自意識過剰かな?
80年代のレプリカブームの時、峠にたむろしていた頃、よく話しかけられたり、パーツショップや、ガソリンスタンド、コンビニ等で峠に出入りしていたような人からサービスを受けたり、或いは、単車で市街地走行中に信号待ち等で話しかけられたりする事が多かった。
単車時代では、RZ350R、RG400/500ガンマ、XZ400Dに乗っている時にそういう事が多く、それ以外の単車に異なるメットで移動している時は、少なくとも、そう言う事は無かった。
最近は、自転車に乗っていると、やはり見覚えのある人から頻繁に話しかけられたりする。
自意識過剰なのか?とも思う一方で、同じ曜日、同じ時間帯に継続的に続けて同じ場所に出没すると、もしかして覚えられているのかな?という気もする。違う格好、違う自転車に乗って同じ場所に出掛ける場合とは、明らかに出会う人の応対が違うような気がする。
人の記憶の中に残っているのかもしれない。どういう風に思われているか?というのは、全く不明だけど、話しかけられる会話、或いは、追走を受ける状態から感じる上では、敵意は感じないのは確かだ。
まぁ、こういう風に見られているという意識があると、同じ場所での行動パターンから走るペースから何まで、非常に変え辛いのである。一方で、折角印象づけたであろう状態を壊すのも抵抗がある。それ故に、ピストならアルミポリッシュフレーム+DHバーというラングスターに拘りたい部分もある。そして、そういうバイクに乗っている時は、誰が居ようが居まいが、やはり短距離全開のTTモードで走り続けたい気になる。ラングスターに乗っている時は、流して走るという事は、何故か許されないような気もするし、、、、そんな感じ。
こういう風に思うっていうのは、性格的な理由だろうなぁ、、、、。
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