こころ
心っていうか、気持ちというか、意欲という質のモノ。これは結構大事である。
趣味にしろ、技術論にしろ、何かを人に伝える時、相手を見てから伝えるかどうか?を判断する。相手の知識が云々ではない。何処を見るか?というと、、、、心というか意欲というか、そういう部分。
腹を割って話すと、何か自分の気持ちの中でスイッチが入ったり入らなかったりする。そのスイッチの入るかどうか?っていうのは、純粋に相手に心、意欲があるか?という点で判断する。
聞く準備をしていないとか、聞きに来た意識に意欲が伴っていないとか、楽して何かを手に入れたいとか、、、、、そういうのは、一発で見破る事が出来る。そうなると、、、、分野、ジャンル問わず、聞き手が上司、部下、経営者に関わらず、何にも教えないし、話したくなくなる。
自分の場合、人を判断するのは簡単には判断しないけど、コイツは聞く心を持っていない奴とか、聞くに相応しい準備をしていない奴と烙印を押したら、一生、其奴には何にも話さないようになってしまう。これは、自分でも欠点だと思うけど、性格だから仕方ないのだ。
今、新しい技術の話を同業他社には、対面ならば何の隠し事も無しでフルオープンで話をしているが、これは、相手の心を受け入れているから。もっと言えば、生意気だけど、聞く準備をしていると認めたからである。意思、意欲を感じ、それに見合った準備をしてきているからだ。
しかし、この技術、社内の設計部門のトップが見せろと言って来た時には、実は断ったのだ。理由、、、、、コイツの意思を感じなかったから。来た理由、、、、それは、経営者に言われたから来たという程度のお遣いレベルの意思しか感じなかったから。そう、身内だろうが何だろうが、ダメなモノは駄目なのだ。
話をするかどうか?それは、聞き手に心や意思、意欲があるか?礼儀があるか?という点次第なのである。エライとかバカではなく、聞く意欲があるか?それを知るために、その人なりの努力やトライをしてきたか?が大事なのだ。各人毎の行動の蓄積の度合が、言ってみれば、礼儀にも相当するのである。何にもせず、楽して答えを知りたいっていうのは、言ってみれば礼儀知らずである。そういう奴は、正直、、、、合わない。
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