積み重ね
子供に何かを教える時、いきなり大人目線の常識とか単語を使ってもチンプンカンプン。
じゃぁ、、、単語だけ判りやすい言葉に置き換えて伝わるか?というと、多くの場合でチンプンカンプン。
大人が常識と思う概念さえ伝わらない事が多々ある。チョットした事も、何それ?ってなる。子供の言葉として、会話で何故?と聞かれるのはOKだけど、何それ?って聞かれるのはNGだ。
何故?って聞かれても、何それ?ってなると、理屈以前に語意が伝わっていない。使う事の出来る単語を選び、物事の道理を説明するには、日常の生活体験を通して理解している、知っている知識と対比出来るよう話すのが鍵。
教える側は、教わる側の段階に併せて、日常に潜む常識から何故?という疑問、好奇心が芽生えるように話すが大事。
教わる側は、その年齢に応じた理解が必要なのは言うまでもない。まぁ、教わる側が成長と共に深い理解と多くの知識が必要と言う事を知るためののモノが学校制度の進級、進学であったり、各種テストだったりする。
今の社会には、成長過程では、そういうものが必要だということを知らせながら、年齢に応じた教育を行うというシステムがある。
幼児教育では親が、学校教育では教師と親が、年齢に応じた知識を身に付けさせて、体験を経験として覚えさせる事が大事だけど、体験をして新しい事に気付くかどうか?というのは、実は、それまでの各年齢段階で得た知識、経験の積み重ねの有無が極めて重要。
同じ事を見ても、判断するための知識や経験の差で気付くモノが違うのは当然。色んな知見を身に付けているば、視点も変わるし、何故?と思う事も変わってくる。人が気付かない事に気付くか?というのは、如何に色んな既知の知識を身に付けているか?なのである。逆に言えば、知識が何もなければ、何でこんな事も見えないの?判らないの?となってしまう。
勉強とか学習というのは、何故?を思い付き、それを納得して知識を身に付ける事。知識とは、事実でなく理解の手順。理解の手順を色んな段階で身に付ける事が勉強というか学習と言う事。単なる暗記というのは勉強とは違うし、暗記した字面だけの知識は殆ど役に立たない。手順こそ全てだろう。勉強に限らず、仕事に限らず、遊び、趣味、育児、、、ありとあらゆる状況で、何故?を思う気持ちが経験の積み重ねの差になる。五感で感じるモノ、全てを何故?という目で見る事が出来れば、色んな経験を積み重ね、ジャンルを越えて理解の手順を使いこなす事が出来るようになる。恐らく、それを進めていけば、全ての現象が同じように見えるという事に繋がるのだろう。
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コメント
いやぁ、、、一種の愚痴みたいなところで、
衝動的な文章ですから、、、
部下の指導に限らず、
別部門の指導の際の状況確認等々で、
色んな人を相手に話しますが、
どうも違和感というか座りの悪さというか、
そういうモノを感じるんですね。
で、その違和感は何処に?と考えると、
結局、話の奥行きが見えないというか、
話の流れが出来ていないというか、、、
そう思う訳です。
分析し対策を練る。
これって、結果を経験から読んで、
経験に基づいた傾向を当て嵌めて、
未来を予測して道筋を立てる事ですが、
そこに必要なバックボーンが育まれていない
ように感じる訳です。
そこを突っ込んでいくと、、、、
どんな風に、今までを過ごしてきたか?
が見えてくるんですね。
最近思うのは、習った事を教えるレベルに
達しないと、理解したとは言えないという事。
そんな感じです。
近い将来、教育産業に戻るつもりで、
今は準備期間中なのは、実は内緒です。
投稿: 壱源 | 2012年2月 1日 (水) 02時10分
壱源さんは、幼児教育から大学生、
はたまた社会人教育まで
なんでも
できそうですね。
こんな先生いたら、
今の高校生、
頑張っちゃうんじゃないかな~
投稿: ココうさ | 2012年2月 1日 (水) 01時49分