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2011年4月15日 (金)

試行錯誤?

 何かを学ぶ。色んな人に学ぶ。学んだ先で教わった事を選り好みして気に入った事ばかりする。それを組み合わせる、、、、、これって、試行錯誤って言葉を使うか?これって、自分の考えで試行錯誤して実行しているっていうのだろうか?

 それは多分違うだろう。

 試行錯誤っていうのは、要は試行しているのだ。行動しているのである。行動するには理由がある。つまり、目的が在るはずだ。目的があるというのは、現状に不満を抱えているということ。その不満を解消する取り組みを、幾通りか挙げて、それを選択しては行う。その繰り返しの事を試行錯誤という。

 この試行錯誤で大切なのは何か?というと、目的を定め、それを適える方法論を幾通りか見出して、行った結果を評価する。その過程で、目的を定める部分、方法論を見出す部分、評価する部分、それには、必要な知識と論理が必要であり、精度良く、効果的に答えに近づくには、豊富な経験、知識、論理が在る程望ましい。しかし、その知識っていうのは、むやみやたらというのでなく、好奇心を晃かにするために使うというプロセスに従って身に付けなければ、何の役にも立たないのだ。

 身近な所に、闇雲に中学の教科書を勉強しているけど、何も出来ないという奴がいる。そいつは、勉強の仕方も変だし、試行錯誤というのを、他人の行っている様を手当たり次第試しては諦めるという事と勘違いしているからだ。

 勉強の意味も見えていないし、目的自体も見えていない。多分、一生答えに到達しないような感じ。

 そもそも、色んな事を学ぶのに、先輩、上級者に教えを請う場合、教わった事を選り好みしたり、その内容を別に相談したり、或いは、指示された事を嫌うという姿勢が人間として間違っているのである。
 誰かに聞く。聞いた相手が教える内容というのは、相手の経験に基づいた話。その話の延長が自分だという自負から教えてくれるのに、言っても選り好みして聞かない事があって、何時までも出来ない!出来ない!と宣うのはナンセンスなのである。

 こういう奴に限って、同じ間違いを永遠に繰り返すのである。何か一つを不注意で壊したとしても、その壊れた理由を外に求め、運のせいにして同じ事をする。それは試行とは言わない。同じ事を繰り返して、同じように壊す。全く試行錯誤していないのだ。一回壊したら、壊れないように工夫するのが人間である。普通は、同じ過ちを繰り返し、そして、我が身の愚かさに気付き、本当の意味で物事を習得しようと取り組む。それが勉強の起点である。意味もなく、問題集の答えが当たるように公式を覚え、昔の教科書をめくる事が勉強ではないのだ。

 今日、久々に話をして、、、、何も変わっていないなぁ、、、ってしみじみと思った。

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コメント

コメント有り難う御座います。この問題は、日本の社会か民族性も関係あるのかも知れません。改良や改善は得意だけど、最初の一歩を見つけだせない。前例に則ったモノには対応可能だけど、前例が無いと当て嵌める事が出来ない。
物事の解決に、推論的手法が採れず、エキスパートシステム的な統計的手法しか使えない、、、、

欧米各国を追う事で発展は出来ても、抜く事が出来ない、、、。欧米で生まれた技術を使う事は出来ても、その次が無い。欧米の体験していない事が対処出来ない。

何かを生み出すっていうのは、エライ、バカではなく、子供から学生、社会人に到るまで、それぞれの段階で、それぞれの環境で閃きがあるかどうか?閃きというのは、未知が見えるということ。過去の蓄積そのままでなく、蓄積を昇華しないと無理。

そういう閃きというか、発想力というか、それが重要と思います。
個人的には、人間というのは歴史を積み重ねる生き物であり、歴史を進化させてこそ存在価値があると思います。それ故に、小さな事でも自分が歴史に何かを付け加えるのが大事で、そうするために成長するとも思います。

歴史に付け加えるという意識というか義務感なくして、人に非ずというと言い過ぎかも知れませんが、自分はそう考えています。

投稿: 壱源 | 2011年4月16日 (土) 00時36分

それは重要な指摘ですね。まずチューリングテストのようなものが理解したかどうかの判断基準かなと考えてました。コンピュータと人間を区別するテストはマニュアル人間と自分で考えている人間も区別できるはず、、、要は対話ですね。サンデル教授の授業のような対話。言われてみれば、それは、判断基準としては弱いですね。更に上の基準は問題解決能力(と問題を見つけ出す能力)があるかどうか、と考えてましたが、これも確かに巧妙なコピー人間ならばサンデル教授を欺き、問題解決能力も過去の問題解決法をコピーしてクリアーしてしまうかも知れません。

日本社会の不幸は、そういうコピー人間でも合格できる試験制度があり、エリートになり、政治家になり、もてはやされているからかな、という気がしてきました。美辞麗句を多用して締めてしまう、、、法に則って適切に処理しています。総合的に判断して、、原子炉は5重の安全装置で守られてるので絶対安全、、云々。

投稿: とおりすがり | 2011年4月15日 (金) 17時34分

理解出来たか否か?それは、自分がそういう気持ちになれたかどうか?ですね。
理解出来たかどうか?というのは、詳細を覚えているとか、知っているとかは関係無く、自分で行動する時に、自分で何をするか?が決める事が出来るかどうか?問題が起きた時に、自分で取り組む気になるかどうか?では、無いでしょうか?

勉強の意味は、人生で遭遇するであろう個々の問題を個々で対応出来るようにする事ですから、自分の意志が発揮出来るか?が全てのように思います。

他人の真似の繰り返しというのは、勉強出来ていない裏返しかな?と思います。

投稿: 壱源 | 2011年4月15日 (金) 07時57分

そうですよね。人に聞く、本を読む、、、これ全て自分の言葉に直して自分なりに解釈しない限り無意味。数学にしたって同様、自分なりに理解しなおさない限り理解したとは言えない。

しかしですね、知識を他人にひけらかす、自慢する事だけが最終目的になっている人も多い気がします。分からない部分は公式を丸暗記する、分かったふりして偉い人の理論を丸暗記。その場合、彼らは自分なりの理解度は0~数十%まで分布しているような感じで人生を送っている。多分、少なくとも7割くらいは自分の言葉で理解していないと上のような”奴”になるのでしょうね。これじゃ自分で考えられないから、、、

投稿: とおりすがり | 2011年4月15日 (金) 00時41分

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