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2011年3月12日 (土)

原発の事故状況を見て、我が先行待機システムを思う

 福島原発、ドツボになっているような感じ。危なっかしい。

 午後三時半には原子炉の建家が吹き飛ばされている。なんでも減圧処置を講じて、冷却用水の給水中の出来事だったとか、、、映像を見て思ったのは、爆発しても火が出ていない。爆発のタイミングが給水作業と前後してとの話。一瞬、水蒸気爆発?って気がしたけど、正式な発表は為されていない。その後の経過としては、避難エリアが半径20kmに拡がっているので、状況は悪化しているのだろう。悪化した状況を改善させるには、そこに到達して処置しないと出来ないけど、実質、それはかなりのリスクを伴うもので、その作業自体が不可能なようにも思う。それでも、最善の策を講じるために諦める訳にはいかない。非常に深刻な状況である。

 ところで、日本各地に原発が建設されているけど、その場所は今回の事故が起きた場所同様に、漁村等ののどかな集落ばかり。暗に、今回のような状況で人的被害が甚大になるのを避けるという意識が働いているんだろう。
 使用済み核燃料の地層処分でも人口密集地外で計画されているけど、結局、リスクを感じるから、このような事になる。

 テクノロジーの粋を集めても想定外はあり得る。想定外を想定するのに、何処まで必要か?というと、非常に難しい問題だけど、危険に対して防御が、終末的に破壊を抑えきる事の出来ないモノは実用に供するべきでない。本質的な防御システムというのは、安全率とか、そういう言葉で安全のフリをするものとは違う。

 こんな危険な事態で私事を出すのは不謹慎だが、現在行っている無注水起動摺動システムは、実は三世代目である。最新モデルは第三世代のシステムだけど、前世代の第二世代のモデルは、この安全という面で大きく異なっている。

 前世代のモデルは世間でいう安全率を謳い安全をアピールしてきた。どういう事か?というと、無潤滑で受ける条件を与えて、その条件で耐えられる時間の限界をこちらの都合で決めてきたと言う事である。ユーザーの条件の何倍なら大丈夫ですよ!という論理で作ったシステムである。
 しかし、最新の第三世代システムは、何が起きても壊れようが無いというシステム。そもそも、自然科学的、熱力学的に、無注水で運用する事が本来の使用法というスタイルのシステムだからである。つまり、無注水という条件、時間に制約は無いのだ。実際、そういう運用を行っても何も異常事態を示さないのである。

 多くのエンジニアの言う、安全率、、、、これって都合の良い言葉である。売る側が売るために謳うだけ、、、、こんなの意味無いのだ。

 安全率には想定値に対してという注釈が付く。想定値自体の根拠があやふやである。その辺を理解する人が少ない。

 安全の定義は、本質的に破壊に向かうか否か?で判断する必要がある。本質的な破壊に進む程、破壊要因を緩和する論理を生み出さないとダメなのだ。

 エンジニアとしては、原発関連のような知見を持ち合わせていないが、自分のテリトリーの中で世の中に出すモノには、少なくとも、こういう自覚を持って取り組みたいものである。

 少なくとも、人命に関わる製品としては、安全の定義に絶対性を付加させなければならないだろう。

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