研究の体裁
体裁って言葉も変な話しだけど、研究とか開発って業務を行う体裁というか環境って、どういうイメージだろうか?
自身の経験からイメージすると、、、やはり、そのルーツは大学、大学院の研究室、実験室であろう。計測装置、計測器具、分析装置、、、、そう言うモノが割りと自由に使えて、時間の制約等は無しで突き詰めて探求するのに気兼ね無い体制の事。人員的には、周りにも、行動を共にするスタッフが居て、、、そういうもの。結果は、特許申請に適えば行うが、先ずは学会、研究会で発表、そして、実戦部隊に渡すというスタイル。そういうのがイメージ。
研究室とか実験室というのは、そんなイメージだ。
こういう環境は他に何処があったか?というと、、、、学生時代に会社訪問等で訪れた先で何社かが、そんな印象。印象深いのは出光石油化学姫路事業所の包材研究室がそんな感じ。他には、イーグル工業の埼玉事業所もそうだった。身近な所ではバブコック日立もそう、日本タングステンさんもそうだった。
公的な機関では、よく利用した広島県の西部工業技術センターもそうだ。見ただけの範囲で言えば、東部の技術センターもしかり、市の技術センターもしかり、共同研究施設の旧広島テクノプラザなんかもそんな感じ。
これから就職活動を始める理系学生さんにとっては、こういうのが普通というイメージだけど、こういうのは実は超稀である。
殆どが、研究とか開発とは名ばかりで、兎に角、理屈は後付けで構わないから、真似ても何しても構わないからモノを作って、それを即、商品にするというのが普通。
最初の先入観次第だけど、これって結構カルチャーショックなのである。
今年も面接等のシーズンだけど、人の選別作業は今年は辞退しようかな?と思っている。っていうのも、人を取る時に人の人生を左右する訳で、選択の結果、後悔させる事が在ったとすれば、それに少しでも関与したという部分で負い目を感じるからだ。とか言って、このくらいなら良いかな?的に選んでも、逆の意味で負い目を感じる。
優れた人材を採りたいけど、採る事で若い人を後悔させるのも嫌だし、この程度!って思って採れば、今度は組織の技術レベルを上げるのが難しくなる。フジテレビのタテホコ対決ではないけど、どういう基準で人を選ぶべきか?というのが、決める事が出来ない。
昨年、中国地方の国立大学大学院の生徒で話した段階で、かなり優秀!って人が居たのだけど、同時に、入ったら後悔するよ!って率直に思った事がある。その後者のメッセージを目で送る事しか出来なかったけど、結果的に辞退されてホッとした事があるのだが、あんな気分を味わうのは嫌なモノなのだ。
チョイ前なら無責任に判断出来たけど、最近は、なかなか難しい。
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