デモンストレーションを行ってみて
今日も無注水軸受システムの見学と理論の説明に業界のエンジニア数名が来社された。
1月から2月にかけて、結構多くの方が尋ねて来られた。理屈に関しては概ね通じた様子。システムとしても完璧に動作し、試験に供している物も何の異常も無く完璧に機能している。
デモンストレーションは、荷重を掛けた状態での無注水運転を行うのだが、何度も行っていると伝える側としては感動が無くなってくる。ホントいえば、かなりの長時間のドライ運転というと、驚くべき事なんだけど、今となっては当たり前にしか見えない。麻痺状態だ。
デモンストレーションを受ける側の意識としては、それが出来ると言う事に驚いているような感じだけど、伝える側の意識としては、話をしながら内容は何処まで伝わっている?とか、賛同頂いている?と言う部分が主な関心事。
自己採点としては、今日は80点くらいだろうか?もう少し判りやすく説明できたかな?という気もする。
最近、人に話をする事が多いけど、、、、、やっぱり、礼儀のある人達に話しをするっていうのが楽しい。直感的、感覚的に、自分は人に話をするのが好きなんだと改めて自覚した。
塾の講師時代を思い出すと、判りたいという意志の強い生徒には何処までも付き合って教えていた。当時、夕方6時から夜10時までが授業。その後の補習では、希望者がいればエンドレスで教えていた。勿論、深夜時間帯になると危ないので家迄送り届けるというスタイルだったけど、そういう方法で勉強させていても全く苦痛で無かった。
他にも、塾の生徒への宿題は、生徒別に違う宿題を与えていた。それ自体手間だけど、そうする事が生徒へのベストと思って行ってきた事であり、それ自体は楽しかった記憶がある。
実際、子供達にいろいろと教え、子供達から色んな反応が返ってくると、その反応自体が楽しかったのを思い出す。
印象的なのは、複数の塾で講師をしていたけど、ある塾を辞める時に、当時受け持っていた生徒が実家に集まって辞めないで!って御願いに来ていたと言う事を実家の親から聞いた事があるけど、そういう風な人間関係が出来るまでの付き合いっていうのは、やはり悪くないもの。
そういう人間関係というのは信頼関係であり、人間関係というのは鏡みたいなモノ故に、こちらの意欲に相手の意欲が共鳴して築かれるもの。共鳴できるかどうか?というと、話のネタに対する真摯度、真剣さの度合が同じというのが大事なのである。
最近の新技術の解説と反応では、そういうシンパシーを感じる事があるけど、こういう瞬間や出会いは大切にしたい。そういう世界で生きてこそ、ナンボという気もする。
まぁ、これを裏返して言うと、人にしろ組織にしろ、そういう共鳴が出来ない世界というのは辛い。教えて貰って当然的、やっても判らないから、人の話は聞かないから的な世界で話をするときほどバカらしい事は無い。大事なのは共鳴する関係。共鳴するには意識レベルが同じ、望む方向性が同じ、そういうモノ同士でないとダメだ。方向性もレベルも違うと無理。エライとかバカでなく、望む方向が同じかどうかと言う事が大事。なかなかそういう世界には巡り会えないものだ。やはり、学生時代行っていた塾、、、、アレ系の商売が性に合うようだ。
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