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2011年10月 1日 (土)

ACLでの横断幕

 片言の日本語での震災に対する横断幕、、、、チョット、呆気にとられた。
 そもそも、サッカーの試合内容とは全く関係無い話。

 最近は、『がんばろう!日本』という横断幕も見られるけど、イベントとなれば、何でもかんでも『がんばろう日本、がんばろう東北!』というのにも、正直違和感を感じる。少なくとも、イベントで『がんばろう!~』を掲げるならば、イベントで集まった収益の一部を義援金で回す的な事が主催者、観客の間で意識統一されてないと違和感を感じる。それでも、そういう関連付けが無くても、応援的なメッセージなら、アリだとは思う。

 しかし、その姿勢と180°反対の暴言というか、揶揄というのは、ビックリである。
 今、そういう横断幕を掲げた奴が非難の的となっており、その事に対する同情は無いけど、その行為に対する意見を見ると、それを非難や否定する人ばかりでなく、過去の日本の行ってきた行為を考えれば的な同情的な意見も少なくない。
 つまり、そう言う行動を実際に行うかどうかは別として、意識の深層には、そういう『ざまぁ見ろ!』的な意識が少なからずあるというのが伺える。

 思うのは、東アジアにおける日本、韓国、中国で民衆の意識の中には、恨み、辛みのような負の感情が結構多く含まれているような印象である。勿論、欧州圏、中南米地域において隣国間の意識がどうか?というのは、知るべくも無いが、少なくとも、東アジアの民族感情のギグシャク感を見ていると、情けなく感じてしまう。

 日中韓の間には領土に関する異なった言い分がある。どの国民も自国の立場が正しいと思っているのは当然かもしれないが、それでは永遠に進まない、、、、結果、実力行使したモノ勝ち、、、しかし、こういう考え方では、結局、永遠に恨み辛みを抱えたままで、何の進展も無いような感じだ。

 多くは、水産資源、地下資源狙いなんだろうけど、そのポイント的な島の領有権で資源を独占と考えるのは、そもそもナンセンスであり、もう少しマトモで大人の関係は結べないモノだろうか?
 主張する国同士の共同管理とか、資源の共同開発とか、そういう方向で進める方が遙かに実効的だと思うのだけど、そういう風にならないのはとても不思議な気がする。

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