円高対策
最近の円高傾向は終息の兆しが見えない。
円高になったら、モノが売れない、儲からない、、、、こういう声を製造業を中心に良く聞く。
これに対して、マスコミ、メディア、識者は何というか?
付加価値を付けて競争力を高めろ!とか、合理化を進めてコストダウンを実現せよ!とか、当たり前の事を当たり前に言っている。
そして、日本の中小企業の凄さということで、精度が高いとか、品質が高いとか、そういう事を紹介したりしている。
これって、実にあほくさい。
当たり前すぎて、伝える価値も無ければ、提供する情報に価値があるか?というと、価値は無いだろう。
付加価値を付ける方法で、高付加価値で、、、なんて話がある。実に馬鹿クサイ。
2010年正月の頃のデジタルテレビの開発で東芝の超高機能テレビに生き残りを掛ける!なんて話があったけど、、、、悲しくなってくるし、そういうプロジェクトに参画させられたエンジニアを思うと気の毒で仕方ない。
誰がテレビに百万円以上を投資するか?
そういうことである。付加価値=オーバーデコレーション、、、、これは有り得ない。どんなに高機能であっても三百万円の軽自動車は誰も感心無い。どんなに上手くても十万円の牛肉なんて商売として成り立たないのだ。
最近の中小企業の製品作り、精度云々の話があるけど、遣われる機械がメンテされない発展途上国の車の部品だとして、そこに高級車並の装備に必要な精度が部品に必要か?っていうと、不要だろう。
最近の付加価値という部分で日本企業、日本製造業の取り組みを見ると、、、、オーバーデコレーション、或いは、場違い、、、、そんなチグハグ感があまりにも多い。
必要なのは、金を掛けず知恵を掛けて安価に、尚かつ、使うターゲットの求める機能を提供するということ。言ってみれば、源流主義的に天才的な発想で仕組みを考える事が大切なんである。バカの一つ覚えで機能を追加するのではないのだ。従来と同等以上の機能を従来とは違う原理を駆使してシンプルに実現し、それを新機能として提供するのがベストなんである。その機能を構成する要素には、極力コンベンショナルな普遍的な手法で為すというのが求められている。
必要なのは、マーケティング、それから、源流主義的な開発なんである。マーケティングを無視した、何でもアリ的な機能付加ではコストダウンにはならないのだ。
源流主義的な開発に必要なのは、自然界の原理現象の等価性、相似性、普遍性に気付き、それを水平展開して新しい仕組みを生み出すという発想の水平展開力と、発想の通用可否を読み解く推論する力なのだ。これが無い人間は、日本国内で従事すべき設計開発業務に携わる資格が無いといっても過言ではない。
| 固定リンク
コメント