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2011年8月27日 (土)

何でも偶然、取り敢えず模倣、、、、ダメだろ。

 事故原因を偶然とか、、、、対策を模倣とか、、、、そういうの身近に聞くけど、違和感アリアリ。

 持論だけど、基本的に偶然っていうのは卑怯者の言い訳。

 事故とかトラブル、、、、これは、起こるべくして起こる。そういうもん。原因があるから因果に従って事故に至るだけ。それだけの話。事故に至るか、至らないか、、、それは、破壊因子が耐力を上回ると必然的に表れる症状に過ぎない。

 行動を起こす、、、、これも、行動には目的がある。目的というのは理想がある。理想を適えるに必要なのは理路整然とした手順である。それに従って筋道を辿れば理想に到達する。そういうもの。大事なのは目的であり、目的というからには具体的な理想像がある。それを手に入れるための手順に従えば万事解決なのである。

 事故対策で結果だけ見る、、、結果に割れがある、、、そうなると強度アップで対応する。結果に焼き付き、、、、これには焼き付き防止で対応する、、、、、こういう系統の対策は基本的に対処療法。何故に、そこに至ったか?を理解した上でなければ、強度アップを何処までやればOKとか、摩擦係数低減を何処まで図ればOKとか、そういうのが見えない。結局、継ぎ接ぎなのだ。こういう対処療法を施しすぎると原因が見えなくなる。事故対策に大事なのは原因究明なのである。因果を突き詰めなければ答えは見えない。

 何かの行動を起こすにしても然りである。ライバル企業が素晴らしいモノを作っていたとする。それに負けないために、そのライバルと同じ製法、同じ材質、、、、、それで作る。方法論を真似て作る、、、、果たして、結果に行き着くか?というと、それは違う。方法論というのは選択肢であり、目的に至るための選択の一手に過ぎない。その一手を取り入れて同じ結果になる、、、、そんな事は有り得ない。それは、流行の自転車で高級なロードレーサーに乗ったら速く走れると錯覚するメタボオヤジと同じである。

 因果関係、目的意識、、、、そういうのが大切。それを筋道立てて自分の問題の解決法を起案するために、人は勉強してくるのである。過去の知見を知識とし、知識から未来を推論する術を学ぶのである。知識と論理の展開の術を身に付けて初めて自分の問題を解決し、自分の理想を適える事が出来るのである。そのために、学習し、知識と論理展開の手法を身に付けるのである。そういう手順無しで、抽象的な勉強とか詰め込みとか体裁を整える事ばかりやってきた奴に、そういう力は備わらない。結果、、、、、問題は永遠に解決出来ず、理想を掲げ新しいモノを生み出す力も発揮出来ないのである。

 この辺の事を気付かせるのが教育である。これは自分の経営していた塾でのコンセプトとしていたけど、こういうものの抜けた教育を受けてきたとすれば、点数だけ、結果だけ、合格だけ、、、、それで終わったら忘れる、、、、学習とは暗記、、、、、そういう輩ばかりとなる。そういう輩は、正直に思う。少なくとも、自分の手足にも戦力にも成り得ない。そういうもんだ。

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