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2011年9月18日 (日)

町工場での過ごし方

 円高で心配、、、、そういう奴が居たけど、勤務先のように町工場だけど輸出が多い企業では、どんな風に過ごしたら良いか?という問いに対して、、、当然、前日の楽観論の上での話。あまりにも甘い予測ともいえるけど、、、、

 この仮定、勿論、全ての町工場には該当しない。相談者向けの話だ。この町工場であっても、顧客が巨大企業、巨大企業の製品の中で金額では1%程度だけど、絶対必要不可欠なモノを作り、そのモノのマーケットの大半を抑えているような企業環境での話。尚かつ、同業他社の生産能力の数倍以上を誇るという条件での話。

 こういう環境では、円高による値下げ圧力は当然作用するけど、限度以上で受注を控えたとしても、代用が無い訳であり最終的には仕事が来るモノである。つまり、円高でも他社との激しい価格競争に晒されても、その厳しさは家電、自動車のような業界とは異質。最終的には仕事が来るのが強いのである。
 そういう強さで円高の厳しさというのは、レートの絶対値以上に受注時と決済時のレート差による差益、差損が経営に大きな影響を及ぼす。まぁ、それでも仕事は無くならない。過去の為替変動を分析すると、円高傾向と円安傾向が繰り返しやってくる。そして、円高傾向期間の0.8倍が円安傾向期間である。円安傾向期間が為替差益を享受出来る時。そして、今回の円高傾向は過去最長の5年となっているが、当然、その反動も来るだろう。そういう意味で、円高であっても受注を抱える事で差益を得る可能性は低くない。

 なんにしろ、安泰であり、気にする事はない。やはり、競争相手の居ない業界というのは、マーケットを抑えれば実に心強いのだ。勿論、円高による利益の目減りはあるけど仕事が無くならないのは非常に心強いのだ。

 そんな競争相手の居ない業界でシェアを抑えた町工場のすべき事、、、、競争する世界に参入しない事。見栄を張って背伸びしない事。利益を無駄にしない事なのだ。言ってみれば、在り来たりだけど、コストダウン、人件費圧縮こそが生き残る全てだ。
 色気出すべからずなのだ。競争する世界に出て行くにしても、競争慣れしていない組織では太刀打ち出来ない。競争の必要性が無いから、新しいモノを生み出す事にも慣れていない。冒険はやらない、、、これが大事。
 つまり、この会社では、新規事業とか研究開発というのは禁句であり行うべきでないのだ。更に、競争相手が居ない市場と言う事は、他社から見て参入のメリットが無いと思われているのだ。そういう業界だから、拡張的設備投資は無駄以外の何ものでもない。参入メリットが無い市場では、設備投資は抑え、資本圧縮して生産能力維持を図るのが正攻法だろう。

 逆に言えば、拡張的設備投資(工場増築、新築・・・・)や、新規事業参入の色気を出す内は、企業は切迫環境には無いということ。正に道楽しているのである。安心しても良いとい証明でもある。

 危機的な状況では、資本縮小、事業縮小が感じられた時、、、、そうでない時は安心なのだ。

 こんな企業で仕事をする。仕事と言っても研究のような定型外業務をしたい!?それは、基本的にナンセンスである。新規事業に挑戦する土壌が育っていないから、方法論が組織として根付いていない。そういう行き当たりばったりなプロジェクトには参加しない方が無難。そう言う事は望む事がナンセンスである。ルーチンワークを嫌がって非定型業務を希望するとしても、間違っても研究開発を望んではダメ。兎に角、すべきは、研究開発に非ずなのだ。

 具体的には、こんな町工場で非定型業務を行うとすれば、既存業務の効率化、、、、コレしかないのだ。これは、経験談に基づく話。自分は企業内業務の請け負う項目を、こういう方針変更をしたのが十年前。十年前迄は新製品、新技術開発を希望していたのは否定しない。しかし、1999年以降は、新規事業を町工場のために行うのは辞めた。町工場で非定型業務で給料を貰うなら?と考えた末に、定型業務の所要人員削減のシステム開発とか、購入原料15%減で製品を製造する仕組み作りで手伝う方向に方針変換した。

 それは、前述の理由によるもの。やはり、組織として新規事業が行えるレベルに無いというのを悟ったからだ。やはり、新しい事は不要。それで生き残っているのが現実。つまり、古い事をじっくりやるというのが一番大切。古い事を無駄なく行う事。それが必要な事なのだ。

 余談だけど、研究とは異なる定形外業務(非定型業務)を途切れなく継続的に続けるつもりは無い。1アイテムが完了したら最低でも5年は休息する。行った事で、どうなったか?を冷静に見ないと判らないし、その結果がどうなったか?を見極めなければならないし、そのカイゼンが根付いたか?を見極めなければならない。まぁ、これは建前で、ホンネとしては、毎年やったら、カイゼン自体の有り難みが薄れるからというのもあるし、知識の安売りもしたくないというのもある。事業の進捗中、進捗前後で周りの人間を見て、人間の本質を見て付き合うべき奴は誰か?を見極める時間も必要と考えているから。それから、仮に次に何かをやるとしても、その前に十分な下調べで実状を理解しないといけない。そのためには、現状を理解する準備が必要。考えるには数年が必要なのだ。

 勿論、個人は新しい技術開発が好きだけど、町工場では世界的に目新しい技術を作り上げるのは至難の業。それでも新しい事をしたければ、逆に町工場とは離れて行うのが望ましい。自分としては、それを望むなら激しい競争に晒される企業を通じて自分の論理の検証と展開を図るので良しとしている。具体的には勤務先とは独立した世界で、技術の普及に努めるだけである。

 個人が組織と付き合う時は、そういう割り切りが必要である。夢は見ない。現実を見る。これが大事。貢献と報酬の収支関係を冷静に見極める。これが重要なのだ。

 だから、町工場に甘んじて残るなら、その中で自分の納得する理解を作り出すのが大事。それでも新しい事を望むなら、納得出来る形を作るには何が必要か?というところから、一つずつ進めるしかないだろう。

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