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2011年12月 9日 (金)

高級でもゴミはゴミ

 自分でも体験済みだけど、、、、どんなに高級な材料でも、使えなければゴミだ。

 今、同業でもチョコチョコ壊れているようだけど、、、、、脆性材料の扱いは間違えたらダメ。
 材料を配置する時は、材料の特性を理解して配置すべきなのである。そもそも、強度の限界という数値だけで、数値に対する安全率なんてマヤカシな言葉で勧めると、原発事故と同じ、、、、

 安全率なんて意味無い。安全の根拠が想定に対するモノだからだ。そんな想定の限界自体に意味が無いのである。想定を越えたらどうなるか?そのリスクに対する思想が、確率的に有り得ない、、、そういう論法は人の心に響かない。

 大事なのは、、、、終末的に破壊に至らない。仮に破壊に至っても、それが周辺の破壊を加速させない、、、、そういう本質的に安全を目指す思想なのである。その為には、材料の物性を深層迄理解した上での利用なのである。こういう場合、安全率という言葉の無意味さを知る事になる。
 壊れる環境で耐えるモノを作るという発想ではダメなのだ。壊れる環境こそが得意な環境、、、、そういうモノを作るというか生み出す力が最重要なのだ。

 ということで、炭化珪素を用いたメタルとか、超硬合金を用いたスリーブ、、、こんなモノはゴミ以外の何物でもない。単に高価なだけ。高価であっても低級なのだ。ゴミ、、、、それ以外無いのだ。

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