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2011年12月 9日 (金)

摂取制限よりも新陳代謝というか、、、

 ダイエットというと、摂取制限、無理のない運動で体重コントロール、、、、そういう話が多い。
 摂取制限、無理のない運動、、、、これって、少ない摂取カロリー、少ない消費カロリー、それでいて、摂取カロリー<消費カロリーという条件を満たして減量を目指す、、、、

 そういうことだ。これって、身体を中心に考えた時に、出入りするエネルギー量を減らす事で無理せずにカロリー支出によって痩せようという考え方。

 しかし、、、人間が保持しているエネルギー量は個人差の多少はあれど、それ程違うモノでもない。その決まったエネルギー総量に対して、少しの供給、少しの支出、、、というのは、身体を構成する物質の入れ替わりには相応の時間を要しているということ。イメージとしては原付バイクに大きな燃料タンクを付けて、給油間隔は広いけど、昔の燃料を何時までも使うというか、そんな印象。単車のタンクなら、内部に水が溜まり錆びたりする。

 理想としては、短時間に大量に摂取し、それ以上の量を短時間に消費する、、、この身体を構成する物質の入れ替わりが活発な状態の方が、フレッシュでは無いだろうか?特に、人間の身体の中に保存されるエネルギーというのは、摂取した食料を消化、分解、吸収というプロセスで利用可能な形で利用したり蓄えたりする。大量に摂取して、大量に消費するというのは、身体の機能も何時も活動的な状態にあるということ。

 摂取と支出の差の数値だけを見て判断する事は健康を推し量る上で適切でないのは明白だろう。健康とは、身体の機能を失わせないということ。つまり、機能をフルに活用するという前提の筈であり、そこでは、総量としての収支を整えながら、その要素で営まれる生体回路の活動度といった新陳代謝が活発に行われるという事が必要の筈。
 多くの人は、その辺を見落としがちのように見える。

 実際、サプリとか、安直系トレーニング(語弊があるかもしれないが、スロトレとか、加圧トレとか)、、、そういうのは、身体の各器官の調和した活動を阻害しているのは明白であり、そうやってインスタントに得た効果っていうのは、正攻法で各機能をフル活用、各器官のバランスを正規に保った上で得た強化とは全く別の結果になっているはずである。

 これは、持論だけど、自分は筋トレにおいて加圧トレで得た筋肉は不要だと思うし、栄養分も成分だけを得るサプリ摂取も不要だと思う。筋トレというのは、筋肉の感じる疲労とか負担に至った状態における循環器系の負荷との調和が前提であり、その調和を崩して得た筋肉は、それを駆動するだけの循環器系が鍛えられていなければゴミ以外の何物でもないし、サプリによる栄養分の目的物質の分解吸収が、生体環境における酵素類の分泌状態毎の吸収能に依存しているという前提を無視したものであり、摂取しても上手く利用できてるとは限らない点でゴミ以外の何物でもない。

 そんな事を考えると、単なる数値だけで考える以前に、本質的に機能を活用する、即ち、新陳代謝を高めるという取り組みが欠如している昨今の流行には違和感を感じざるを得ない。

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