« 製図 | トップページ | パソコンを利用する側の備え »

2011年5月 1日 (日)

やらかしたか、、、

どれだけ、、、、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110429-00000536-san-pol

学者に学者生命が終わるとまで言わせるような状況、、、、、辞めるのが誰?っていう部分で大きな間違い。

教授が辞める前に、首相が辞めるべき、、、、参与を集めて、参与から『何を言っても無意味』と評価される首相。結局、判断+実行を首相の独善で決めて、身内からの提言の判断して実行出来ないというのは、機能不全の組織乱立が証明されたようなモノ。

ホンマ、人間か?

|

« 製図 | トップページ | パソコンを利用する側の備え »

コメント

こんばんは、コメント有り難う御座います。
日本人は、模倣、追従なら力が発揮出来るけど、先導して開発するというのが苦手な事に通じますね。
前例が無ければお手上げ、、、考える力が無いのは、過去を紐解き未来が読めないということ。未来が見えない、見る力がない、、見る方法を持っていない、、、どれかでしょう。多くの人が、そういう事を想定していないから、そういう場面で判断が出来ない。それが今の政府にも象徴的に現れているようです。

投稿: 壱源 | 2011年5月 1日 (日) 23時06分

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。
災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。作る暇がないからである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2011年5月 1日 (日) 05時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: やらかしたか、、、:

« 製図 | トップページ | パソコンを利用する側の備え »