにしても、目的に見合わないと、これまた無意味であり、例えば、スポーツが趣味だとすれば、スポーツの動きに見合った身体作りが大事となる。スポーツの動きに見合った身体作りというと、スポーツの動きを考えた時、何が有効か?と言う事であり、それに応じた動きの出来る神経系、筋肉の強化が必要とも考えている。
ということで、最終的に何が出来る様な身体が欲しいか?その身体で何がしたいか?という事が健康作りの一番の理由。それに到達するのに必要な要素を一つずつ手に入れるためには、その理想を適える動きが出来る、それに必要な能力を得るというのが道理である。
ダイエットとか筋トレ、、、これが何キロ痩せたとい事を上げるのでなく、究極には、それで何したいか?が大事なのである。
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