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2011年9月 6日 (火)

子供の遣い

 作業報告を受ける事があるけど、普通に聞き流せる事もあれば、苛っとする事もある。
 聞き流せる時というのは、事実+事実に基づく分析をセットで報告受ける時、しかし、苛っとする場合は、事実の末端の結果だけ言ってくる奴、、、、これは、正直、凄いフラストレーションを感じる。『○○が止まったんですけど、、、、』、『○○が動かないのですけど、、、、』、、、、、こういうタイプの報告は正直、ムカツクというか、苛つくというか、そういう感情を覚える。特に、指示計の表示=指示元の動きという直結したような話をする奴なんかは、チョット、捨ててしまいたくなる。指示計の表示の異常があれば、計測の異常か、動作の異常かくらいの報告はして欲しいモノだけど、指示の異常の報告しか出来ない奴を見ると、クビを締めたくなる。

 こういう報告しか出来ない奴との会話っていうのは、会話の隅々に何も考えていない感が伝わってくる。質問されても、質問される話の内容自体に考えた形跡が感じられない事が多い。
 こういうのは、今迄、どういう経緯で生きてきたの?って思う事がしばしばある。

 話をしていても、話の内容が最初から180°変わる事は日常茶飯事で、話の流れで、数日前、数ヶ月前、数年前に話した内容を引用して説明しても、初耳とかいって記憶に無いとの返答が多い。そんな筈はないと、その時の話の流れを説明して初めて、『そう言えば聞いたような気がする、、、、』なんて言われると、、、コイツ、人の話を聞いてないでしょ?って思ってしまう。
 これが繰り返されると、なんか質問や疑問に対して説明するのも馬鹿くさくなるというか、そういう感情になるのである。

 見たまんましか言えない奴っていうのは、子供の遣いどころか、犬や猫の躾レベルのように思う事がある。

 まぁ、これに限らない。

 先週は総務の上級管理職と話しをしたけど、彼の疑問というのは、解析ってどうなん?って質問。

 解析で答えが出るか?解析で新しいモノが生まれるか?全ての問題が解決するか?という直感的な疑問と危惧が、質問に至ったんだろう。

 それに対する回答、、、、、解析するから大丈夫的な対応では、、、、、、それは殆ど意味がないというのが感想。

 モノが壊れる。壊れた状況を解析して補強して改善する、、、これが、解析で物事が進むと信じる側の論理だろうけど、その論理自体に破綻があるのを気付いているのか?というのが意見。

 それに対する回答は、総務の彼には説明したけど、大事なのは、その回答を理解しないと色んなツールがあっても役に立たない。っていうか、問題を複雑にするだけである。そういうもんだ。ツールの使い方、、、、それは、結果から編み出したアイデアの正当性を帰納的に証明するために利用するというのが本来の姿。つまり、解決するのはツールでなく自分の頭を使うのだけど、その手順を理解しないと、、、、、それが判らないようだとダメダメである。

 何れにせよ、どっちの未熟さの根底は、何かを利用すれば、それが問題を解決してくれるという、モノ依存的な考え方に支配されている。モノや道具、ツールは解決してくれないのだ。解決するために必要なものは別にあって、それを実現するために、利用するだけの話。道筋が示せないでツールや道具が結果を導いてくれれば誰も苦労しない。
 ロードに乗れば速く走れるとか、ビンディング付ければ引き脚完璧とか、ある構造を使えば性能が上がるとか、、、、モノ主体主義が剰りにも目に余る。

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