価値観の変化
何するにしても、大抵は何通りかの候補から選択する。これって、極めて普通のこと。
そして、その行動の選択っていうのは、選択する側の価値観による、メリットの大小で決まってくる。
ちょっと前は、その価値観っていうのは個人の中で大きく変わる物ではないかな?と思っていたけど、ふと、我に返ると、結構、価値観が変わっているのに気付く。
新しい事、難題を選んで行う事は果たして、、、、と考えると、最近は、そう言う事を回避して最小限の労力で最大というか納得出来るレベルの効果で良いかな?って色合いが強い。
恐らく、加齢による残された時間と、環境、身体の変化の中で物事のプライオリティが入れ替わってきたからだろう。
基本的には、全く新しい考え方、物を生み出し、その効果を普及させる事で報酬を得るというのが理想だけど、新しい考え方や物を生み出す事を、永遠に続けて、常に厄介な事に取り組み始めるというのは、ちょっと違うような気がする。スーパーマンであれば、常に新しい事に取り組み続けるのもありだろうけど、凡人では、その新しい事っていうのは、まぁ、一つでも良いかな?という気もする。真に新しい事っていうのは、それを完成させるには、それなりの時間と協力が必要。焦っては進まないし、急かしても進まない。そう言う時は、じっくり待つというのも大事だろう。昔は待つ間、次の事に、、、という気もしたけど、最近は待つべき時は待つ。待つ間の空いた時間は、新たに新しい事を始めるというよりも、別の事もアリという考え方が最近の考え方。
昔は、新しい事を行いながら、一段落したら並行して、、、というスタイルだったけど、最近は、一段落しても結論に到る道半ばの段階では、敢えて、待つ。待って、その間は別の行動を取るというのが最近の考え方。
加齢によって残された時間が短くなると、残された時間を使い続けて新しい事に挑んでも、残された時間自体が短ければ、完成に至る可能性は極めて低い、、、普通に考えて、そう思う。そうなると、中途半端に色々進めても何一つ完成に至らない可能性が出てくる。
つまり、加齢によって時間を意識し始めると、、、、、残された時間を如何に延ばすか?のばせるか?という方が行動の優先順位では高くなる。これが四十代に入ってからの事。つまり、不惑(惑わず)の時期のこと。不惑になると、自分で後世に残したい事は既に絞られている。要は、惑う必要は無いのだ。やる事は一つ。新たに挑むのとは違う、、、、、そう思う事が多くなった。
四十代以降では、既に、全く新しい事を自分で取り組むよりも、それまでに決めた事の行く末を見守る事が最優先であり、その見届けるための時間を長くする、つまり、身体を元気に保つ事が最重要という考え方になってきた。
最近は、生みだした価値観の評価を委ねている段階だけど、その結果が出るまでの空いた時間は、自分のコンディションを極力良好に保つ事を最優先としている。その為に負担が強いられる事は極力回避させたい。
考えてみれば、雇われの身でも、残す期間は1/3しか無いのだ。アッという間であろう。最長でも、今年と同じ干支が次来る迄の期間。下手すると、その半分程度かもしれないし、取り敢えず、新しい厄介な事はオールパスだろう。健康維持に必要な活動が実践出来る状況の確保が最優先。更に、その内、自分で決めた事が、どうなるか?が見えてくる。何が起きるか判らないけど、その時に対応への準備をするというのが一番大事だろう。その時に、何も出来ない状況になっているというのが一番やってはならない事。
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