答えを言うのは、、、
今迄、誰からのどんな質問でも自分なりの答えを返していた。
しかし、、、
最近は、それは無し。
理由、、、、その質問が第三者から尋ねてくる奴への問題だったり、質問だったりに、答えを提供してやると、その答えを聞いた奴が、それを第三者に伝聞していると言う事に違和感を覚えたから。
酷い場合になると、真意、本意を理解せず、誰彼問わず、話しまくっている、、、、、それ聞いて、ちょっと嫌な気分を受けたから。それを注意しても解消せず、、、、あまりにも自慢げに、答えてやった内容を、あちらこちらで言い触らすように触れ回るのを聞くと、、、、なんか、それって違うのでは?と思ってしまう。一度、触れ回った揚げ句、自分の所まで話が戻ってきて事があり、その際は唖然とするしか無かったし、よく聞くと、微妙にニュアンスが変わって居る事に気付き、何とも言えない気分を味わった。
ということで、受けた問い掛けが、聞き手由来の問い掛けか?を見極めて返すようにしている。自分が問題を問い掛けて、それが答えられない時に教えるという場合なら問題無いけど、そうでない場合の問い掛けに対しては慎重になっている今日この頃。
最近は、私的な問い掛けに拘わらず、技術的な話、公的な話でも、そういう接し方になっている。まぁ、発端は、私的趣味な話での違和感だけど、今は、全分野の話についてそういう考え方。聞き手由来の話か否か?これで解答可否の判断を下す。
伝聞的な疑問に対して答えを出すのは、本当の意味での疑問を持った人間の真意が分からないから、答え自体が的外れの場合もある。特に、自分の答えが出せない奴が中間に入っていると、質の悪い伝言ゲームみたいになる。
よって、、、、他人の疑問を持ってきて聞いてくるような奴には答えなくなってしまった。
まぁ、仕方ない。
やっぱり、誰しも、第三者から疑問、課題を投げかけられたら、尋ねられた人間の頭で対応すべき。対応出来ないと言って、己で解答や方法論を導き出すのを止めて、第三者に解答や方法論を聞いてそれを用いるというのは、基本、間違い。仮に、それで凄いと言われたり、評価されたりしても、それは後々迄、困った時に他人を頼るという癖として残る。大事なのは、自身に降り掛かった問題、課題は自身で解決すること。正誤は関係無い。自身の答えを出す事。そのプロセスが一番大事。
後輩や同僚、先輩がどうか?はどうでも良いけど、最低限、自分の子供には自分で自分なりの決断や答えが出せるように育てたいモノ。勿論、それが絶対正解とは言えない。色んな人、答えを聞く人、出す人、頼る人、色々いるから社会だから、人は人也なのだが、、、、。
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コメント
こんばんは!
年齢関係無しに答えを出す事。それが間違っても、答えを出して自分で進んでいくのが大事ですよね!
間違っても、それが経験。その積み重ねが次の決断の判断材料になる訳ですから、、
間違える事を恥ずかしいと思う心、体裁ばかり気にする心、歳を取るとともに大きくなるように思います。
間違える事が恥ずかしくない時に、間違いを冒す事に慣れるのが大事、、、子供には、ドンドン失敗して、怪我して遊べ!というのが私流です。
間違えを恐れて何もしない、無知を晒すのが恥ずかしい、、、そこでイイ格好するために、それらしい答えを余所から持ってくる、、、そういうの、何だかなぁ、、、って思います。
投稿: 壱源 | 2012年2月 1日 (水) 00時47分
壱源さん、こんばんわ。
自分で答えを出せるか否かは、
やはり、その人の性質(性格)にも
よりますが、経験値が高いかどうかにも
かかってくると思います。
経験値って、同じ年くらいの人だと、
同じような経験をしているのだけど、
それをいかに吸収消化(昇華)してきたかどうか
ではないのかなと思います。
他人に頼って、漫然と生きてきた人と、
自主意識を持って、失敗しても生きてきた人とじゃ、
全然違いますから。
投稿: ココうさ | 2012年2月 1日 (水) 00時28分