転機を逸すると、、、、
これまでに、生活のリズムと将来設計の記事、その生活リズムを作るに到った転機の記事を紹介したけど、健康診断数値では悪いものの、実感として不調を感じない時に何故に転機を判断してライフスタイルを変えたか?を紹介してみたい。
人間、誰しも不調を感じないと、不具合を察知出来ないモノ。ホントは、不具合を感じた時には既に手遅れなんだけど、それに気付かないから重症化、慢性化するのだが、、、、
そもそも、人間って種族である。身体の構造、耐力なんて皆一緒なんである。つまり、一般論で言われている老化、疾病、、、というのは、同じ社会で生活していたら誰もが等しく晒される障害なんである。自分だけ特別、、、、それは無いのだ。人間が、虫や動物を種別で判断するように、人間も皆一緒なのだ。
ということは、色んな世代を見れば、自分の未来が想像できるのだ。
で、サラリーマン生活を十五年過ごした不惑前の自分が周りを見て、、、、、因みに、不惑前のサラリーマン生活の過ごし方、、、、二十代では最速の昇給を目指し蓄財第一が価値観、三十代では安定した生活基盤を作り最小限度の労力で必要な財力を保つが第一の価値観だったけど、その節目で周りを見渡して気付いた事、、、、、
当時の先輩社員を見ると、、、、、脳卒中、脳梗塞、高血圧、胃ガン、肺ガン、胃潰瘍、うつ病、糖尿病、緑内障、、、結果を羅列すると、山中で自殺、癌で他界、宗教に走ってしまうとか、、、現在の職場の先輩管理職でも胃ガンの再発で戦って退職した人、同時期に昇進した管理職では脳腫瘍で他界した人、、、、数えると、両手の指では足らない程の人の顔を浮かぶのだ。
職場に限らない。趣味関連の友人(二輪車関連のショップを営んでいた人)、先輩は、一方は肺気腫の悪化、一方は急性白血病で他界した。
転機となるべく時期をスルーして転機を作れなかった後輩を見ても、慢性疾患が確定した人もいれば、極度のストレスが原因と見られる鬱症状となった人も居る。恐らく、かれらは、そうやって一生過ごさざるを得ないのである。
共通しているのは、みな生活に転機を作る事が出来ず、命を削って生活した結果なのである。
人生四十年が節目、そこで発症するのは、それまでの四十年の内の20年程の不摂生や無理の蓄積が身体の耐力を越えた状態に到るから。多くの人は二十歳過ぎで社会に出る。その後の二十年弱で無理が蓄積し、疾病の慢性化、重症化、不可逆化に到るのである。それが、世間でいう生活習慣病なのである。これは人間の宿命なのだ。
この異常自体には十数年以上の不摂生の蓄積であり、普通に考えるとコレを回復するには並大抵では無いのである。この並大抵でない生活リズムの再構築が実行するかどうか?というのは、それを重大な転機として捉えるかどうか?に掛かるのである。
重大な転機というのは、周りから伺える人間が加齢して転機を迎えずに過ごした人の結末を我が身の未来として捉える意識が持てるかどうか?なのである。
転機を逸したら、、、結果的には、身の回りにいる多くの先人(笑)の如く、画に描いたような不健康と老化によって生活を歩まざるを得ない。結果、どうなるか?
生き甲斐は組織にしか見出せなくなる。つまり、組織=人生となる。組織を離れてどうなるか?人生が抜け殻になる。その時は、組織も無ければ、本能で選んでいた筈の自分の嗜好を実践出来なくなる。結果、、、、、ギャンブル、酒、、、、或いは、趣味の選択肢が大幅に限られる余生で過ごさざるを得ないのだろう。
人生は八十年、、、、その半分の四十を迎える直前というのが、その後の自分を整えるための転機なのだ。転機を逸すると、、、、、個人的な意見としては、それは自分の自己表現が自分の本能的意識で選んだ事が出来なくなると言う意味で、機能喪失個体となると言わざるを得ない。
普通に生きていて、過去に出来ていた事が出来なくなる程寂しい事は無いだろう。人間として一番悲しい言い訳、、、、『若い頃は、、、』とか『昔は、、、』というセリフ。そういうセリフはホントの晩年を迎えた人だけに留めるべきだろう。少なくとも、還暦前というのは、そんなセリフはナンセンス。還暦前に機能を喪失する程に馬鹿くさいことは無い、、、、これは自分の考え方。
まぁ、背景としては、自分は死が怖いのだ。身体の異常が怖いのだ。癌とか糖尿病とか、、、、そんなのは絶対に嫌、、、、、なんたって、死への近道みたいなモンだから、、、、、そういう癌とか成人病とか、そういうのを極力遠ざけるには、身体内環境を可能な限り健全な状態に保つ事。それが自分の生活リズムを守る背景にあるのだ。
転機を逸すると、、、、間違いなく、死が近づくのだ。不惑を過ぎた連中で転機を作れないと言う事は、間違いなく、死のリスクが高まっているのだ。死、、、、これは嫌だな。
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